人は昔から猫と共に生きてきた:江戸猫ばなし

投稿者: | 2014年11月30日

江戸猫ばなし (光文社時代小説文庫)

江戸猫ばなし (光文社時代小説文庫)

町人の市助は、ひょんなきっかけで“猫寺”での肝試しに挑む羽目になった。ところがそこには世にも怖ろしい秘密があって―(赤川次郎「主」)。江戸を舞台に、愛らしい猫たちと、人々の粋が織りなす数々の物語。ほろりと泣ける人情話や、あっと驚く奇譚など、七人の名手が思う存分に江戸の猫を活写!全編新作書下ろしで贈るとっておきの豪華時代小説アンソロジー!

 ここ2ヶ月ほど時代小説から遠ざかっていました。特に理由はなくて何となくなのですが、読む気がしないなら無理はせず、読みたくなるまでしばらく時間をおくことに。そして久しぶりに本屋さんに行って何となく手にしたのがこの本。ほとんど表紙絵と表題で買ったようなものです。それも買ったのは1ヶ月ほど前。重い腰を上げてようやくこのほど読み切りました。うん、久しぶりに読むと、やっぱり時代小説は良いです。

 この本は光文社文庫30周年に合わせて企画されたものらしく、7人の作家さんによる「猫」をテーマとした時代小説アンソロジーです。編者は光文社文庫編集部となっています。しかも既発表作の中から集めてきたものではなく、なんとこの文庫のために書き下ろされた新作ばかりだそうで、とても贅沢な一冊だと思います。

 寄稿している作家さんは、赤川次郎、稲葉稔、小松エメル、西條奈河加、佐々木裕一、高橋由太、中島要の7人。私が読んだことあるのは鼠シリーズでおなじみの赤川次郎さんだけ。赤川次郎が鼠ではなくて猫の時代小説を書くとどうなるのか? やっぱり三毛猫なのか? と言うことにも興味がありますし、新しい作家さんの作品を読むのも、この時代小説倦怠期を抜け出すにはちょうど良さそうです。

 さて、猫と言えば今の時代でも、ペットとしてだけでなく、野良猫まで大人気です。愛くるしい反面、クールで図太いところがあって、まさに”ツンデレ”(もしかして死語?)の王道を行く生き物。そんな猫はと人間との関わりは江戸時代から変わっていないようです。時代小説を読んでいると、犬は滅多に出てきませんが、猫はよく出てきます。そのツンデレぶりも昔から変わっていません。

 今作に収められた七作は、ほとんど全てがファンタジーでもあります。猫と言えばやはり何を考えているか分からない面があり、化け猫まで行かなくても、その裏には何かがあると考えられていたのでしょうか。

 第七話、中島要さんによる「鈴の音」にこんな一節があります。

尾が二つあったら、猫又に決まっているではないか。そんな猫を飼うなんて間抜けな百姓がいたもんだ。

 思わず笑ってしまいました。本当に当時の人がそう考えていたかは分かりません。でも、猫と、猫又(化け猫)はこんなにも人々の生活のそばにいたのか、と思うと化け物の話しだというのにほっこりしてしまいます。

 そして第三話、西條奈加さんによる「猫の傀儡」では、人には決して分からない、猫の側から見た人間像が出てきます。

耳はわずかな音の違いや息遣いを、鼻は唾や汗のにおいを、ヒゲや尻尾まで全て使いこなせば、足りない言葉は十分に補える。何よりも得意なのが、嘘のにおいを嗅ぎわけることだ。人ってのはどうも言葉をあてにし過ぎる。口にする半分が嘘だと言うことに案外気づいていない。

 本当に猫にそう言われたかのように、ドキッとしてしまいました。あの何もかも見透かしているかのような、クールな目はそういう意味だったのか!

 もちろん第一話目の赤川次郎さんの「主」も素晴らしかったです。この人は勝手な先入観とは違って、意外なくらいにハードボイルドな物語と文章を書くんだな、と改めて発見しましたし、その他の今作に収録されている物語はどれもこれお勧めです。

 小説はもちろん好き嫌いがあって、時代小説、しかも江戸市井ものと言っても、読んでいて好きな作家さん、あるいは今ひとつ苦手な作家さんというのはいるものです。しかし今回初読となった6人の作家さんの書く物語は、どれもとても読みやすく、しかし一方でそれぞれに特徴があって、とても気に入りました。今度はそれぞれの代表作も読んでみたくなりました。そうすればまた読書のモチベーションが戻って来るかも。