写楽とは蔦屋そのものである:写楽 閉じた国の幻/島田荘司

投稿者: | 2013年8月2日

写楽 閉じた国の幻〈上〉 (新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈上〉 (新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈下〉 (新潮文庫)

写楽 閉じた国の幻〈下〉 (新潮文庫)

世界三大肖像画家、写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヵ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、誰も知らない。歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎―。発見された肉筆画。埋もれていた日記。そして、浮かび上がる「真犯人」。元大学講師が突き止めた写楽の正体とは…。構想20年、美術史上最大の「迷宮事件」を解決へと導く、究極のミステリー小説。

 島田荘司さんの「写楽 閉じた国の幻」を読みました。450ページ級の文庫、上下巻という大作です。しかし退屈することなく一気に読ませる力があります。

 タイトルはネタバレをしたわけではありません。しかしこの小説が言っていることは結局これにつきると思います。写楽の正体がいったい誰であるにせよ、その正体を完全に秘匿したまま、当時の日本はもちろん世界のどこにもない独特の絵画(実際は版画ですが)を世に送り出した蔦屋重三郎の眼力と功績は、あの素晴らしい大首絵を描いた絵師以上に大きなものなのですから。

 そうです、この本は写楽の正体を追う人々の物語です。あまりにも有名な写楽の謎は、小説の題材としても多数取り上げられてきたものであり、実際に私も松井今朝子さんの「東洲しゃらくさし 」や、宇江佐真理さんの「寂しい写楽」と言った、写楽を題材にした時代小説を読んだことがあります。

 しかしこの小説は、当たり前の写楽小説とはひと味もふた味も違うものでした。そもそも時代小説ではなく、現代で写楽の謎を追う研究者が主人公であり、時折蔦屋重三郎の時代に物語は飛んでいったりする独特の構成とプロットもそうですし、なかでも特にこの本が結論づける写楽の正体には、まさか!と度肝をぬかれます。
 多少時代小説が好きなだけで、浮世絵にも歌舞伎にも詳しくない私のような素人にとっては、これが事実だと完全に信じ込んでしまうだけの説得力があります。実際、読後にネットで探した「大谷鬼次の江戸兵衛」の画像をを見ていると、もはやそうとしか思えなくなってくるのです。

 この本で取り上げられている写楽の正体に関する新説と、それを導き出す過程は、全くの架空の作り話、根拠のないフィクションではなく、作者たる島田荘司さんが調査し、考えたことがそのまま書かれています。つまり根拠とする歴史的事実は実際に存在します。そのことは著者あとがきで詳しく説明されています。ですので、この小説内で写楽の正体を追う主人公の佐藤貞三とは、島田荘司さんその人の姿であると言えるのだろうと思います。

 前回読んだ写楽もの小説「寂しい写楽」では、一般的にもっとも有力とされている「写楽=斉藤十郎兵衛説」が採用されていました。その感想文で私は「これまでの研究でほぼ写楽の正体は分かっているらしい」と言うようなことを迂闊にも書いてしまいました。それは「寂しい写楽」自身にそう書いてあったのではなく(そもそもこの本は写楽の正体を探る物語ではありません)、読後に調べたWikipediaの写楽の項に書かれていたことを鵜呑みにしただけなのです。そう、うっかりしてWikipediaの罠(→詳しくは編集方針:検証可能性を参照)に落ちてしまったのです。Wikipediaは「一般にそう思われていること」が書かれるものであり「真実かどうかではない」のです。

 しかし、今回この本を読んで、その主流とされている斉藤十郎兵衛説は論理的にいって「真実ではない」と言うことを私なりに確信しました。斉藤十郎兵衛説をはじめ、これまでに発表されてきたあらゆる写楽の正体説の全てを否定してしまう究極の謎がある、と佐藤貞三は、いや島田荘司さんはこの本の中で言います。

 それは、写楽に関する数多くの謎の中でもとりわけ一番大きなもの、「写楽について告白した人が誰もいないこと」だと。

 時の江戸一の大版元、蔦屋重三郎が大金を投資して出版した寛政六年五月の芝居絵。そんな破格の扱いを受けた写楽について、なぜかその素性に触れた資料は一つも残っていません。当時はすでに書類文化の時代だったのに。江戸の街は世界で類を見ない程、庶民の識字率が高い出版王国だったのに。
 それに写楽はこれらの役者絵を描くために芝居小屋三座を全て見て回ったはずですし、彫り師や刷り師と言ったたくさんの人が写楽作品の制作に関わり、さらには蔦屋の周囲、それはとりもなおさず写楽の周囲には時の有名な作家や絵師たち、たとえば山東京伝、十返舎一九、曲亭馬琴、葛飾北斎、喜多川歌麿といったそうそうたる面々がいたはずなのに、ひとつの噂話も残っていません。

 たとえ蔦屋が何らかの理由で写楽の正体について関係者に口止めしていたとして、その写楽自身が一年あまりで消え、蔦屋がこの世を去ってからも、誰一人として写楽について一言も触れず、少しの噂も残していないのはあまりにも不自然すぎるというのです。「実はね、写楽ってのが昔いたけど、あれはね…」と、なぜ誰も告白をしなかったのか。その他無名無数の絵師たちについてはたいてい記録が残っているのに。そうそうたる文化人、自己顕示の強い芸術家が周囲にいて、どうして誰も口にせず、書きもせず、秘密を守ったまま死んでいったのか? 秘密はその価値が高い程、漏れる可能性も高いものです。写楽の秘密は語るほどの価値がなかったのか? いや、これだけ大量の作品が残っているのに、そんなはずはありません。

 それは… ここから先はこの本を読んで確認していただくよりありません。そういう意味ではこの本はミステリーであり、立派な写楽研究論文でもあるのだと思います。蔦屋のいた江戸時代を描いた部分は、時代小説として、江戸の街や時代の空気の描き方として、私としては納得のいかないところもありましたが、それはこの小説にとっては些細なことです。

 そして私が最後に感じたのは最初に書いたとおり、写楽の正体が誰であったにせよ、写楽の作品をこの世に生み出した一番の功労者は蔦屋に他ならないと言うことです。

 写楽の役者絵は今でこそ浮世絵の代表格とされていますが、当時の江戸の基準ではおよそあり得ないものでした。実際、写楽はじめ浮世絵の芸術的価値は日本では誰も気づかないまま明治維新を迎え、開国後の貴重な輸出品となった陶磁器の緩衝材の屑紙として浮世絵が使われて、ヨーロッパに伝わったというのは有名な話です。

 およそ100年先の審美眼を持っていた蔦屋重三郎は、謎の絵師、写楽にこう語りかけます。

打ち壊さなきゃなあ、腐っちまうのよ、屋台骨が、虫食って。それが古い家。だからな、一度は打ち壊さなきゃなんねぇんだ、自分でよ。いいぜ、どんどん描いてくんな。ちっとも遠慮はいらねぇ、江戸歌舞伎ぶっ潰すくらいの勢いでひとつ頼むぜ。そうやってな、新しいものは生まれるのよ。そうじゃなきゃ、続かねえ。

 写楽と蔦屋は時代の改革者でした。浮世絵を、歌舞伎を、江戸の街を、そして日本を自らの手で壊し、新しく造りなおそうとした改革者です。いつまでも続けていくために。

【お気に入り度:★★★★☆】