難解なキングの最高傑作:リーシーの物語/スティーヴン・キング

リーシーの物語 上 (文春文庫)

リーシーの物語 上 (文春文庫)

リーシーの物語 下 (文春文庫)

リーシーの物語 下 (文春文庫)

作家だった夫を亡くした痛手を抱えるリーシーは、ようやく遺品整理をはじめた。すると、夫が自分に遺したメッセージが見つかる。彼は何かを伝えようとしている。それは夫の創作の秘密、つらい時に彼が訪れた異世界“ブーヤ・ムーン”に関わるものだった…。花が咲き乱れる森“ブーヤ・ムーン”。その空に月がかかる時、世界は恐るべきものに一変する。まだら模様のものが這い回り、死者が佇む暗い森。そこへ赴こうとリーシーは決断する。夫が心に秘めてきた忌まわしい過去と直面し、彼を救うために。痛ましい宿命と、それに打ち克つ愛を描き、巨匠が自作のベストと断言する感動大作

http://www.amazon.co.jp/dp/4167903083

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世界から切り離された小さな町の正気と狂気:アンダー・ザ・ドーム/スティーヴン・キング

アンダー・ザ・ドーム 1 (文春文庫)

アンダー・ザ・ドーム 1 (文春文庫)

ある晴れた日、田舎町チェスターズミルは透明の障壁によって外部から遮断された。上方は高空に達し、下方は地下深くまで及び、空気と水とをわずかに通す壁。2000人の町民は、脱出不能、破壊不能、原因不明の“ドーム”に幽閉されてしまった…。スピルバーグのプロダクションでTV化。恐怖の帝王の新たなる代表作。全4巻。

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ビッグ・ドライバー

ビッグ・ドライバー (文春文庫)

ビッグ・ドライバー (文春文庫)

小さな町での講演会に出た帰り、テスは山道で暴漢に拉致された。暴行の末に殺害されかかるも、何とか生還を果たしたテスは、この傷を癒すには復讐しかないと決意し…表題作と、夫が殺人鬼であったと知った女の恐怖の日々を濃密に描く「素晴らしき結婚生活」を収録。圧倒的筆力で容赦ない恐怖を描き切った最新作品集。

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1922

1922 (文春文庫)

1922 (文春文庫)

8年前、私は息子とともに妻を殺し、古井戸に捨てた。殺すことに迷いはなかった。しかし私と息子は、これをきっかけに底なしの破滅へと落下しはじめたのだ…罪悪のもたらす魂の地獄!恐怖の帝王がパワフルな筆致で圧倒する荒涼たる犯罪小説「1922」と、黒いユーモア満載の「公正な取引」を収録。巨匠の最新作品集。

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呪われた町

呪われた町 (上) (集英社文庫)

呪われた町 (上) (集英社文庫)

呪われた町 (下) (集英社文庫)

呪われた町 (下) (集英社文庫)

幼い頃を過ごした町に舞い戻った作家ベン。町を見下ろす丘の上に建つ廃墟同然の館は昔と同様、不気味な影を投げかけていた。少年の失踪事件、続発する不可解な死、遺体の紛失事件。田舎の平穏な町に何が起きているのか?ベンたちは謎の解明に果敢に挑むのだが…。「永遠の不死」を体現する吸血鬼の悪の力に蝕まれ崩壊していく町を迫真のリアリティで描いた恐怖小説。

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夜がはじまるとき

夜がはじまるとき (文春文庫)

夜がはじまるとき (文春文庫)

 昨年10月に発売された「夕暮れをすぎて」の続編です。どちらも原作は"Just After Sunset"というタイトルの一冊の短編集で、キングが小説を書き始めた頃の初心を思い出すために書いた最新の短編が収録されたものです。今回読んだ「夜がはじまるとき」には、後半の六編が収められています。タイトルもなかなか気が利いています。
 全体的な雰囲気は「夕暮れを過ぎて」とそう変わっていないと思うのですが、何故か私はこの「夜がはじまるとき」のほうがずっと気に入りました。それが何故なのかはうまく言えませんが、今作に収められた六編には、どの話にも以前の作品との関連性を感じるような気がします。
 それは「ダークタワー」だったり「グリーンマイル」だったり「ウィラ」だったり、あるいは「ジェラルドのゲーム」だったり。そうやって、キングファンの密かな自己満足が満たされるのは確かですが、恐らくこの本の面白さとそれは関係ありません。キングなど読んだことがない人にも、薦められる一冊だと思います。
 さて、今回特に私が気に入ったのは、第三話の「ニューヨーク・タイムズを特別割引価格で」と、第五話の「アヤーナ」、そして第六話の「どんづまりの窮地」です。前の二つは、物語の中で起きる不思議な現象には何の落ちも説明もないまま終わってしまいますが、そんなことはどうでもいい素晴らしい感動の物語。
 そしてあとの一つは… これまでのキング作品の中でも飛び抜けておぞましくて醜悪な物語です。同じような感想を別の本に対して以前書いた記憶がありますが、それらを遙かに超えます。あまりの強烈さに読み進めるのに苦労しました。とにかく不快なのです。でも目が離せない、止められない…。これぞキングマジックと言えるのでしょう。
 今回は作品中からではなく、解説の中から一文を引用しておきたいと思います。キング作品の"基本"をずばり表現しています。(意味を汲み取れるように編集してあります)

幻想という名のバーベルを持ち上げるだけの想像力を備えた熱心な幻想文学の読者であっても、懐疑の全てを棄て去るのは容易なことではない。それは現実への、あるいは正気への最後の命綱とも言えるのだが、(キングは)それを容赦なく断ち切り(読者を)奈落へと突き落とす・・・

 そうです、キング作品にのめり込むのは危険です。これらの物語にのめり込み、登場人物たちと同じ恐怖を共有するようになったら、それは正気が失われた証拠かも知れません。第一話に登場する"N"や"B"のように・・・。
 【お気に入り度:★★★★★】

夕暮れをすぎて:スティーヴン・キング

夕暮れをすぎて (文春文庫)

夕暮れをすぎて (文春文庫)

 

 

  恐らくセル以来、久々のスティーヴン・キングの新作が文庫で発売されました。およそ1年半ぶりと言うことになります。この「夕暮れを過ぎて」の原題は”Just After Sunset”です。”Twilight Zone”ではありませんが、何とも言えない恐怖と不思議な事件を予感させる時間帯のこと。キングらしいさを想像させますが、あまりにもストレートと言えばストレートすぎるかも。原書は14編の新作短編が収められているそうですが、日本語文庫版は分冊されて発行されるそうです。今回はまず前半の7編が収められています。後半の7編は年明け早々に発行されるそうです。

 キングは自作に解説を加えるのが好きな作家です。今作にも前振りとしての「序文」、そして作品解説としての「サンセットノート」という後書きが加えられています。自分が書いた小説に説明を加えるのは野暮の極み… とならないところは流石です。それは内容の説明というよりは、どこからこの小説のプロットを思いついたか?書いた時のキング自身の生活状況がどう影響しているか?という、ある意味作者にしか書けない、作品論評、解釈になっているからでしょう。これらも合わせて本編を読むのが、キング作品の正しい読み方(?)かと思います。

 ネタバレするわけではありませんが、その中でひとつ面白いことが書かれていました。と言うのは、「多くの作家は雑誌投稿の短編からそのキャリアを始めるのがほとんどだが、その後成功するに従って作品はどんどん長くなり、キャリアの終盤になると短編は書かなくなる。と言うより、短編の書き方を忘れてしまう。」という自己批評がされています。なので、キングは初心を思い出すため、短編の書き方を忘れていないかどうか確かめるために、わざわざこの短編集を書くに至ったそうです。確かに、キングの短編と言えば初期のB級作品がほとんど。代表作と言われるような「ダークタワーシリーズ」や「スタンド」、「IT」などは単なる”長編”では片付けられないほどの超長編ばかりとなっています。

 そんな作家としての円熟期に入ったキングが新たに書いた短編集。単に久々のキング作品と言うだけでなく、珍しいアプローチの作品と言うことで、読むのがとても楽しみでした。

 しかし… 第一話の「ウィラ」や第二話の「ジンジャーブレッド・ガール」あたりを読んでいると、とても辛いのです。何がといえば、まずは言葉の多さ。婉曲な言い回しで形容詞も多く、やたらに長い文章で綴られるストーリー。これはキングの書く文章の特徴です。英語からの翻訳という面もあるかもしれません。一般的に小説とは、ストーリー展開と文章の両方を楽しむものだと思うのですが、キングはもちろんどちらにも独特の特徴を持っています。しかし、どちらかというと私は彼の書く”文章”が好きです(翻訳されたものであったとしても)。彼の書く”言葉の洪水”は久しく忘れていたものでした。懐かしく思うと同時に面食らってしまいました。

 その洪水のように押し寄せる言葉で表現されるストーリー。第二話「ジンジャーブレッド・ガール」や第四話「パーキングエリア」などは、おぞましいほどに醜悪なシーンが展開していくのですが、それはあまりにも映像的で、思わず本を閉じたくなるほどです。言葉だけで人にここまでの悪寒をもたらす文章力は流石と思う一方で、何でこんなに辛い話を好きこのんで読まなくてはならないのか?という不毛な疑問が浮かんでくるほどです。

 でもやはりキング作品はやめられません。この中で特に気に入ったのは第五話の「エアロバイク」です。メタボが気になる世代には身につまされる物語。主人公の姿が自分に重なりそう。でもって落ちが最高です。そして第六話の「彼らが残したもの」は何というか…。後書きにもあるようにキングはある程度の意を決してこの物語を書いたそうです。あの事件に対するキングなりの理解。恐らく今でも多くの人がこの物語の主人公が感じるような悪夢にうなされているのかもしれません。

 以下は、第六話「彼らが残したもの」からの一節です。ズシリと心に響きます。

 痛みをともなうほどの寂寥感が胸を満たし、感情が滂沱の涙となってあふれだした。それでもこれが学びの経験だったことは認めなくてはなるまい。この夜わたしは初めて、時が流れるにつれて、品物が・・・たとえそれがルーサイトキューブに閉じ込められた1セント硬貨のように軽いものであっても・・・重くなっていくこともあると学んだのである。
 しかしこれは、あくまでも精神の重みだから、計算するための数学の公式はどこにも存在しない。保険会社のマニュアルを開けば出ているような公式は存在しない。あの手のマニュアルには、喫煙者の場合には生命保険の料率がxパーセントあがるとか、農地が竜巻発生地域にある場合には穀物損害保険の料率がyパーセントあがる、などと書いてある。わたしがなにを話しているか、おわかりだろうか?  これは精神の重さの問題だ。

 ここに出てくるルーサイトキューブというのは、この文庫版の表紙絵にもなっています。それほどこの本の中では重要な一節と言えるでしょう。ここでキングが書いているとおり、「いずれ時が癒してくれるだろう…」が必ずしもそうではないとしたら、それほど怖いことはありません。

 お勧め度:★★★★☆ (これはやっぱりキングマニアのための本かと思います)

スタンド・バイ・ミー:スティーヴン・キング

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

 

 映画で有名なこの作品の原作は”Different Seasons”(邦題:「それぞれの四季」または「恐怖の四季」)という四季にちなんだ四編の物語からなる中編集に収められたものです。「スタンド・バイ・ミー」は秋の物語で原題は”The Body”… 直訳すると”死体”となります。日本語版は新潮文庫から発行されており、スタンド・バイ・ミーに加えて冬の物語”マンハッタンの奇譚クラブ“(原題:”The Breathing Method”)の二つの物語を収録しています。ちなみに、春の物語は”刑務所のリタ・ヘイワース“(原題:”Rita Hayworth and Shawshank Redemption”)、夏の物語はゴールデンボーイ(原題:”Apt Pupil”)です。春と夏はやはり新潮文庫から「ゴールデンボーイ」というタイトルで発行されています。

 なお、私はキング作品に関しては原題にこだわっています。以前「アトランティスのこころ」を紹介したときもこだわりました。それはキング作品に関するこれらの邦題の付け方には納得がいかないからです。原題には内容と深くつながった作者が考えた意味があります。特にキング作品はタイトルにこそ深い意味が隠されている場合が少なくありません。直訳では日本語でその意味が表しにくいこともあるでしょう。だとしてもこの意訳はないだろうと思うことが多くあるわけです。本作品に収められている「マンハッタンの奇譚クラブ」などは最低な例の一つです。そして同時に個人的には「スタンド・バイ・ミー」もどうかと思っています。

 この本は私が初めて読んだのは今から20年近く前になるかもしれません。映画を見るよりも先にこの原作を読んだ気がします。久々に読みたくなって本棚を全部ひっくり返したのですが、中々出てきません。一方「ゴールデンボーイ」のほうは茶色く焼けたかび臭い姿の古い文庫本が出てきました。しかしスタンド・バイ・ミーは誰かに貸したままになってるのか、どうしても出てきませんでした。なので仕方なく新しくもう一冊買って読み直してみました。

スタンド・バイ・ミー(The Body)

 さて、映画の「スタンド・バイ・ミー」を見たことのある方は多いと思います。1986年の作品でベンEキングが歌ったオリジナルの曲とともにとてもヒットした映画です。内容は、1960年代のアメリカの田舎町で悪ガキ4人組が徒歩で森の中へ冒険旅行に出かける物語。いくつもの絶体絶命のピンチに遭遇しながら目的地にたどり着き、そこで最後の大きな敵と戦う…。古き良き日と遙か過去に過ぎ去った少年時代の若さと無謀さを懐かしむノスタルジーにあふれた爽やかな物語…。しかし何かその背景には少年達の破滅的な境遇とやりきれない想い、醜悪さというか残酷さ、あるいはグロテスクさを感じられたのではないでしょうか? それもそのはず、そもそもこの4人の少年が冒険旅行に出た目的は事故死した同年代の少年の「死体」を見に行くためだったのですから。

 ここでは原作と映画を比較してどうこう言うつもりは全くありません。映画「スタンド・バイ・ミー」は出演者ともども脚本も演出も構成も素晴らしくよくできた映画でした。キングの各物語がいかに映像的かがよく分かります。しかし、原作から受けるインパクトというのは映画から受けるそれとはやはり全く異なります。この物語はノスタルジーに浸って少年時代を懐かしむ物語ではなく、なんと言ったらいいのか、自分の存在を確かめるため物語であり、自分とは何か?人間とは何か?を問い詰める哲学的な(しかし答えのない)物語であり、読んでいて基本的にとても息苦しくなるような辛い痛みを伴った物語なのです。

 語り口は少年の中の一人、成長し小説家となったゴードン・ラチャンスの一人語りの形式になっています。冒険の旅を思い出すとともに、そのたびが自分と友人達にどんな決定的な変化を与えたのか、今の自分にとってあの旅がどういう影響を残しているのか、独白が混ざり込んでいます。たとえば、死んだ少年が手にしていたはずのバケツは今どこにあるのだろうか?とゴードンは今だに考え込み、それを探しに行きたくて、いてもたってもいられなくなることがある… と告白します。

 ・・・この手にくだんのバケツを持つ、というのは、単なる考えに過ぎない。それは、彼が死んだのと同様私が生きていることの象徴であり、どの少年-5人のうちのどの少年-が死んだのかという証拠なのだ。バケツをこの手にすること。こびりついた錆と、失せてしまった輝きとから、歳月を読み取ること。バケツが寂しい場所で錆びつき、輝きを失っていたあいだ、私はどこにいたかを考える。どこにいて、なにをして、誰を愛し、どこにいて、どのように過ごしていたか。私はバケツを手に、歳月を読み取り、その感触を味わい・・・どんな残骸でもいい、かつてのわたしの面影が残っていないか、じっと見入るだろう。わかってもらえるだろうか? [28章より引用]

  と読者に問いかける下りがあります。この一節は何気なくてそれほど重要な部分ではないかもしれませんが、語り手であるゴードンの気持ちを一番理解できた部分でした。わかるわかる!と本に向かって叫び返してしまうくらい。
 こういった調子で、あの死体探しの旅は自分たちが大人になるためには不可避の道だった。そこには理屈も疑問もない。そしてあの冒険旅行がその後の4人の人生を決定づけた。それは一つの通過儀礼であり、人が生きると言うことと成長していくと言うことはあまりにも根源的すぎるために言葉にはできない… 分かってもらえるだろうか?と、ゴードンは何度も何度も思い返し、説明をし、読者に問いかけてきます。

 ”Stand by me”という言葉は実際に物語の中で使われます。地域一の不良エース・メリルに対峙したクリスがゴードンにささやきかける言葉です。これは単に一つのシーンの中で流れ去っていく台詞の一つではなく、この冒険旅行を経験したゴードンとクリスのその後の人生を表す言葉としてとても重要です。その後の人生において、クリスがゴードンにしがみつくことの意味は、自分の置かれた境遇から抜け出して独り立ちしていくための拠り所となる細い唯一の一本の糸でした。そしてゴードンにとってクリスにしがみつくその理由とは…。その理由は少年時代の死体探しの冒険旅行にあるのです。その部分は非常にあっさりと書かれていますが読者たる私にとってガツンとくる一節でした。これこそが”Stand by me”の本当の意味なのだと。残念ながら映画ではこの部分までは表現されていません。これは文字でしか表せないものですから。

 さて、この物語の主人公であるゴードン・ラチャンスは作家という設定になっていますが、この人物はスティーヴン・キングその人自身に被ってくるようです。実際自分の生い立ちを重ねている部分もあるのでしょう。ただし恐らくほとんどの部分はフィクションだと思われます。しかし、キングにはクリスに相当する友人がいたのかもしれません。”The Body”の献辞には”George MacRhodeに”と書かれています。彼は何者なのでしょうか?キングの作品には必ずこういった個人名入りの献辞がありますが。成功した後のゴードンの姿があまりにもキングに似ているためにいろいろと想像がふくらんでしまいます。

—マンハッタンの奇譚クラブ(The Brething Method)

 スタンド・バイ・ミーと同時に収録されている冬の物語です。実は20年前にこの本を読んだときにはこの物語は読みませんでした。まだ読書をじっくりすると言う忍耐がなくて興味のあるものしか読む気がなかったからだと思います。今回この本を買い直してみて、改めてまだ読んでいないキング作品があったことを思いだし、少しうれしくなって読んでみました。”The Different Seosons”の中では唯一映画になっていない一編でもあります。

 原題の”The Breathing Method”は訳すなら”呼吸法”と言ったところでしょうか。これは出産時に今では一般的になっているラマーズ呼吸法のことを指しています。物語は二重構造になっていて、ニューヨークはマンハッタンにある奇妙なクラブの中で雪の降るクリスマスの夜に80歳になるある老医師が語る昔話です。彼の患者だったある一人の未婚の妊婦。アメリカといえども50年前の東部はまだまだ保守的で、未婚の女性が出産するにはいい環境ではありません。白い目で見られ仕事も住むところも追われかねない始末。

 そんな環境下にあってピンと背筋をのばし、気丈に振る舞いながら診察を受けに来る女性にその医師はだんだん惹かれてゆきます。女性として、というよりは一人の人間として。

 50年前のクリスマスに起こったことを語る老医師。不思議なクラブのメンバー達は時折口を挟みながらその物語に聞き入ります。さて、結末はクリスマスの精神にふさわしいものなのでしょうか?

 物語の中で語られる物語という二重構造になっているわけですが、原題はその内側の妊婦の物語に対してつけられていますが、邦題は外側の、その妊婦の物語が語られる場をタイトルにしています。その不思議なクラブ、というのは、単なる舞台ではなく何かしらの意味を持っているのですが、やはりこの物語にふさわしいのは”呼吸法”意外にないでしょう。

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 この”Different Seosons”という中編集の成り立ちはキング自身によって書かれた「はじめに」に詳しく書かれています。キングは割と自身の作品に解説を加えるのが好きな作家といえるでしょう。「キャリー」や「シャイニング」などによってホラー作家の地位を築き上げてきたキングが、ホラーではない物語として書いてみたのがこの4つの物語だそうです。それは中編という雑誌に掲載するにも単行本にするにも中途半端な形になってしまったそうです。そこで思いついたのがこの中編集という形式。4つの四季にちなんでうまく納めることができたと。しかし、その提案を編集者にしたときのやりとりがおもしろおかしく書かれています。それが本当だとするなら、この本は市場から求められたのではなく、キング自身が出したくて出した本、と言うことになりそうです。

 しかし、そこにはSF映画界では巨匠と言われた監督が、アカデミー賞狙いに作った映画のような、わざとらしさや居心地の悪さはありません。怪奇ホラーものでないとしても、これらの物語はキングにしか語れない何かがしっかりと息づいています。

 お勧め度:★★★★★★

セル:スティーヴン・キング

セル〈上〉 (新潮文庫)

セル〈上〉 (新潮文庫)

 
セル 下巻 (新潮文庫 キ 3-57)

セル 下巻 (新潮文庫 キ 3-57)

 

 久々にキングの小説が文庫版で発売されました。帯も読まずにそのまま無条件でお買い上げ。この作品は2006年に発表とのことなので日本では単行本化されることなく、いきなり文庫化されたようです。他にも2006年発表作品がいくつかあるようなのでそれらも文庫で発売されるでしょうか? とても楽しみです。

 で、この「セル」ですが、読み始めて早々に「これは困ったなぁ」というのが第一印象。その奇想天外荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいほどのストーリー展開に呆気にとられてしまいました。しかしこれはキング作品においては珍しいことではありません。むしろ初期の自由奔放だった時代のキング作品に見られる特徴です。が、心の中で「なんだこりゃ?」と醒めた見方をしながらも、なぜか読み進めずにはいられないというところもまたキングならでは。どんな無茶な設定も綺麗で深くて壮大なドラマに仕立てられてしまいます。

 この本を読んだ多くのファン達が同じ感想を持っているようですが。これは「スタンド」に通じる世界観を持っています。崩壊してしまった世界(=といってもキング作品の中では常にアメリカですが)の中で生き残った人たちの旅の物語。そこには世界を崩壊させた首謀者たる得体の知れない巨大な「悪」と、それに対抗する少数の生き残りの人間達、という構図があります。今回もまた同様の構図。ただし主人公のクレイが荒廃したアメリカを旅する目的は実に単純明快。人間社会を守るためでも、悪を倒すためでも、真実を探しに行くためでもありません。ひとえに家に一人でいたはずの一人息子の身を案じての旅です。

 そしてクレイは一人ではなく、数少ない生き残りの仲間がいます。それぞれにそれぞれの事情をもち理由があって生き残った人たち。そして偶然でありながらもお互いを必要としあう旅の仲間達。「旅の仲間」の物語というのはもちろん「スタンド」然り、「ダークタワー」然り、そのほかにもたくさんの作品が同様のプロットで書かれています。キングに限らず冒険ファンタジーものはこの体裁をとっている物がほとんど。

 しかしキング作品の、そしてこの「セル」で特徴的なのは、主人公とその仲間達は極々普通の現代人であること。こんな設定にデモしない限りとうてい小説の主人公にはなり得ないような人物ばかりです。特殊な技能も精神も持ち合わせず、ひたすら自分の身を案じ、家族を案じ、恐怖におののき、絶望に押しつぶされそうになる弱い普通の人間達。彼らが世界が崩壊してしまった現実を受け入れて、その世界に順応し未来に希望を持とうとする姿は、荒唐無稽な設定の世界でありながらも妙なリアリティと親近感を感じてしまいます。

 「なんだこりゃ?」と感じた出だしを過ぎて読み進め、下巻にはいるともう完全に「セル」の世界に引き込まれてしまいました。荒唐無稽な設定でありながら宗教的というか哲学的ですらあります。そして、子供を救い出したい一心で必死にもがく男の感動的な姿…。結末はなんと言ったらいいのか分かりませんが、私はハッピーエンドと受け取りました(^^; ここは読んだ人によって感じ方が違うかもしれません。

 と、なるべくストーリーに触れないように総体的なことばかり書いてきたので、読んでない人には何のことやらさっぱりで、おそらくこのエントリーもここまで読んでいないことでしょう(A^^; 少し具体的なことに触れると、タイトルの「セル」とは原題”CELL”のままで =携帯電話 のことです。CELLという単語があまり日本人には馴染みがないためか、当初は「携帯ゾンビ」というとんでもない邦題訳がされる予定でした。「携帯ゾンビ」もある意味内容を的確に表していますが、これではキングファン以外は手を出しそうにありませんね(A^^;

 訳者あとがきにも書かれていましたが、キングは身の回りにあるいろいろな「物」を恐ろしい凶器に仕立てるのが非常に得意です。自動車はその代表。自動車やトラックがもたらす恐怖を描いた作品はたくさんあります。人間が生み出した身近なテクノロジーがある日人間に対して牙をむく、というのは荒唐無稽な話だと分かっていながらも、何となく誰もが無意識に漠然とした不安を感じている部分に強く訴えかけてくるものがあります。同様にキングは押し入れや排水溝、下水道に対する潜在的な不安を大きく煽ってきたりもします。

 そして今回のテーマはCELL=携帯電話。世界中で急速に普及した携帯電話は21世紀の我々の生活を大きく変えた魔法のツールです。が、一人一人に直接電波のメッセージを送り込んでくる機械。それはとても危険なテクノロジーではないのか?まさか… ねぇ。でも…?

 キング自身は私生活で携帯電話を使っていないそうです。もしかしたらキング自身が本当に携帯電話に対して何やら恐怖を抱いているのかもしれません。

 aisbn:4102193596お勧め度:★★★☆☆