タイムマシンが登場する時代小説:通りゃんせ/宇江佐真理

投稿者: | 2015年6月12日

通りゃんせ

通りゃんせ

平凡な25歳のサラリーマン、大森連はツーリングに出かけた先で道に迷い、滝の裏に落ちてしまう。目覚めると、そこはなんと天明6年の武蔵国中郡青畑村―!?時次郎とさな兄妹の許に身を寄せ、川の氾濫や重い年貢が招く貧困等、江戸の過酷な現実を目の当りにしていく連。天明の大飢饉のさなか、村の庄屋が殺害される事件が起こり、連は思い悩みながらも自らの運命を切り拓いてゆく―。感動の長編時代小説!

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 天切り松を読み終わった後、Kindleストアで時代小説を検索し、何か良さそうな本はないかな?と探してみました。藤沢周平、池波正太郎、山本一力、井川香四郎… なるほど、結構色々出てるのね、と感心しつつ次の一冊として買ってみたのは久しぶりの宇江佐真理さんの小説です。

 「通りゃんせ」というタイトルの語感などからしても、宇江佐さんお得意の女性らしい視点で書かれた江戸市井を舞台にした人情物語かと思えば、書き出しはいきなり次のように始まりました。

 国道20号線から京王線沿いの裏道に入ると、大型トラックと乗用車の数は、ぐっと減った。国道20号線の上には首都高速4号線が走っているので騒音がひどい。歩道も狭く、歩行者の邪魔にならないように注意してマウンテン・バイクを進めなければならなかった。

 これは何か間違った本を買ってしまったか?と思って改めて表紙に戻ってみると「通りゃんせ」で間違いありません。表紙絵も時代小説風ですが、よく見ると自転車が描かれています。これは宇江佐真理さんもとうとう現代物を書くようになったのか?と、半分がっかりし、半分は期待しながら読み進めてみることに。

 国道20号線を進んでいった自転車が小仏峠を越えた辺りで事件が起こります。上に引用した要約にも書かれているとおり、この小説は江戸時代にタイムスリップしてしまった現代の若者の物語です。テレビドラマにもなった「JIN-仁-」みたいなものでしょうか。

 自転車に乗っていた主人公の大森連がタイムスリップした先は、江戸時代中期のとある農村です。時代小説の中でも農民の暮らしを描いたものは珍しいのではないかと思います。少なくとも私はあまり読んだ記憶がありません。ぱっと思い出すのは岩井三四二さんの「村を助くは誰ぞ」くらいです。

 ともかく、想像していたのと違う荒唐無稽な設定にやや戸惑いながらも、次第に物珍しい農村の暮らしと風景は新鮮だなぁ、と思いながら読み進めてみました。

 江戸時代、課税の義務を追っていたのは農民だけ。町人や職人は直接的には無税でした。もちろん大店の主ともなると、地域の自治と実質的な地域福祉の責務(長屋を建て庶民の生活を支援する)を負うと同時に、あるいは公共の財政負担を担ったりはしていたわけですが、いずれも間接的なものです。

 有名な「生かさず殺さず」という言葉に代表されるように、農民たちは虐げられ、貧困にあえぎ、奴隷のように扱われていたのでしょうか?

したども時次郎さん。我慢するにも程度があるぞ。日照りや冷害で米が穫れねェのに、年貢は決まりだから出せっつうのも道理が通らねェ。おら達にめしを喰うなと言ってるようなもんだ。

 連がタイムスリップした先の農民達は、庄屋の家に集まって米の生育状況と今後の見込みについて相談をしています。農民と言えば年貢と一揆というステレオタイプ。やっぱり話はそこなのか…。というのも、時代はちょうど天明の頃。浅間山が大噴火をし、田沼意次が失脚し、北日本を大飢饉が襲った時代なのです。

 農民達には農民達の生活があり、その領主たる武士には武士の生活があります。米が穫れないということは、農民達が飢えると同時に、武士達も飢え、行政が停滞することを意味していました。ならば何を目的に彼らは一揆を起こすのか? 飢饉に見舞われ、一揆を起こした農村はどうなってしまうのか? 一起訴しないまでも、どのようにして当時の人々は大飢饉を乗り越えたのか?

 出だしはタイムマシンが登場するファンタジーでありながら、その中身はとても硬派な昔の社会問題を扱った難しい小説でもあります。

 しかし最終的な物語の落ちは、農民達のその後ではなく、連は現代に戻れるのか? きっと戻れるはずだけどどうやって? と言うあたりになるのでしょう。正直な感想として、全体的にストーリーはイマイチ入り込めなかったのですが、その落ちを知らずにはやめられない、というモチベーションで一気に読み切りました。

 Kindleだと惰性で持ち歩きなんとなく読めてしまうので、こういった気乗りのしない小説も労せず読了できて良いかもしれません。読み終わっても本棚を圧迫しないですしね。