酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

京都よりも古い1300年の都 奈良で国宝を訪ね歩く(後編)

 前編からの続きです。翌日も引き続きとても良いお天気。奈良は京都ほど大きな街ではないとは言え、一泊二日で見て回れるほど小さいわけではありません。むしろ奥が深く、何度来ても新しい発見があると言うリピーターも私のまわりに何人かいるくらいです。奈良初級編と言うことで誰でも名前を聞いたことがある場所だけ巡るにしても、取捨選択が必要となります。

 そんな中、今回私がどうしても見て見たいと思ったのは、鑑真和上が建立した唐招提寺です。なので唐招提寺を中心にルートを組み立て、半日かけて奈良中心部の西側に広がる「西の京」を巡って見ることにしました。

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 実はこの日は午前中から観光タクシーを半日利用することにしました。距離ではなく時間で値段が決まり、しかもタクシーの運転手さんは観光ガイドさんとして様々な解説をしてくれます。しかし一方で、変なお土産やさんに連れて行かれたりすることはないので、安心して利用できます。

シルクロードの終点 薬師寺

 最初に訪れたのは薬師寺です。このお寺の歴史も興福寺並みに古く、平城京遷都以前に遡ることができるそうです。もちろん世界遺産にも登録されてるとともに、多くの国宝が収蔵されているお寺です。、あた。薬師寺はただ古いものを保存しているだけではなく、現代に入ってからも、文化財を新たに生み出す活動も積極的に行っています。

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 午前中の早い時間だったので、まだほとんど参拝客はいませんでした。最初に目に入るのは金堂です。この非常に立派なお堂は昭和51年に再建されたものです。金堂の中には白鳳時代に作られたと言う薬師三尊像が収められており、見学することができます。

 それまでは江戸時代に建てられた、奈良時代のオリジナルとはかなり異なるお堂が建っていたそうですが、それらを取り壊し発掘調査の上、オリジナルにより近い建物に建て直した、というあたりは、興福寺の中金堂再建と似た流れです。仮のお堂だったとは言え、江戸期の建物を惜しみなく取り壊してしまうというあたりが、奈良1300年のプライドを感じさせる話だと思いました。

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 そして金堂を正面に見て、左を向くと西塔と呼ばれる五重塔が建っています。興福寺や京都の東寺などの五重塔とはかなり違ったデザインです。

 この塔は江戸時代前、戦国時代に焼失したままになっていたものを昭和56年に再建したものです。奈良の多くのお寺では、再建と言ってもコンクリート造りではなく、ちゃんとした木造でこの先500年あるいは1000年後まで持つ事を考えて再建されたものです。

 ですから、長い年月の経過を感じさせる古い建築として価値はなくとも、これはこれで1000年以上前から続く仏教文化が生み出した新たな文化財なのだと思います。何百年か経過すれば、またいつかは国宝級になることでしょう。

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 そして西塔の反対側、右を見ると東塔があります。この塔は薬師寺で唯一残る、奈良時代の建物です。デザイン的にも東塔と対になっており、金堂を中心にシンメトリーに並ぶ二つの五重塔が薬師寺のシンボルでもあります。

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 しかし上の写真にもあった通り、残念ながらこの東塔は現在修復工事中で、まったくその姿を見ることができません。一度すべて解体し、傷みが限界を超えている木材は新しい物に取り替え、またこの先1000年持つように直しているところです。

 今回見られなかったのは残念ですが、また今度修復が完成した時に見に来たいと思います。

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 薬師寺にはさらにいくつかの建物があって、いずれも再建されたもの。この美しい建物は大講堂。2003年の再建だそうです。かなり引いて撮ってるのですが、28mmで収まりきらないくらい大きいです。

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 薬師寺はこうして昭和後期から平成にかけて、多くの建物が木造で再建されていますが、その費用はかなり莫大なものになります。興福寺はようやく中金堂の再建が始まったところですが、それに比べると薬師寺はお金を集めるのが上手い、というのが地元のタクシー運転手兼観光ガイドさんの説明でした。

 そしてこうした木造の巨大建築物を建てる上で問題になるのは木材、特に檜の大木の確保だそうです。国内ではもはや存在しないので、近年は台湾に捜しに行っていたそうですが、それももはや難しくなっているそう。

 この写真は薬師寺の大講堂再建に当たって手に入れた台湾檜の大木の一部。樹齢は2500年だそうです。一本の巨木からこうして複数の柱を取ったそうです。なるほど、こうやって木材を切り出すのか...。

 似たような話はあちこちにあって、姫路城は昭和の代修理の再に、芯柱を交換する必要に迫られ、その木材の調達に苦労したと言う話がありますし、前日に見学した東大寺の大仏殿も、江戸時代の再建時に多数の巨木を国内で調達できずに、苦肉の軸柱構造を採用しています。

 今後、この手の大型木造建築を実施するのは、木材不足によりますます難しくなるのでしょう。たとえば名古屋城の木造再建が計画されていますが、いったいどうなるんでしょうか。

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 さて、さらに薬師寺の奥へ入って見ましょう。玄奘三蔵院という建物にやってきました。三蔵法師でおなじみの玄奘三蔵が祀られています。

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 一番奥には日本画家の故平山郁夫氏による、シルクロードを描いた大唐西域壁画が飾られています。この壁画は当時の薬師寺管主 高田好胤の依頼に平山郁夫氏が応えたもので、製作期間は25年に及んだそうです。

 薬師寺の金堂に納められた本尊、薬師如来像の台座にはとても特徴的な彫刻が彫られています。それはギリシャからインド、中国を経由するシルクロードを表した彫刻であり、それらが薬師寺の如来様の台座に描かれてると言うことは、奈良はシルクロードの東の終点と考えられていたことを表すものだとか。そう言うこともあって、薬師寺にはこうしたシルクロードにまつわるものが玄奘三蔵院に集められているそうです。

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 すっかり新緑になっていましたが、玄奘三蔵院の敷地には「薄墨桜」という桜の木があります。木としては小さなものですが「薄墨」という言葉にちょっと反応してしまいました(^^;

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 同じような時代に平城京周辺に創建された寺院として、薬師寺は興福寺や東大寺とは一味も二味も違う雰囲気を持っています。仏教がインドからシルクロードを経由してやってきた外来文化である事を思い出させます。

鑑真和上が命がけで建立した唐招提寺で天平の甍を見る

 薬師寺から少し北に移動するとすぐに唐招提寺に行き当たります。冒頭に書いた通り、今回の奈良の旅では、ここに訪れるのをとても楽しみにしていました。

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 もちろん世界遺産でもあり、国宝の宝庫ということもあって、唐招提寺もまたこれまで見てきた寺院と同じ超有名観光ポイントですが、時間のせいか人が少なくてとても静か。境内の雰囲気はひっそりしていて最高でした。

 薬師寺が広大な平地にきらびやかで巨大な建物が建っているのに対し、こちらの唐招提寺は木に覆われた鬱蒼とした森の中に、色彩のない渋い建物がギュッと固まって建っていて、そこに流れる空気は正反対の雰囲気を持っています。

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 この金堂はこれまでに一度も焼失することなく、奈良時代後期に建立された当時のまま現存しています。古い時代の建物が多く残る奈良にあって、金堂として奈良時代に建築されたまま残っているのはこの唐招提寺だけ。ただし、この金堂の創建は780年以降と推定され、鑑真和上自身はこのお堂を目にすることなく亡くなっているそうです。

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 もちろんこれまでの1300年の間折々に修復が行われてきたようですが、特に2000年から10年の歳月をかけた平成の修復工事では、一度この建物は完全に解体され、組みなおされました。

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 その際、こうして使えなくなった木材の一部は差し替えられており、正面に並ぶ太い8本の柱も例外ではありません。また、外からは見えない内部構造には、オリジナルにはなかったトラス構造を加え、耐震強度を増しているそうです。1300年の間風雪に耐えてきた建物ですから、基本的に非常に丈夫なのでしょうが、出来ることはやっておくに越したことはありません。

 金堂の建物だけでも素晴らしいのですが、この建物の中に納められた仏像がまたすごいです。以前は中に入れたそうですが、現在は外から覗きこむだけになっていました。それでも間近に良く見ることができます。特に千手観音立像には圧倒されます。実際に線本の手が付いていたそうですが、修理を繰り返すうちに入らなくなった手がいくつかあって、現在は953本付いているとのことでした。

 なお、国宝は仏像以外にもあって、特に鑑真和上像が有名ですが、本物は1年の内3日間しか公開されません。変わりにと言うことでレプリカ像が開山堂で年中公開されています。

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 毎年5月に行われる梵網会でうちわが撒かれる鼓楼。思ったよりも小さな建物でした。鎌倉時代の建築ですが、これ自体も国宝です。その後ろにあるのは礼堂です。この写真自体はやはり国宝の講堂から撮っているのですが、講堂自体の写真は取り忘れてしまいました。

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 さらに、貴重なお堂や仏像以外にも、ここでしか見られない珍しいものがあると言うことでやってきたのは中興堂。このお堂の横に目的の物があります。

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 白いアジサイのように見えるこの花は「瓊花(けいか)」という植物で、中国の極一部にしか存在しない幻の花だそうです。例年ゴールデンウィークには満開になるそうですが、今年はやはり桜同様に開花は遅めで、上の写真のような姿しか見られませんでした。

 この唐招提寺の瓊花は、鑑真和上を通じた日中間の永年の文化交流の歴史に鑑み、まだ国交が回復していない時代に中国政府からこの唐招提寺に贈られたられたものだそうです。日本国内では公式には皇居と唐招提寺にしか存在しない、とのことでした。ただし、ネットを調べると他にも国内で何箇所か瓊花が見られる場所があるようです。

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 さて、さらに唐招提寺の奥へと分け入って行きましょう。緑豊かな境内でもひときわ大きな大木に囲まれた空間が広がっています。この奥の方、案内されないとなかなか足を踏み入れなさそうなところに、鑑真和上のお墓があります。

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 お墓の手前はこんな美しい苔の森がありました。雨が降った翌日は瑞々しくて美しいそうですが、今回は晴天続きで、やや乾いていました。それでも綺麗!

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 そしてここが鑑真和上が眠るお墓です。天平時代、日本政府の要請に応じ、7度の失敗の末に海を渡り日本にやってきた唐の高僧鑑真和上は、日本にたどり着いてから亡くなるまで約10年。最初の5年は東大寺で暮らし、残りの5年はこの唐招提寺の建立に力を注いだそうです。そして763年に亡くなり、そのままこの地に埋葬されて1300年近い年月が流れています。

 神話でも伝説でもなく単なる伝承でもなく、ここに眠る歴史上に実在した人物の息吹がこの唐招提寺からは感じられ、とても不思議な気分になります。

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 校倉造りのこの建物は唐招提寺に二つある倉庫です。これも金堂と同じく奈良時代の建築物で、中身だけ出なくこの建物自体が国宝です。

 この奥にはコンクリートで新たに作られた宝蔵があり、唐招提寺に伝わる様々な国宝、文化財が保存展示されています。その中には平成の大修理で新しい物と取りかえられた、金堂の古い鴟尾が展示されています。

 二つの鴟尾のうち東側は鎌倉期に作られたものですが、西側は奈良時代の創建当時のままです。当時これだけ巨大な焼き物をどうやって作ったのか不明だそうですが、鎌倉時代と奈良時代でも技術に相当な差があったことがうかがえます。とはいえ、それでも500年くらいの年代差があるのだから当たり前なのでしょう。それでもこの古い西側鴟尾は、壊れることもなく1300年にわたり金堂の天辺を飾っていたのですから、すごいことだと思います。

 そしてその本物をこの目で間近に見ることができました。

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 その古びた鴟尾こそがまさに「天平の甍」なわけですが、井上靖の有名な小説を思い出しながらしみじみと眺めてきました。もう一度読まなくては!

なにもない原っぱに再建が進む平城宮跡

 唐招提寺を後にして最後にやってきたのは平城宮跡です。そう、奈良と言えば平城京。1300年前の都の中心地であり天皇が暮らしていた宮殿があった場所です。

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 そこはこうして原っぱになっています。そしてその原っぱを近鉄線が横切っています。近畿地方には遺跡や古墳を横切る鉄道や道路がたくさんあるという話を聞いたことがありますが、まさにここはその典型例でしょうか。

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 そんな原っぱの中に忽然と建っているのが、1998年に再建された朱雀門です。発掘調査で出てきた礎石跡から、想像で作られた建物だそうですが、見た目はともかく規模はこのくらいのものだったと言うことについては、それなりに確度は高いのでしょう。

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 しかし現在に至っても朱雀門以外には特に目立ったものは周囲に建っておらず、朱雀通りの両側は絶賛工事中でした。なんだか分かりませんがかなり広範囲にわたって何かを作っているようです。その工事のため、駐車場なども閉鎖されており、現在は事実上タクシーやバスを利用してこの朱雀門を訪れることがほとんど出来なくなっています。

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 桜の一種でしょうか?変わった花を付けた小さな木がありました。平城宮跡の復元はまだまだ長い年月がかかるようです。最終的にこの朱雀門周辺はどんな姿になるのか、楽しみです。

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 さて、朱雀門から近鉄の線路の向こうを見ると、もう一つ何かが建っているようです。そこまでは約1km弱ほどの道のりです。その間はただの原っぱだったり、発掘調査の痕跡がいくつかありますが、目立った見るべきもの、と言うより見て分かりやすいものはほとんど何もありません。

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 朱雀門と反対側の建物にやってきました。これは第一次太極殿で2010年の平城遷都1300年祭に合わせて再建されたようです。この建物についても記録があったわけではなく想像だそうです。とは言え、周辺の寺院には当時のまま残る建造物や記録も多数あるわけで、当時の建築技術やデザインなどなど、それほど大きく外していないのだろうと想像してしまいます。

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 第一次太極殿の周辺はこんな景色が広がっていました。円柱状に刈られた木は、柱の痕跡を表しているそうです。こういった細々した建物を再建することは現実的ではないので、こうして発掘調査の結果をとりあえず分かりやすく可視化している、ということのようです。

 1300年という時間が過ぎ去ってるとは言え、周辺の寺院には建築物も記録も色々なものが残っているのに対し、平城宮跡は跡形もなく記録もない、まったく消え去った遺跡となっているというのは不思議な気がします。信仰と文化がその存在意義を支えていた寺院とは違って、行政の中心地だった「都」は、その機能が平安京に遷都してしまった後は、完全に用済みだったと言うことなのでしょう。ずっと時代は新しいのに「城跡」の多くはほとんど跡形もないのも、同じような理由かもしれません。

まだまだ奥が深い奈良はリピート必須

 ということで、今回の奈良入門編の旅はこの辺で終了です。短い時間でしたが堪能できました。

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 また近いうちに再訪して、さらにいろいろなところを見てみたいと思います。オススメの場所があったら是非教えてください。

 奈良はこれで終了ですが、旅自体はもう少しだけ続きます。

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