高知の旅では四万十川の美しい風景と、坂本龍馬の足跡に加えて、もう一つ行かなくてはならない目的の場所がありました。それは高知市街のほぼ真ん中に位置する高知城です。四国の南部は戦国期には長宗我部氏が支配していた地域ですが、豊臣家とともに長宗我部氏は滅び、代わりに掛川からやってきた山内氏が江戸時代を通して明治維新までずっと支配してきた土地です。
高知城はその土佐藩初代藩主 山内一豊が、それまであった小さな城をベースにして新たに建てたもので、最後の藩主となった16代 山内豊範の時代に至るまで土佐藩の中心拠点として使われていました。天守を含む主要な建物は、江戸時代中期に一度火災により焼失してしまいましたが、その後再建され、現在に至るまで天守のみならず、本丸御殿や追手門など多くの建物が現存しています。
日本全国で天守が残っている城跡は12城ありますが、本丸御殿が残っているのは高知城だけ。維新にも深く関わった土佐という土地で、廃城令による取り壊しも免れ、太平洋戦争の空襲からも逃れることができ、幾多の地震や台風などの自然災害にも耐え、約300年経過した現在に至るまで奇跡的に残っている城と言えると思います。
そんな貴重な遺構である高知城は、もちろん日本100名城に選ばれています。ですからスタンプを押してこなくてはなりません。それがこの高知の旅の最終目標です(^^;
追手門から二の丸へ
高知城跡の入り口は城郭の東側にある追手門です。ここから入ってみましょう。現在の城跡は公園として開放されており入場料はかかりません。
天守を遠くに望みつつ、この手前にある立派な櫓門が追手門です。高知城跡に残る現存建築物の中でも、この門だけは江戸時代中期の大火を免れ、山内一豊時代の築城当初から残っているものだそうです。素晴らしい!
これまでに何度も修復されているのでしょうが、いずれにしてもそんなに古いものとは見えないくらいしっかりした建物です。
かなり大型の石を使ったこの辺りの石垣は良い感じに苔むしていますが、明らかに上部の石積みは修復されているようなので、追手門周辺のこういった狭間付きの壁なんかは再現されたものなのでしょうか。
追手門をくぐって天守を目指します。高知市街は平らなので高知城も平城かと思えばそうではなく、城はやはり高いところにあります。江戸城だって実はちょっとした山の上にありますし。いわゆる平山城というタイプかと思います。
高知城は元々、大高坂山という山を利用して建てられたものだそうです。長宗我部氏の時代から城はあったと言われていますが、現在の立派な城郭に仕上げたのは山内氏の時代になってから。自然の山肌はもはや感じられず、何段もの石垣で固められています。
なおこの写真の右下に小さく写っている銅像の人物は坂本龍馬と同世代の土佐藩士で、明治政府でも活躍した板垣退助です。
この良い感じの石垣に飛び出た石樋は高知城名物の一つだとか。昔から雨の多い土地と言うことで、高知城は綿密な排水設計がされているのだとか。この石樋はその雨水を排水するためのもので、水が石垣の表面を崩してしまわないように飛び出ているそうです。実際、樋の下とそれ以外では石垣の色が変わっているのが明らかに分かります。
杉ノ段には横矢掛りを形成した石垣がずっと続きます。それほど大きくない不揃いな石を見事に積んだこの野面積みの石垣、とても格好良いですね。高知城の石垣はほとんどが400年以上前に積まれたもので、近江から穴太衆を呼び寄せて作らせたものだとか。これだけの規模の野面積みは壮観です。
さらに二の丸に上がっていくと城内はうっすらと紅葉が見られました。古い石垣と紅葉は良く合いそうですが、残念ながらほんのちょっとだけでした。
ここにも明らかに櫓門が合ったと思わせる石垣は、積み方がそれ以外とは異なっていますね。時代が異なるのでしょうか?
詰門を抜けて本丸へ、そして天守に登る
階段を何段も登り切り、いよいよ高知城の中心部へやってきました。本丸と天守は目の前です。
本丸へ抜けるには詰門を通り抜けないといけません。二の丸から見ると本丸への玄関のようになっています。これももちろん現存建築物。
横から見ると櫓門でもあり、二の丸から見ると玄関のようでもあり、中はこうした幅の広い廊下となっています。右の襖を開けると何があるのでしょうか?
そして見ての通り、廊下の先、本丸に出る部分は一段高くなっており、先の見通しが利かないようになっています。これも防御のための構造だそうです。用心深いですね!
ということで、詰門を抜けると本丸へ出ます。目の前にあらわれた本丸御殿と天守は、思ったよりも全体的にかなり小ぶりで良い感じです。実際のところ、姫路城などが特別に巨大なだけで、普通に25万石クラスの大名の居城はこのサイズ感だったのでしょう。
それでも山内一豊が建てたという初代の高知城天守と本丸は豪華絢爛な装飾が施されていたそうですが、大火によって焼けた後に再建された現在の天守は、質実剛健にして質素です。
3層6階建ての天守は格好イイ!さすがにここから先、本丸と天守の中を見るのは有料になります。早速中に入ってみましょう!
現存する本丸御殿というのは日本中でもこの高知城だけですから、何でもないこの古い座敷の様子は実に貴重なものです。畳の上には上がれませんが周囲を巡る廊下からじっくりと中を見ることができます。ここの欄間は波を象っているのでしょうか? 太平洋に面した土佐らしいデザインです。
殿様の御座がある上段ノ間も結構質素で思ったよりずっと小さかったです。床の間に段違い棚があり、ちらっとうつってるてんじょうはもちろん格天井です。そして、ちゃんと武者隠しがあるわけです。廊下を回り込むと武者隠しの中も見られるようになっています。
いやー、これ本物なんですよね。幕末に山内容堂が後藤象二郎と大政奉還の建白書について話し合ったのもこの座敷なのでしょうか? いや、あれはもう京都の出来事なんだろうか?(スミマセン、その辺よく分かっていません)
いずれにしろ、土佐藩の藩政が長い間行われてきた、その現場であることに間違いないはずです。
さて、本丸御殿からいよいよ天守の中へ向かいます。天守は他の多くの城と同じで、日常の政務が行われていた場所ではないので、内部にも一切の装飾もなく、もちろん畳も敷かれていません。むき出しの梁とかも超格好良いです。階段も実際にはほとんど梯子じゃないかと思える急角度です。上り下りに注意しないと危ないです。
城跡の展示物に必ずありがちなジオラマです。実物の建物を再建するのは大変ですが、模型なら作れますから。元々の城郭全体像がよく分かるので必須の展示物だと思います。
高知城は、石垣はほぼ完璧に残り建物ももっとも多く残っている城跡なわけですが、やはり現役時代の姿と今残ってる姿ではかなり違っています。現在残っていない建物のほとんどは廃城令で取り壊されました。かといって、ちょっとした山城であまり開けた空間がなかったおかげか、全て更地にして市役所や学校を建てたり、軍が使用することもなかったのだろうと思います。(そうして土地が再利用されることで跡形もなくなった城跡はたくさんあります)
天守内にはこんな展示物も置かれていました。これらは築城工事の様子を再現したものだそうです。特に石垣のための石の調達には苦労したそうで、船で遠くから運んできたものだとか。雨が多い上にかなり巨大な石垣を積まないといけないこともあって、相当な難工事だったようです。
ということで、最上階まで上がってきました。天守には神様が祀られていることも多いですが、ここには何もありませんでした。うん、本来城ってこういうものなんじゃないかと思います。なお、天井はしっかりと格天井になっていました。
テラスはかなり狭いです。誰かとすれ違うことはできないと思われます。黒漆の扉は高知城天守の外観のアクセントにもなっていますし、高欄に擬宝珠が付いてるのも特徴となっています。見物客が誤って転落しないように現在は鉄柵が後付けされていますが、それでも結構怖いです。
本丸入り口玄関あたりを見下ろしてみました。もともと小高い山の上に建っている天守の一番てっぺんにいるわけですから市街の眺めも抜群です。
それに… 高知は中心部にもあまり高いビルがないですし(^^; いえ、今回泊まったホテルは22階建てでしたけど、お城からはちょっと遠いところにありました。
いずれにしろ、この城が現役だった当時、この眺めを見たことのある人は極一部だったはずです。坂本龍馬も城下町からこの天守を見上げていたことはあっても、見下ろしたことはないはずです。
瓦屋根が複雑に折り重なっているところは格好良いです。これも本丸まできっちり残っているおかげかと。青銅の鯱やこれらの瓦も全て建築当時のものなんですよね。
ということで、貴重な現存天守をゆっくりと堪能できました。大きすぎず、小さすぎず、混みすぎてもおらず、そして何よりポツンと天守だけ残っているのではなく、本丸御殿とともに一連の建物が残っているのは本当に素晴らしいです。
天守を出て帰りがけに石垣の下から天守を見上げて見ました。右の出っ張りは石落とし。左に少し見えているトゲトゲは竹製の忍び返しだそうです。そして真ん中付近には、先ほどよりもかなり小さめの排水用石樋も見えています。石垣の色やコケの付き方で、水の流れが見えるようです。
ちなみにこんな素晴らしい状態で現存している高知城は国宝ではなく重要文化財です。旧制度では国宝だったそうですが、新制度が導入され「重要文化財」というカテゴリーができたときに、変更されたままとなっています。
建築年代は比較的新しいですが、詰門からの流れと本丸と一体で残っている唯一の城として、国宝でもおかしくないと個人的には思いました。
25個目の100名城スタンプゲット!
さて、肝心のスタンプですが本丸の入り口、入場券を売ってる窓口に置いてあります。
はい、無事にちゃんと押せました。この記事の2枚目の写真とほぼ同じ構図で追手門から見た天守の姿がデザインされています。
なお私の100名城スタンプ帳はこれで25個目となりました。始めてから3年弱で25個ですから先はまだまだ長いです。
スタンプが置いてある窓口はちょっとしたお土産物も売っていたわけですが、その中に気になるものを見つけてしまいました。
なんと「城カード」なるものが売られているではありませんか。ダムカードは知っていますが城カードとは?そんなものあったんだっけ? 何なのかよく分かっていなかったのですが、どうしても気になったので買ってしまいました。
その後調べてみると、どうやら城カードとは現存天守12城限定で発行しているものだそうです。もちろん高知城で売られているのは高知城のみ。カラー印刷されたカードが一枚200円也。現存天守ですでにスタンプをゲットしているのは姫路城と丸亀城だけだから、これから集め始めてもなんとかリカバリーできそうです。
調べてみたらこの城カードもちゃんと日本城郭協会が企画したもので、しかも今年の10月末から販売が始まったものだそうです。続100名城スタンプも気になっていますし、すっかり手のひらの上で踊らされてる感じですが、とりあえず100名城スタンプに加え、現存天守12城の城カードも集めることにします(A^^;
番外編:はりまや橋とひろめ市場、豊穣祭
高知城見学記は以上なのですが、せっかくなのでおまけとして高知市内で他に行ってみたところを紹介しておきます。
ひろめ市場
観光客的に高知で飲み食いすると言えば「ひろめ市場」をお勧めされることが多いです。もちろん行ってみました。
実は高知城のすぐ近くにあったりします。入り口も何カ所かありますが、タクシーに乗ったら北側に付けてくれました。空がうっすら明るいですが、時刻は午後5時を過ぎたばかり。
中はまぁすごい状態でした。店舗に独自のテーブルを持ってる店もあれば無い店もあって、こうした自由な飲食のテーブルが並んでいますが、ほぼ満席状態。スキー場のレストランのような場所取り合戦が行われています。でも、何というか結構どっしり腰を落ち着けて飲んでる感じの人が多くて、この自由なテーブルに席を取るのは諦めました。
ということで、独自席を持つお店に適当に入ってみました。そこで食べるのはもちろん高知名物カツオのたたきです。上がタレで下が塩。カツオにも塩とタレがあるなんて始めて知ったかも。生ニンニクが付いてくるのは高知風の食べ方だとか。
肉厚のカツオにニンニクとワサビを乗せて、塩をつけて食べると超美味しいです。かなり気に入りました。もちろんネギたっぷりでやっぱり生ニンニク付きのタレもいけます。
高知と言えば日本酒も色々あります。土佐鶴とか、桃太郎とか、一通り土佐の地酒が揃っていました。その中から山内容堂公に由来を持つという酔鯨を飲んでみました。口当たりはトロッとして甘く感じますがふんわり風味豊かでのどごしはキリッとしています。
他にもちょっとつまみを頂いて、さっと帰ることに。ひろめ市場では餃子も有名らしいですが、その餃子屋は出来上がるまで40分待ちと言われたので諦めました。また別の機会にしましょう。
帯屋町商店街からはりまや橋へ
ひろめ市場を出て、関西風の大きなアーケード商店街を散歩してみます。
なんか良い感じのお店を眺めつつ…
かの有名な「はりまや橋」までやってきました。日本三大がっかりスポットの中でもダントツ一位に挙げられることが多いそうです。
うーん、なるほど… これはアレですね。
もちろん渡ることも出来ます。というか渡り放題です。
もちろんこの橋は再建というか、復元というか、そもそも堀川も埋められて無くなってしまったわけで、名前の由来となった播磨屋もなく、橋自体に価値があるのかどうかよく分かりません。この土地の歴史が重要なのだろうと思います。
はりまや橋のすぐ脇は大きな交差点になっています。
はりまや交差点では高知市内を走る路面電車が交差する地点でもあり、全方向からの右左折が可能なフルジャンクションになっているのが特徴だとか。
中央公園ではお祭りもやっていました。たくさん屋台が出て賑やかでした。
ということで、高知の旅に関するエントリーは以上で終了です。お天気に恵まれて本当に良かったです。まだまだ見てないところがたくさんあるので、いつかまた再訪したい街リストに入れておくことにします!