酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

長崎&佐賀で100名城スタンプを集めつつ美味しいものを食べる旅:2日目(吉野ヶ里遺跡〜佐賀城〜島原城)

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 長崎&佐賀旅1日目からの続きです。唐津の夜は、お酒も食事も美味しすぎてちょっと飲み過ぎたかな?と思っていましたが、旅の高揚感のおかげか意外にスッキリした目覚めの朝を迎えました。

 前日はとても良いお天気で青空が広がっていましたが、この日は一転してどんより曇り空... どころかお昼前早々に雨が降ってくるようです。しかし主な目的は城巡りですから、雨でも曇りでも、それはそれで遺構の風情を楽しむという意味でアリではないかと思います(強がり)。

 さてこの日の行程は前日にも増して強行軍で、まずは佐賀県内の100名城残り二つ、吉野ヶ里遺跡と佐賀城を見たあと、長崎県にもどって島原城まで行かなくてはなりません。100名城スタンプはそぞれのお城の営業時間内にしか押せないので、タイムリミットは決まっていますし、そもそも夜には東京に帰らなくてはなりません。

 机上の計画ではいけそうなのですが、実際どうなのか?自信がないまま唐津を出発しました。

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 3城を巡るだけでも一杯一杯なのに、その合間にどこかで佐賀牛も食べなくては! あー忙しい忙しい...

2日目のルート総移動距離は260km!

 まず最初にこの日の行動予定を確認しておきましょう。3城を一気に巡る強行軍と言うことで移動距離は260kmくらいに達する予定です。車で走る距離としては大したことは無いのですが...



 まずは宿泊地の唐津(A) を出発し、午前中に吉野ヶ里遺跡(B)と佐賀城(C)を見たあと、佐賀市内で昼食(佐賀牛)をとり、その後午後は一気に長崎県南部へ移動して島原城(E) へ行く予定です。その後長崎空港(F)へ戻って東京へ飛ぶ... という予定になっています。

 特に島原城への移動が距離が長く時間が読めないのですが、うまく予定通りにことは進むのでしょうか?

番外編:100名城には入ってない唐津城

 出発の前にいきなり番外編です。宿泊したホテルは唐津城のすぐそばでした。唐津城は残念ながら100名城に入っていません。その代わり続100名城のほうに入っています。

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 この写真はホテルの朝食バイキング会場からの眺め。唐津城は前日に見た名護屋城を解体し、その石や木材を使って建築された城です。そういう歴史的な流れの意味ではこの地域の城巡りに欠かせない城なのですが... 明治まで存在していた城のわりに、全体像がよく分かっていないらしく、発掘調査もまだまだこれからという状況のようです。ですから、現在の天守も想像上の「模擬天守」に過ぎません。

日本最古の城跡? 吉野ヶ里遺跡

 予報よりも早く雨が降り始めた中、唐津からクルマを南に走らせて行きます。まず最初に目指すのは吉野ヶ里遺跡です。100名城巡りなのになぜ吉野ヶ里遺跡? と誰しも思うかも知れませんが、吉野ヶ里遺跡はなぜか100名城にしっかりとリストアップされているのです。つまり、ここは言うなれば、日本最古の「城」なのです!

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 遠くにそれらしいものが見えてきました。手前の荒涼とした河原、雨と霧に煙る山々の様子など、うっかりすると当時のそのままの景色かと見間違えそうです。

 で、あれは本当に城なのか? まだこの段階では半信半疑でした。

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 早速中に入って順路を進んでいきます。いきなり土塁と丸太の柵、空堀に防御用の杭に出くわしました。余所者の侵入を防ぐこの努力は確かに城のようですね...。

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 そしてさらに奥に入れば、背の高い物見櫓に囲まれた集落が見えてきます。ここは南郭内と呼ばれるエリアです。

 もちろん櫓を始め現在ある建物は復元ですが、全ての建物の柱は、実際に発掘された柱跡の上に(もちろん保護措置をとった上で)建てられているそうで、なので上物の細かい形状はともかく、柱の太さと間隔、総本数などから、その上に建っていたであろう構造物の規模感はおおよそこの通りだったはず、と考えられているそうです。

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 櫓だけでなく、こうした一軒一軒の家々も丁寧に再現されています。これらも土が掘られた土間の遺構上に建てられているので、おおよそ家のサイズはこんなものだっただそうです。

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 復元とはいえ、実際に発掘調査で家のあとが出てきたその真上にあるというのに、こうして自由に中に入ることも出来るんですよ。なるほど、2000年前の人々が暮らしていた家はこんな感じだったんですかね。

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 そして吉野ヶ里遺跡で一番大きな建造物がこれ。北内郭に建つ主祭殿です。これも先ほどまでの櫓同様、実際に発掘され発券された柱の跡の上に建っています。太い柱の跡が一定間隔で16本、ほぼ正方形を成していると言うことで、そこから復元するとこのくらいの建造物だっただろうと想像されます。

 この主祭殿がある一角は、さらに厳重な防御がされていました。小さな門に幾重に折れ曲がった鍵型の通路を経てようやく到達できるようになっています。当時は限られた人しか入ることが出来ず、セキュリティには相当気を使っていたようです。そういう意味でもやはりここは「城」の要素を十分に持っていることが分かります。

 さて、遠くから見えていたのもこの建物なわけですが、城的に言うなればこれは天守に相当するのか?と思いきや...

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 内部はこうなっていました。ここはいわゆる宗教的な儀式が行われたり、さらには支配階級による重要な意思決定が成される場だったようです。となると、中世以降の城的に言えば天守と言うよりは本丸的な位置づけと考えた方が良いのかも知れません。

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 北内郭を過ぎてさらに奥までゆくと、四角い盛り土があります。ここはこの地域を治めていた王様のお墓です。いわゆる古墳ってことでしょうか。

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 素朴な外観に似合わず、内部はこんな立派な博物館風の空間になっています。重要なのは地面から出てきた遺構であり、上物はこれまで同様それ風に作った再現物に過ぎません。

 昭和61年に開始された発掘調査でこのお墓の跡が見つかり、全部で14基の棺と、その中のいくつかからは遺骨や副葬品も出てきたそうです。時代的には今からおよそ2000年以上前のもので、かなり身分の高い人達の墳墓らしいと言うことで、ここが邪馬台国跡ではないか? 言われるきっかけとなったそうです。そして吉野ヶ里遺跡は一躍有名になり、発掘が進み、国営公園として整備されるようになったのだとか。

 この遺構と出てきた棺は特殊なコーティングがされていますが、本物がそのまま展示され、周囲を取り巻く通路から中を覗き込んでみることが出来るようになっています。状態を維持するために室内は高湿度に保たれているため、カメラはあっという間に曇ってしまい役に立ちません(これらの写真はiPhoneで撮りました)。

 ちなみに出てきた遺骨はみんな男性だったそうです。しかし遺骨が残っていなかった棺もあるので、この中のどれかは卑弥呼の棺だったのかも?

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 吉野ヶ里遺跡の敷地はかなり広大で、入場券には2日券という設定もあるほどです。確かに全てを見て回るには確かに2日はかかりそう。あまりにも壮大な規模に、ここの見学を1時間で済ませようとしていた私たちの計画は、すでにこの時点で30分以上押してしまいました。

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 もちろんスタンプはちゃんとゲットしました。もしかしたらスタンプを作り直したばかりなのかも。非常にエッジが効いたシャープなスタンプで綺麗に押すことが出来ました。

幕末の銃痕が今でも残る佐賀城

 さて、いきなりスケジュール遅れが発生したので先を急ぎましょう。吉野ヶ里遺跡から次の目的地である佐賀城まではそれほど遠くはありません。多くの城跡はすぐそばが役所になっていることが多いわけですが、佐賀城も佐賀市街の中心部にありました。

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 完全な平城だった佐賀城は、その敷地の多くが別の用途に転用され、城跡として残っているのは本丸部分のみです。その入り口に建つ鯱の門は現存建造物です。石垣のサイズに櫓の大きさが合ってないのはなぜなのでしょうか?

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 その鯱の門を正面から見たところ。この巨大な木造の門扉や柱には、明治初期に江藤新兵らが起こした佐賀の乱の爪痕として、銃痕が多数残っています。よくもこの門が焼かれずに残ったものだと思います。現在この門は重要文化財に指定されています。

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 その奥には本丸御殿を復元した建物があり、内部は佐賀城本丸歴史館となっています。かなり新しいようです。

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 内部はこんな感じ。それにしても高知城の本丸御殿などと比べるとかなり規模が大きいです。廊下でこのサイズですから。お座敷もたくさんありましたが、100人規模の大宴会が出来そうな巨大な部屋でした。佐賀藩はこんなに大きかったのか? それとも単に見栄を張っただけなのか

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 そして一番奥にある御座の間は殿様の居室。この御座の間部分だけは明らかに木材などに年季が入っているのですが、この建物だけは現存していたものだそうです。ただし、廃城後に一度別の場所に移築され改造されていたものを、再び元の場所に移築し直したものだとか。

 佐賀城の殿様と言えば、鍋島氏です。昨夜美味しく飲んだお酒の銘柄にもなっているあの鍋島です。座布団に座っているのは幕末期の鍋島直正公。隣に空の座布団があるように、ここは自由に入って写真が撮れるスポットになっています。もちろん鍋島直正公とともに記念写真も撮ってきました。

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 ということで、佐賀城スタンプも無事に押せました。西南戦争へと続く明治初期の士族反乱の地でもあり、幕末好きな人には堪らない城跡ではないかと思います。城にしては珍しいくらいに真っ平らで、敷地も狭いので見学にはそんなに時間もかかりません。

お昼ごはんには佐賀牛をがっつり頂く

 さて、佐賀城見学で幾分取り返しましたが、依然として計画はやや遅れ気味なのですが、佐賀ではどうしても食べておかないといけない名物グルメがあります。それは、ふるさと納税返礼品でもダントツの一位だという佐賀牛です。昨夜の唐津のホテルにおける夕飯にも、豆乳しゃぶしゃぶとして佐賀牛が出てきましたが、もっとがっつりステーキでも食べたいと思っていました。

 ということで、お昼ごはんには佐賀牛のお店として一番の有名どころ「季楽」の佐賀本店を目指します。JA佐賀直営のレストランと言うことで肉質に間違いないでしょう。実は東京にもお店はあるのですがまぁ、そういう野暮なことを言ってはいけません。佐賀で佐賀牛を食べるという点がこの際重要です。

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 佐賀牛ステーキランチが4,900円也。他にもいろいろ魅惑のメニューはありましたが、お値段的にはこれが限度です。

 ということで、早速美しいお肉がやってきました。これで一人前です。正直なところ「えっ!これだけ?」と一瞬思いましたが... そうですよね、こんなものですよね(A^^; 仕方ありません。

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 その代わりと言っては何ですが、野菜は超たっぷり。食べきれないくらい出てきました。この野菜分を小さな佐賀牛の肉片に代えてもらいたい... なんて言ったらバチが当たりそうですが、実際これらの野菜もとても美味しかったです。

 それにサシのしっかり入った高級肉は、脂ですぐにやられてしまうので、こうした野菜とか美味しく食べるためにも必須です。

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 ステーキランチと言いながら、肉は自分で焼くというシステムでした。ほとんど焼肉感覚ですね。いえ、良いんですよ、焼肉大好きですから。焼き加減も自分で調整できますし、食べ方も自由です。

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 タレは2種類出てきました。普通の醤油だれと白い方は生姜ダレでした。ただし、見た目と違ってどちらもかなり上品な風味でした。このくらいじゃないと佐賀牛の旨味が生きてこないのかも。

 でも我慢結局できなくて、最後は醤油を直差ししてしまいました(^^;

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 何度も言ってますが、世界一多いしい食べ物、焼肉オンザライス(またはステーキ・オンザライス)です。普段ごはんは一膳しか食べないのですが、今回ばかりはお代わりして、たっぷりと佐賀牛で食べる白米という贅沢を堪能しました。

 そうしてゆっくり味わってみれば、最初に「少ない...」と思った肉は、実はそれなりの量があったというか、食べ応えは十分ですっかり満足することが出来ました。肉は見た目だけでは分かりません。

 超有名人気店とあって、かなり混んでいましたが、待ち時間は約30分ほどです。食べるのに1時間ほどかかってしまったので、ただでも遅れていた予定は更に遅れてしまいました。

 とは言え、やはり佐賀牛をパスするわけにはいかないので仕方ありません。なんとか巻き返しましょう!

日が暮れて終了時間ギリギリに滑り込んだ島原城

 さて、冒頭でも触れたとおり、この日一番の難関は佐賀市内から島原への移動です。高速道路で諫早まで一気に移動し、その後下道で雲仙岳をぐるっと回り込みながら島原へと向かいます。

 佐賀を出発した時点で午後2時半を過ぎていました。ナビが示す島原城への到着時刻は午後5時です。午後5時と言えば一般的に見学受付時間は終了していそう。窓口がやってなければスタンプも押せません!心配になって電話して聞いてみたら、午後5時半までは窓口は開いてるとのことでした。うん、何とかなりそう!

 諫早ICを下りたのが午後3時40分。ここから島原街道で約40kmほどの道のりは、順調に流れていれば問題ないところですが、途中しばらく渋滞して流れが悪かったせいでかなりドキドキした結果、なんとか午後5時直前に島原城に到着することが出来ました。しかも島原城は駐車場が天守の真下にあって、スタンプが置いてある窓口まで駐車場から徒歩0分です。でも焦っていたので駆け込んでしまいました。

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 島原城の天守です。悪天候の上にすっかり日は暮れて、せっかくの写真もこんな薄暗い感じになってしまいました。

 島原藩はわずか4万石の小藩だったにもかかわらず、こんな感じの5層の立派な天守を持っていたそうです。この城もやはり廃城令とともに取り壊されてしまったということで、現在あるのはコンクリート復元天守です。

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 せっかくなので、一応中も見て回りましたが... 営業終了まで30分を切っていたので、周囲の遺構など細かい部分も含めほとんど見学する時間はありませんでした。残念!

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 大きな天守からの眺めは雨の日没後ながらなかなか良かったです。雲に隠れてかなり大きな山が見えますが、これは雲仙岳ではなくその手前にある眉山だそうです。この山ももちろん火山で、江戸時代末期には山の半分が山体崩壊を起こすほどの噴火を起こしたとのことですが、島原城と城下町は何とか助かったのだとか。

 反対の海側は晴れていれば対岸に熊本と阿蘇山まで見通せるそうです。是非その景色を見てみたかったですが、この日はどんより海もねずみ色で視界があまりありませんでした。

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 天守横の小さな櫓には、長崎の平和祈念像で有名な彫刻家の北村西望記念館があります。実は島原城では一番の見所として、事前にお勧めされていたのですが、残念ながら時間切れ。幸い屋外にもいくつかの作品が展示されていたので、それらを眺めることは出来ました。

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By 663highland, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31752965
 島原城は本当はこんなに綺麗で格好イイ城なので、石垣やその他城郭の遺構などもじっくり見てきたかったところですが...

 でも、またいずれ長崎には来ることになると思っています。世界遺産巡りもあるし、特に軍艦島は絶体に一度見てみたいですし。なので、またいずれ再訪を誓って今回は涙をのんでとんぼ返りすることにしましょう。

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 もちろん肝心のスタンプはしっかりもらってきました。ですから一応最低限のミッションは完遂することが出来ました。

また行くぞ九州!

 以上、わずか一泊二日の九州初上陸の旅でした。今回はとにかく100名城スタンプにこだわって、移動ばかりしてしまいましたが、これが本来のスタンプラリーなのか、あるいは100名城スタンプの趣旨を台無しにしてしまっているのか、ちょっと自身がありません。

 でもたまにはこういうテーマと目的をハッキリ決めた旅も面白かったです。さらに、いろいろ美味しいものも食べることが出来たおかげでかなり満足度が高いです。

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 最後東京に帰る飛行機を待つ間、長崎空港で五島うどんを頂きました。なるほど!こういう細麺なんですね。うどんといえば博多も有名でしたっけ。

 旅レポで「また来るぞ!」はお約束の〆ですが、長崎はそういう社交辞令とかではなく、本当にまた来なくてはならないと思いました。九州はたっぷり時間をかけて自分の車で走るのも良いかな?とか思ってます。

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

 100名城スタンプは年明けで開始からまる3年が経過しますが、今回5つも稼いだことにより全部で30個になりました。今年だけで11個(ブログ未報告も含む)と予定よりも巻き気味で進んでいます。この調子でいくと本当に10年で終わるかも?

 これまでのところわりと西日本の進みが早いのですが、来年以降は東日本を重点的に攻めていこうかと思っています。

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