真田手鞠唄:米村桂伍

投稿者: | 2009年8月27日
真田手毬唄 (新潮文庫)

真田手毬唄 (新潮文庫)

 

  米村桂伍さんの小説はこれまでに「退屈姫君伝」をはじめ八冊を読みました。あと四作品が発行されているようですが、なかなか文庫本では見つからずに未読となっていました。そんな中の一冊、「真田手鞠唄」を偶然に発見。最近はまた松井今朝子さんの重くて衝撃的な小説が多かったので、ここらでまた一休み、と言うつもりで買って読んでみることに。

 「退屈姫君伝」シリーズの四作はもちろんですが、米村桂伍さんの小説はどれも微妙に登場人物が被っていて、全てを読み尽くしているマニア向けな仕掛けがたくさんされています。今回の「真田手鞠唄」はそんな中でも、最も新しい時代を描いた物語と言えます。いや、”真田”といえばあの”真田”ではないのか?だとすれば江戸時代最初期の話ではないのか?と思った方は、かなり鋭いです。そうです、タイトルになっている”真田”とは戦国時代末期、豊臣家に最後まで仕えた武将、真田幸村の一族のことです。

 さて、その”真田”がどうして退屈姫君伝の世界(=江戸後期)とつながっていくのか? 物語は実際に大阪夏の陣のシーンから始まります。そして大阪の城下にどこからともなく広まっていく奇妙な手鞠唄・・・

花のようなる秀頼さまを、鬼のようなる真田がつれて、のきものいたり鹿児島へ

 この唄を聞けばこの小説の主たるストーリーの柱が想像つく方も多いかと思います。実際その期待通りに物語は進んでいくのですが、途中から凡人の私には全く想像のつかない奇想天外な方向へと展開していきます。

 米村桂伍氏の小説の特徴は、講談師が喋るような口調とリズムで書かれた独特の文体。そして洒落とコメディに満ち、明るくて軽妙で時に下ネタをふんだんにちりばめた、滑稽なエピソードの連続。そして歴史のミステリーにロマンを追い求め、荒唐無稽で奇想天外なアッと驚く落ち。そして最初にも触れたように、微妙に重なる他作の登場人物達の繋がりなどなどにあります。

 全体的にバカバカしいほどのおちゃらけた小説に感じられるのですが、その物語の背景となる歴史的事実は、実は非常に丁寧に調べられており、考証がしっかりしていることが伺えます。特に今回の「真田手鞠唄」は、徳川の台頭と豊臣の滅亡、そしてその後に至るまでの細かい事実、実際に語り伝えられてきた伝説などの事実が、丁寧に幾重にも積み重ねられています。

 そのしっかりした史実の上に組み立てられた、滑稽で奇想天外な米村ワールドとのギャップは、純粋に面白い!と思えるものですし、あるいは歴史のロマンや夢をも感じてしまうほどです。そこには米村桂伍さんの考える物語の本質があります。それは次のような言葉で説明されています。

民百姓は、伝説を求めているのだ。辛い浮き世を忘れ、楽しませてくれる話を求めているのだ。だから源義経は衣川の館では死なずに蝦夷地へ逃れ、明智光秀は小栗栖で殺されずに天海僧正と化した・・・豊臣秀頼も大阪城で死ぬよりも、落ち延びて鹿児島で暮らしているのだ、と考える方が面白いのだ

 まさしくその通り。古い時代を舞台にした時代小説を私が好きで読み続けるのは、面白い伝説を求めているからです。フィクションであろうと、ノンフィクションであろうと、それは変わりません。

 以前読んだ「おんみつ密姫」も同様に歴史の異説に挑戦した物語でした。しかし、それらよりもこの「真田手鞠唄」のほうが私は気に入りました。テーマが前二作よりも圧倒的に壮大だからなのだと思います。

 それに加えてとても魅力的な登場人物達。「風流冷飯伝」に通じるものがあり、米村ファンとしてはホッと一安心してしまいました。

 お勧め度:★★★★★(米村ファンにも、あるいは米村さんの小説を初めて読む人にもお薦めの一冊)