孔雀茶屋

ひやめし冬馬四季綴 孔雀茶屋 (徳間文庫)

ひやめし冬馬四季綴 孔雀茶屋 (徳間文庫)

両国広小路で大人気の孔雀の見せ物小屋でひとりの侍が大騒ぎを起こしていた。風見藩の榊原数馬だ。海棠藩江戸藩邸で、家老の妹・奥田波乃をめぐり、恋のさや当て真っ最中の冷飯食い・一色冬馬と中老の嫡男・鳥羽新之介は数馬にいきさつを聞いた。藩邸で飼っていた白孔雀の血をひく孔雀が盗まれ、探しにきていたという。その孔雀はご上覧予定だった。冬馬と新之介に孔雀探索の命令が…。

続きを読む “孔雀茶屋”

おたから蜜姫

おたから蜜姫 (新潮文庫)

おたから蜜姫 (新潮文庫)

隠密姫君、今度は千年の謎に挑む!存続危ぶまれる讃岐の小藩に、仙台藩62万石から結婚話が舞いこんだ。その条件は「かぐや姫が求婚者たちにねだった宝物を持参すること」(ただし本物)。え、竹取物語っておとぎ話じゃないの?若武者姿も凛々しい蜜姫さまの、冒険好きの血が騒ぐ。忍び猫タマ、愛書家の母・甲府御前も大活躍。吉宗、伊達家を相手に三つ巴の財宝争奪戦が始まる。

続きを読む “おたから蜜姫”

桜小町

桜小町―ひやめし冬馬四季綴 (徳間文庫)

桜小町―ひやめし冬馬四季綴 (徳間文庫)

 米村佳伍さんの文庫書き下ろし新作です。これまでは「退屈姫君伝」シリーズと、その周辺人物を主人公にしたいくつかの小説が新潮文庫から出ていたのですが、この本は徳間文庫から発行されました。

 だからというわけではないのでしょうが、これまでの作品には、お互いに緩やかな関わりがある(人物や時代、場所などが微妙に重なっていた)ものが多かったのに、この小説はこれまでの作品とは、全く無関係に独立した物語となっています。

 でも雰囲気は相変わらず米村節。主人公の一色冬馬は、とある武家の冷飯食いな若者。同じ冷飯食いの友達がいて、ちょっとした大冒険をする… というあたりは過去の作品と重なるところがあります。ただし読み手がびっくりするほどの下ネタは、鳴りをひそめてしまいました。ちょっと残念(A^^;

 タイトルにもなっている「桜小町」は、もちろん重要人物として物語中に登場しますし、その名の通り、誰もが憧れる藩内随一の美女となっています。そこに冷飯食いの若侍が絡んでくるとなると、話の展開はおおかた想像がつくというもの・・・

 というのは短絡しすぎで、これは単なる青春恋愛ドタバタ活劇ではありません。軽妙な語り口の娯楽小説には変わりありませんが、中心となる物語のテーマには、もっと何か重苦しいものがあります。武士とは何か?家とは?親子とは?政治とは? と言った問いかけの連続。たとえば次のように。

武家は町人の上に立つ存在で、人格見識共に優れている。町人は武家の支配を受けているのだから、下等な存在である。ということではない。
武家は町人の上に立つ存在なのだから、人格見識ともに優れていなければならない。そういう自負を有してしているから、厳しくおのれを律し、罪を犯せば切腹という形で責任を取る。それが武家の誇りなのだ。

 これはステレオタイプで表面的な武家論のようでいて、実はそうではありません。江戸時代の武士と町民、農民との関係、社会構造の根幹をずばり言い表していると思います。

 しかし、結末には全く納得がいきません。この終わり方は最低です。思わず本を床に叩き付けたくなりました。いや、オチとしては突飛すぎず、平凡すぎず、そこそこ綺麗に片付いてはいます。しかし一人の重要人物の最後の扱いがどうしても気に入りません。

 そのせいか、残念ながら読後感はあまり良いものではありませんでした。なので、むしろ少しでも興味があるなら読んでみることをお勧めします(A^^;;

 【お気に入り度:★★★☆☆】

真田手鞠唄:米村桂伍

真田手毬唄 (新潮文庫)

真田手毬唄 (新潮文庫)

 

  米村桂伍さんの小説はこれまでに「退屈姫君伝」をはじめ八冊を読みました。あと四作品が発行されているようですが、なかなか文庫本では見つからずに未読となっていました。そんな中の一冊、「真田手鞠唄」を偶然に発見。最近はまた松井今朝子さんの重くて衝撃的な小説が多かったので、ここらでまた一休み、と言うつもりで買って読んでみることに。

 「退屈姫君伝」シリーズの四作はもちろんですが、米村桂伍さんの小説はどれも微妙に登場人物が被っていて、全てを読み尽くしているマニア向けな仕掛けがたくさんされています。今回の「真田手鞠唄」はそんな中でも、最も新しい時代を描いた物語と言えます。いや、”真田”といえばあの”真田”ではないのか?だとすれば江戸時代最初期の話ではないのか?と思った方は、かなり鋭いです。そうです、タイトルになっている”真田”とは戦国時代末期、豊臣家に最後まで仕えた武将、真田幸村の一族のことです。

 さて、その”真田”がどうして退屈姫君伝の世界(=江戸後期)とつながっていくのか? 物語は実際に大阪夏の陣のシーンから始まります。そして大阪の城下にどこからともなく広まっていく奇妙な手鞠唄・・・

花のようなる秀頼さまを、鬼のようなる真田がつれて、のきものいたり鹿児島へ

 この唄を聞けばこの小説の主たるストーリーの柱が想像つく方も多いかと思います。実際その期待通りに物語は進んでいくのですが、途中から凡人の私には全く想像のつかない奇想天外な方向へと展開していきます。

 米村桂伍氏の小説の特徴は、講談師が喋るような口調とリズムで書かれた独特の文体。そして洒落とコメディに満ち、明るくて軽妙で時に下ネタをふんだんにちりばめた、滑稽なエピソードの連続。そして歴史のミステリーにロマンを追い求め、荒唐無稽で奇想天外なアッと驚く落ち。そして最初にも触れたように、微妙に重なる他作の登場人物達の繋がりなどなどにあります。

 全体的にバカバカしいほどのおちゃらけた小説に感じられるのですが、その物語の背景となる歴史的事実は、実は非常に丁寧に調べられており、考証がしっかりしていることが伺えます。特に今回の「真田手鞠唄」は、徳川の台頭と豊臣の滅亡、そしてその後に至るまでの細かい事実、実際に語り伝えられてきた伝説などの事実が、丁寧に幾重にも積み重ねられています。

 そのしっかりした史実の上に組み立てられた、滑稽で奇想天外な米村ワールドとのギャップは、純粋に面白い!と思えるものですし、あるいは歴史のロマンや夢をも感じてしまうほどです。そこには米村桂伍さんの考える物語の本質があります。それは次のような言葉で説明されています。

民百姓は、伝説を求めているのだ。辛い浮き世を忘れ、楽しませてくれる話を求めているのだ。だから源義経は衣川の館では死なずに蝦夷地へ逃れ、明智光秀は小栗栖で殺されずに天海僧正と化した・・・豊臣秀頼も大阪城で死ぬよりも、落ち延びて鹿児島で暮らしているのだ、と考える方が面白いのだ

 まさしくその通り。古い時代を舞台にした時代小説を私が好きで読み続けるのは、面白い伝説を求めているからです。フィクションであろうと、ノンフィクションであろうと、それは変わりません。

 以前読んだ「おんみつ密姫」も同様に歴史の異説に挑戦した物語でした。しかし、それらよりもこの「真田手鞠唄」のほうが私は気に入りました。テーマが前二作よりも圧倒的に壮大だからなのだと思います。

 それに加えてとても魅力的な登場人物達。「風流冷飯伝」に通じるものがあり、米村ファンとしてはホッと一安心してしまいました。

 お勧め度:★★★★★(米村ファンにも、あるいは米村さんの小説を初めて読む人にもお薦めの一冊)

紀文大尽舞:米村桂伍

紀文大尽舞 (新潮文庫)

紀文大尽舞 (新潮文庫)

 

  江戸時代中期、紀州から蜜柑船に乗って忽然と江戸に現れ、材木問屋を起こしたと思ったら、幕府御用達にまで一気に成り上がり、吉原で豪遊し数々の伝説を残しつつ、しかし一代限りでその身代を使い果たして消えていった謎の商人、紀文こと紀伊国屋文左衛門の物語です。いったい彼は何者だったのか? あまりにもドラマチックすぎるその人生は、純粋にジャパニーズ・ドリームの体現者だったのでしょうか? 米村桂伍さんがその謎を解いてみせる、”歴史の異説シリーズ”の一冊ともいえるべき物語です。

 主人公は、湯屋の娘で戯作者を目指すその名も”お夢”。スクープを追う現代のジャーナリストのごとく、紀伊国屋文左衛門の真の姿に迫ります。紀文の生きた時代に関する、多くの記録を紐解きつつ、一般的解釈の矛盾を鋭く突きながら進行する、大胆な”歴史の異説”の物語。そしてお夢はいつの間にか大奥へ…。一商人の裏話を追ってるはずが、事はあれよあれよという間に時の将軍家へつながっていきます。

 これまた荒唐無稽で大胆なストーリー展開ながら、もしかしたら一部は本当かも?と思わせる説得力も感じられます。お夢の愛すべきキャラクターもあって、説明くさくなることなく、適度に緩い雰囲気の娯楽的時代ものミステリー小説。お夢が書き綴る戯作「紀文大尽舞」はいったいどんな結末になるのか? そして自分が読んでいる米村桂伍氏の書いた「紀文大尽舞」はいったいどう決着するのか? という二重構造の物語も凝っています。

 しかし読後感としては、オチはイマイチかなぁ… と感じました。どんでん返しに次ぐどんでん返しはちょっとくどいかも。あり得ない勢いで話が膨らんでいく間は、むしろ面白くてぐいぐいと引き込まれたのですが、広げた風呂敷の大きさ割りに、最後は急に小さくまとまってしまった感じがします。

 ちなみに、この物語にも「退屈姫君伝」シリーズファンにはおなじみの人物が登場します。作品ごとに微妙な関連づけを持たせるあたりは、なかなかにファン心理をくすぐるものがあります。紀伊国屋文左衛門が活躍したのは、有名な第八代将軍、徳川吉宗がその座につく少し前まで。退屈姫が生きた時代よりも50年ほど古い時代です。さていったい誰が登場するのでしょうか?
 ちなみに、この本の冒頭は以下のような会話で始まります。

「お父さま、おこじゅかいちょうだい。」 「いいとも、いくらでもやるぞ。十両か?百両か?」 「ひゃくまんりょう。」 「よしよし、それでどんな遊びをするんだい? 面白いことなら、お父さんも混ぜておくれ。」 「ばくふてんぷく。」

 ここだけでこの物語の世界に完全に引き込まれてしまいました。

 お勧め度:★★★★☆(米村桂伍ファンは必読。それ以外の方でも時代ミステリーとして楽しめます)

面影小町伝:米村桂伍

面影小町伝 (新潮文庫)

面影小町伝 (新潮文庫)

 

  この本は「風流冷飯伝」に続く三部作の完結編です。今回の主人公はくの一のお仙。退屈姫君伝の冒頭からめだか姫の右腕となり、時には悪者と果敢に戦い、時には江戸城に忍び込み、そして時には遠く離れた地まで旅をしたり、実力行使部隊の先鋒として、めだか姫の活躍を助ける重要人物です。めだか姫の目の前に初めて現れたときは、ぼさぼさのおかっぱ頭で真っ黒に日焼けし、つんつるてんの小袖を着たきりで、およそ女の子らしさとか可愛らしさとは無縁の天狗娘でした。この物語は、めだか姫達の冒険が終わった後のこと、紀州は熊野の山里に暮らすお仙の母親が病気にかかったという知らせを聞いて、お仙が江戸から熊野へと飛んで帰ったところから始まります。

 いえ、正確にはこの本の冒頭で語られるのはもっともっと昔の話です。「退屈姫君伝」シリーズ三部作の完結編であり、お仙の物語だと知って読み始めたが故に、お仙もめだかも一八も誰も出てこず、見知らぬ人々が繰り広げるひたすらもの悲しくて暗いストーリーがいきなり展開し、面食らってしまいました。もちろんこの冒頭のエピソードは、その後のストーリー展開に非常に重要な意味を持っているわけで、その謎解きはゆっくりとされていきます。でも、勘のいい読者なら途中でそのからくりに気がつくはずです。作者もわざとそうし向けているのだと思いますが。

 お仙の素性は「退屈姫君伝」シリーズを読んだ方はよくご存じのことかと思います。お仙の父親は、幕府御庭番の倉地家の手先を務める”むささび五兵衛”で、谷中の笠森稲荷の門前で茶屋の鍵屋を営んでいます。五兵衛はもともとは紀州熊野の忍びであり、お仙もその忍びの技を引き継いでいます。お仙の母親”からす”は江戸には出てこずに熊野の村で一人暮らし。兄の一八は忍びになることを嫌がり、あろうことか幇間になってしまいます。その一八を主人公にしたのが「風流冷飯伝」です。

 さて「退屈姫君伝」シリーズは言うまでもなくフィクションであり、めだか姫自身はもちろん、風見藩とか、周辺の登場人物のほとんどは架空の人物です。しかし時代を田沼意次が権勢を振るった時代に設定し、当時の世情や政治状況、大事件などなど、歴史上の事実をうまく物語にも取り入れ、実在の人物達も出てきます。釣り駒を操り、江戸城にも侵入してしまう色黒の天狗娘のお仙は、めだか姫と同じくらい現実的にあり得ない人物像なのですが、実は笠森稲荷前の茶屋、鍵屋の看板娘のお仙という人物は実在していたのです。しかも彼女は錦絵を確立した浮世絵師、鈴木春信による美人画のモデルとなり、堅気の一般女性でありながら、江戸中の男達の人気者になりました。本物のお仙は、真っ黒な天狗娘とは似てもにつかない、江戸随一の美女だったそうです。

 鈴木春信は笠森お仙のほかに、浅草寺前の楊子屋「柳屋」の看板娘のお藤も描きました。お仙とお藤は同年齢だったそうです。鈴木春信の浮世絵により、お仙とお藤は江戸中期、明和年間において、江戸を代表する美人として人気を二分することとなったそうです。しかし、実在の笠森お仙はそんな人気絶頂のさなかに、突然茶屋から姿を消してしまいます。彼女は幕府御庭番、倉地政之助の元へ嫁いだのです。武家と町人の結婚はあり得ないことではありませんが、一般的には非常にまれなケース。幕府御庭番の家柄ともなればなおさらです。

 この二人が実際どういう関係にあったのかは分かっていません。いや、笠森稲荷の鍵屋の土地は倉地家のものだったこと、鍵屋を任された五兵衛は実際に倉地家の手先だったのは事実らしく、少なくとも地主と店子、主人と部下の関係にはあったのでしょう。それでもなお、身分の差を超えて結婚するに至った経緯はやはり謎ですが。そしてお仙がいなくなった鍵屋は、お仙の父親である五兵衛老人が一人残って店を細々と続けていたそうです。

 と言うような、笠森お仙にまつわる歴史上の事実に対して、米村桂伍さんなりの異説というか解釈がこの「面影小町伝」です。お仙、五兵衛、倉地政之助、お藤、鈴木春信といった、実在した人物達を巻き添えにして、退屈姫君伝を通しての三部作に落ちをつける、あっと驚く奇想天外なストーリーが展開します。「退屈姫君伝」シリーズの最後で、作者の米村氏が、面影小町伝を執筆するに至った経緯というか動機というか、目的についてコメントを書かれています。それによると「事実としては笠森お仙と倉地政之助は結婚したが、私は断じてそうはさせたくないと思った。そこには何か裏があったに違いない。」と。

 お仙と結婚した幕府御庭番の倉地政之助は「退屈姫君伝」シリーズにも当初から倉地の旦那として登場します。しかし物語中での扱いはあまり良くありません。人は好くて憎めないのですが、どこか抜けていていつも失敗ばかり。役目柄めだか姫達と対立したりもしますし、お仙にも馬鹿にされています。それは江戸随一の美女であった笠森お仙が、真っ黒な天狗娘として描かれているように、実際の倉地政之助がどういう人物であったかとは関係がありません。むしろ、お仙も含めて記録に残る現実の人物像からはわざと遠ざけて描かれているようにも思えます。それが歴史上の事実といかに融合していくのか?そこがこの物語の見所、読み所です。

 「退屈姫君伝」シリーズや「風流冷飯伝」のような、痛快で軽快でおもしろおかしいお話を期待していたら、見事に裏切られます。確かにストーリーとしては、想像もつかないような展開と結末を迎え、アッと驚くことは確実。ミステリー仕立てでもあるので、先が気になって気になって仕方がない、とてもおもしろい小説です。
 でも、私がこのシリーズを読み始めた当初の目的は、息抜きになるようなおもしろおかしいコメディ時代小説が読みたかったから。お仙はその中でもひときわ存在と行動と言動がナンセンスで、すばらしいキャラクターだったのですが…。でも、そんな退屈姫君伝ファン達の声には、久々に登場するめだか姫が応えてくれています。あの真っ黒な少女お仙は、いつまでたっても変わってないと。

 最後に話は変わりますが、この小説内に米村さんなりの小説家観というか、この本に対する態度みたいなものが書かれていました。何となく気になる一節でしたので、引用しておきます。

おまえは遊子なのだ。世の中を斜に見て、野暮天をからかい、粋人を称える。遊興を賦とし、四季の風物を詠ずる。遊子にしか書けぬ狂文を出版しているからこそ、通人は喜び庶民は感心しているのだ。君子は怪力乱神を語らず、と言うが、遊子もまた、怪力乱神を語ってはならんのだ。

 これは自分自身の野暮天をからかっているのでしょうか。それがむしろ粋なのかも。なんだか分からなくなってきました。転じて私自身はもちろん小説家ではありませんが、野暮天をからかい、粋人を称え、遊興を賦とし、風物を詠じていきたいものだと思っています。

 お勧め度:★★★★☆(必ず退屈姫君伝シリーズと風流冷飯伝を先に読んでください)

おんみつ蜜姫:米村圭伍

おんみつ蜜姫

おんみつ蜜姫

 

  最近すっかり米村圭伍さんの小説にはまっています。「風流冷飯伝」も早速読んでしまいました。そして「退屈姫君伝」の派生小説はもう一つあります。シリーズ中ではめだか姫を助ける重要な脇役、くの一の少女お仙を主人公とした物語。当然それも読まなくては、ということで本屋さんに行き、タイトルを見て何の疑いも持たずに買ってきたのがコレ。読み始めてしばらくして気づきましたが、これはお仙の物語ではありませんでした。どうやら目的の本を間違えたようです。

 確かに、お仙はめだかを助ける立場のくの一。隠密の手先ではありますが、どうがんばっても「姫」にはなれません。でもせっかく買ってしまったし、読み始めてしまったのでもちろんそのまま読み切りました。そこは「退屈姫君伝」シリーズと同じような、面白おかしいコメディ時代小説の世界が広がっています。巻末の解説を読んで知りましたが、時代小説にも「姫君小説」というジャンルが一応あるようで、「退屈姫君伝」はもちろんですが、この小説も正当派の「姫君小説」となるようです。なるほど…。

 この小説で大活躍する姫君は、豊後温水藩の主家に生まれた末娘、蜜姫です。彼女はめだかを遙かに凌ぐほどのやんちゃぶり。あまりの暴れ姫ぶりに江戸屋敷に住まわせると、将軍家のお膝元で大事件を起こし、藩が改易になりかねない、と父であり温水藩の藩主でもある乙梨利重に心配させるほどです。そんなこともあって、蜜姫が国元の豊後でのんびりと暴れぶりを発揮していたある日、父が何者かに目の前で暗殺されそうになるという事件が発生。それをきっかけに、温水藩を狙うなにか陰謀が計画されていると思った蜜は、若侍姿に返送し城を出奔し、隠密行脚の旅に出てしまいます。

 ということでこの本は、鉄砲玉のように豊後を飛び出して江戸を目指す、蜜の隠密の旅の物語です。いろいろな土地に行き、いろいろな人に出会い、いろいろな風俗や風習、自然や旅のノウハウを身につけつつ、少しずつ明らかになっていく、温水藩の関わる巨大な陰謀。目指す敵は徳川家、時の将軍吉宗公なのでしょうか? 複雑に入り組んだ陰謀と蜜のドタバタの隠密行が見事に混ざり合って、何とも言えない猥雑で賑やかな物語となっています。

 この中に「退屈姫君伝」シリーズでも有名な人物が登場します。といっても、この小説で蜜姫が活躍した時代は、めだか姫が生きた時代よりはだいぶ昔のこと。めだか姫と同世代の人ではありません。ここに登場する有名な人物とは、讃岐の小藩、風見藩の藩主、時羽光晴です。めだかの夫、時羽直重のおじいさんに当たる人。とくれば「退屈姫君伝」ファンならすぐにおわかりかと思います。風見の城下町に、奇妙な習慣をいくつも残した変人の殿様です。この小説では現役の風見藩主として登場します。どういった役回りなのかは、読んでからのお楽しみと言うことで。

 米村圭伍さんの小説は、これまでに読んだ六冊ともすべてそうでしたが、多分に娯楽的性格が強く、解説の言葉を借りれば「通俗的」でもあります。要するにコメディ調で面白おかしい小説、と言ったところでしょうか。しかし、時代考証というとちょっと細かくて堅すぎる気がするのですが、時代小説としての歴史背景の設定には非常にしっかりしたものがあります。荒唐無稽で面白いお話にするために、時代考証を無視するのではなく、むしろ積極的に「江戸時代とはこういう時代だった!」という考証を取り入れているように感じます。そのリアリティがかえって、蜜姫やめだか姫達の滑稽さを際だたせているとも言えるのかも。

 特にこの本では、二つの大きな歴史的な事件を蜜姫の活躍物語のバックボーンとして取り込んでいます。一つは将軍吉宗の隠し子騒動として有名な、天一坊の事件。そしてもう一つは戦国時代に甲州を支配した武田家滅亡の謎。この二つは年代的に百年以上のずれがありますが、どちらも蜜姫の隠密探索の先に現れる、重要で超えがたい壁となって立ちはだかります。蜜姫がその謎を解く課程を物語として語りつつ、両方の出来事についての経緯と、史実として残っている資料の内容、そして米村圭伍氏独自の解釈が披露されます。

 天一坊とは何者なのか?何がこの騒動の背後にあったのか?そして大岡越前の残した天一坊の記録についての解釈などから、天一坊事件の真相についての一つの異説が語られています。一方、時代をさかのぼって戦国時代。武田信玄の息子である武田勝頼の死と、それに伴う武田家滅亡の謎について。これらに関する通説には多くの矛盾があることを突き、やはり真相についてのある異説を採っています。蜜姫はそんな米村圭伍氏が考える、異説の歴史の中で大活躍をしていきます。どんな異説なのかは、もちろんここで説明するような野暮はしません。読んでのお楽しみです(^^;;
 さて、ちょっと唐突なようですが、この本の中で気になった一節を引用しておきます。ほとんど結末の部分で、ある重要人物が口にする言葉です。

地方が組めば幕府に対抗しうる力を有する。そう気づかれた日こそ、徳川の世が終わる時である。二万石程度の小藩が結託しても何の問題もない。でも、薩摩と萩あたりが組んで見ろ。とてつもない力を持つぞ。

将軍のお膝元である江戸は、日本で一番豊かな都市です。けれども江戸の豊かさは、諸国から運ばれる物資によって成り立っているのです。もし物資の流通が途絶えれば、江戸に暮らす百万の人々は、すさまじい飢饉に襲われるでしょう。

 これらは、ストーリー上に関わる必然的な台詞でもあり、歴史に関係したちょっとした洒落でもあり、そして現代社会への風刺でもあります。

 気を抜いて純粋に楽しめる娯楽小説でありながら、遠い歴史のロマンをも感じられる不思議な小説でした。蜜姫の活躍を描く冒険活劇と、実際の歴史上に残る事件の複雑な謎解き。ある意味とても贅沢で盛りだくさんな時代小説です。

 さて、次こそは本当に笠森お仙の物語を読まなくては。目当ての本のタイトルは「面影小町伝」です。

 おすすめ度:★★★★☆

風流冷飯伝:米村圭伍

風流冷飯伝 (新潮文庫)

風流冷飯伝 (新潮文庫)

 

  たまには気晴らしにでもと思って買って読んでみた、米村圭伍さんの「退屈姫君伝」がすっかり気に入ってしまい、続編の三冊「退屈姫君 海を渡る」と、「退屈姫君 恋に燃える」と、「退屈姫君 これでおしまい」を一気に読んでしまいました。この四冊を通して物語の中で流れる時間はわずか一年足らず。退屈姫こと”めだか”の夫である風見藩主、時羽直重が参勤交代で国許に戻っている間の出来事です。たったそれだけの間に事件が起こること起こること。しかも巻が進むにつれてそのスケールは大きくなっていきます。将軍を巻き込むほどまでに。

 が、どんなにめちゃくちゃで荒唐無稽な話になったとしても、やはりバカバカしくなって白けることなく、ギリギリのところで踏みとどまっているのは流石です。そして、こんな面白いシリーズものが四巻で終わってしまうのは勿体ない、と思っていたのですが、四冊読み終わってみれば、やはり”これでおしまい”ということのようです。うーむ、残念…。だけどグズグズ続いてマンネリ化してつまらなくなり、うやむやのうちにフェードアウトするよりはいいか?とも思いますが。

 ということで、”めだか”が活躍する「退屈姫君伝シリーズ」は終わってしまったのですが、このシリーズの、サイドストーリーとも言うべき小説が二冊ほど出ています。その一つが今回読んだ「風流冷飯伝」。もう一つは「おんみつ密姫おもかげ小町伝」という本。特に「風流冷飯伝」のほうはは、むしろ「退屈姫君伝シリーズ」よりも先に読んでおくべき本だったようです。

 舞台は江戸ではなくて讃岐の僻地にある風見藩の城下町。時は”めだか”が風見藩の江戸上屋敷で、退屈してあくびをかみ殺している頃。そう、ちょうどめだかの夫である時羽直重がお国入りする少し前から物語は始まります。主人公は… 退屈姫君伝で大活躍するくノ一(くのいち=女忍者)お仙の兄で、幇間(たいこもち=男芸者)の一八です。なぜ妹がくノ一で兄が幇間なのか? その普通ではあり得ない兄弟の境遇については色々事情があります。そして、吉原など都会の賑やかな色町にいるはずの幇間が、なぜ讃岐の小藩の城下町にいるのか?そこについても更に色々深い事情がありますが、その辺は本を読んでのお楽しみということで。

 ともかく、故あって風見城下町をほっつき歩く日々を送っていた一八が、ある日町でばったり出会ったのは冷飯食い(武家に生まれた長男以外の男子=将来が約束されていない不遇の身)の飛旗数馬。彼も冷飯食いであるが故に暇を持てあまして、毎日どうでも良い用事を作っては、あちこち散歩をしています。商売柄おしゃべりで調子が良くて無駄に愛想が良くて、しかし一方で人を信用せずに疑り深い性格の一八に対して、まじめで鷹揚で純真で世間知らずで口数の少ない数馬。生まれも育ちも性格も、置かれた立場も全く違う二人は、むしろお互いの生活に全く接点がないからこそ、なぜか惹かれ合い何となく一緒に時を過ごすようになります。

 物語の表面上には「退屈姫君伝シリーズ」のバックボーンとなる重要なストーリーが流れているのですが、私的にはその大枠の起承転結のストーリーよりもむしろ、一八と数馬の交流と、その他風見藩内に暮らす冷飯食い達の人間ドラマにこの本の面白さがあるように思います。「退屈姫君伝シリーズ」はひたすらに滑稽で面白おかしいだけの話の連続でしたが、この本は基本的に同様のコメディ調ではあっても、時折どこかフッと感動を誘うような奥行きの深さを備えているようです。それは、映画の弁士か落語家が話すような口調で書かれた「退屈姫君伝シリーズ」とは違って、文章自体が一八の目線で書かれているからかもしれません。

 一八は最後の最後、風見の土地を離れようとするときにこう呟きます。

「殿様も風変わりなら、それを肴に遊んでる奴等も奇妙。そしておかしな冷飯ども・・・藩主から町人までなんとものんき、何とも風流・・・。ちっ、おいらも焼きが回ったぜ。なにが風流だ。風流なのはお江戸じゃねえか。吉原じゃねえか。しっかりしろい。」

 花のお江戸で風流を知り尽くしているはずの一八に焼きを入れるほど、風流で粋な風見の冷飯達とはどんな奴等なのでしょうか?
 さて、一八がこの後どうなったかは「退屈姫君伝シリーズ」のほうで判明します。ついでに言うと、風見藩にはこの後もっともっと大きな問題が持ち上がります。いや、正確には「退屈姫君伝」と、この「風流冷飯伝」はほぼ同時進行の物語。この二冊はどっちを先に読んでも問題ないでしょう。そしてこれらの後日談および続編は「退屈姫君 海を渡る」とそれ以降に引き継がれていきます。私は… 読む順番を完全に間違えてしまいましたが。ま、実はそれでも大きな問題はありません(^^;
 次は「退屈姫君伝シリーズ」関連小説のもう一冊、「おんみつ密姫」を是非読んでみたいと思います。メインのシリーズは終了したとしても、こうやって周辺の人物に主軸を移して横に展開していくというのも面白いかもしれません。ストーリーの組み立てと人物像の構成が相当に上手くできてないと無理な手法ですが。「退屈姫君伝シリーズ」単なるくだらないコメディでは終わっていないということが、この辺からも分かります。

 おすすめ度:★★★★☆ (退屈姫君伝を読んだなら、シリーズの中の一冊として必ず読むことをお勧めします)

退屈姫君伝:米村圭伍

退屈姫君伝 (新潮文庫)

退屈姫君伝 (新潮文庫)

 

  最近わりとまじめな小説ばかり読んでいたので、少し息抜きに楽しいものを読みたいなぁと思い本屋さんをうろうろ。楽しい本か、重い内容の本かを見極めるには、文庫本裏表紙の紹介文を読むという手もありますが、片っ端から手にとって読んでいては日が暮れます。そこで次に判断材料となるのはタイトルと表紙絵です。「暗殺の年輪」(藤沢周平:未読)とくれば、かなり重い内容であることが伺えますが、「退屈姫君伝」となると、これはきっと気軽に楽しめて笑える内容の小説の匂いがプンプンします。果たして「退屈姫君伝」を手にとって表紙を見てみれば、これはどこかで見たタッチのイラスト… と思ったら、これは「しゃばけシリーズ」で有名な柴田ゆうさんの手によるイラストではありませんか。表紙絵のみならず挿絵も描かれています。とくれば、これは面白い物語に違いないと確信し、ろくに確認せずに即お買い上げとなりました。

 主人公となる退屈姫の本名は「めだか」。とある東北は磐内藩五十万石の大々名家に生まれた末娘です。気ままに十七歳の日々を過ごしていたある日、彼女自身の輿入れ先が決まったところから物語は始まります。その嫁ぎ先とは、なんと石高わずか二万五千石の讃岐の小藩、風見藩でした。さて、わがまま放題、世間知らずに育ってきためだかに、いくら小藩とはいえ大名家の正室が勤まるのでしょうか?もちろん、この手の小説のこと。めだかの周辺には次から次へと事件が起こります。

 大名の正室ともなれば却って全く自由が奪われ、退屈な毎日を過ごすばかりになるかと思えば、元来の好奇心旺盛さといたずら好きと、素直で明るい性格の退屈姫はじっとしてはいられません。早速彼女の興味を引いたものは、風見藩の江戸上屋敷に古くから伝わる七不思議ならぬ六不思議です。この謎を解くことにめだか姫は夢中になります。そんな中、なぜか出生欲旺盛な幕府隠密や、くノ一(くのいち=女忍者)の少女、貧乏長屋の住人達などを巻き込んで、退屈姫の嵐のような活躍がはじまります。

 と、読み始めてみれば期待したとおりの面白おかしいストーリー展開。これは時代コメディ小説と言えるでしょう。とにかく滑稽で荒唐無稽でナンセンス、ほとんどな漫画のような世界です。しかしそれでもバカバカしく感じるどころか、周辺の登場人物達同様に、読者たる自分自身がグイグイと退屈姫に引っ張られて振り回されてしまうのは、コメディ物語として成り立つ背景に、江戸時代の空気がしっかりと流れていることが感じられるからだと思います。

 徳川将軍家を筆頭にした大名家の武家社会のしくみ。貧乏な小藩の困窮した経済状況とそれを乗り切るための工夫。一方の裕福な大藩が切り開いた収入源。そしてそんな武家達に囲まれながら江戸に暮らす町人達の生活。第十代将軍家治の治世において権勢をふるった田沼意次の政治。そういった、時代小説にとって欠かせないポイントはしっかりと押さえられています。さらに、七夕には江戸の人々は町人も武士もみな井戸浚いをする習慣があったことなど、知らなかった江戸時代の習慣や風習の豆知識も随所にちりばめられています。

 そんな面白いストーリーを際だたせているのが、その語り口。めだか姫はじめ物語の中の当事者達の誰の目線でもなく、完全な部外者の目で語られる文章は、まるで無声映画を弁士の語りとともに見ているようでもあり、あるいは落語家の話を聞いてるようでもあり。登場人物達の言動や行動に突っ込みを入れつつ、補足解説をしつつ、勝手にギャグをかましつつ、ですます調でリズム良く進む文章は、非常に新鮮な印象を残します。柴田ゆうさんのイラストのイメージと合わさって、非常に映像的な物語です。

 ちなみに、お転婆なお姫様が主人公で面白いお話だからといって油断していると、面食らう部分が多々あります。というのも、非常に下ネタが多いのです。江戸時代は実際に非常に性に開放的だったと言われていますが、それにしてもこんなのアリなのか?というほどどぎつい表現が繰り返し出てきます。そういうのが嫌いな人や純真な青少年にはお勧めしません。いえいえ、私は問題ありませんでしたが(A^^;;;

 さて、この退屈姫の活躍する小説はシリーズ化されいて、今回紹介した「退屈姫君伝」はその第一巻です。すでに第二巻の「退屈姫君 海を渡る」、第三巻の「退屈姫君 恋に燃える」、そして第四巻の「退屈姫君 これでおしまい」が文庫で発行されています。さらに退屈姫シリーズの前編となる「風流冷飯伝」という小説もあるそうです。まだ第二巻目を読み始めたばかりなのですが、どうやらこれ以上は続かずに第四巻で完結してしまうようです。さて、この先もどんなハチャメチャなことを退屈姫がしでかしてくれるのか、楽しみです。特に第三巻…。風見藩主に嫁いだ身でありながら「恋に燃える」とはどういうことなのでしょう? 早く読み進めなければ(^^;

 お勧め度:★★★★☆(時代小説の箸休め的存在というか、気晴らしにぴったりかと)