安達太良山に抱かれた堅固な山城 二本松城跡に会津戦争による激戦の面影を偲ぶ

投稿者: | 2018年8月25日

 三ノ倉高原でたっぷりと「ひまわり」を楽しんだあと、勝手知ったる裏磐梯エリアを走り抜け、安達太良山の脇を通り抜けて二本松市へやってきました。時折休憩しながらの夏の裏磐梯ドライブは、車窓から景色を眺めているだけでもとても気持ちの良いルートです。

 時刻はお昼過ぎ。裏磐梯は時折雨が降っていましたが、東へ移動するにしたがって空は晴れてきました。気温は相変わらず低く、青空の高さもまるで秋のよう。この爽やかな気候と景色は夏バテ解消には何よりの薬です。

 さて二本松へやってきたのは、そもそもこの日に漠然と予定していた当初の目的を完遂するためです。日本百名城の一つ、二本松城を見物しスタンプをゲットするためです。

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 二本松城は会津戦争緒戦の激戦地です。もともとは中世に築かれた古い山城で、その後改修を繰り返し太平の江戸時代を過ごし、幕末に激しい戦場となった末にその生涯を閉じました。500年以上にわたる兵どもの歴史の面影を辿りながら、山頂の天守台へ向けて小さな山登りをしてきました。

 場所は↓この辺り。現在の市街地からみると北西のはずれにあります。JR二本松駅からだと1kmくらい。東北自動車道の二本松ICからもすぐです。


 私は裏磐梯から山越えしてきたので国道459号線をひたすら下ってきました。ナビに従っていくと城の南、箕輪門そばの駐車場に到着しました。こ駅からやってきても最初にたどり着くのは箕輪門であり、ここが正面入り口と思って良いでしょう。

箕輪門から三の丸へ

 さて早速中へ入ってみましょう。駐車場は三の丸の高石垣に面していて、その上には門や櫓、壁などが復元されていて城跡らしい雰囲気を見せています。

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 箕輪門入り口前には二本松少年隊顕彰碑があります。タイトルや冒頭でも書いたとおり二本松城は、幕末の戊辰戦争末期(会津戦争)において、会津若松城へ向かう官軍が白河小峰城に続いて攻め落とした城です。少年兵士の悲劇としては会津の白虎隊も有名ですが、それに先立ちここ二本松でも少年兵士が多数亡くなったそうです。

 事情は白虎隊の場合とは異なっていて、二本松城では主力兵士のほとんどが白河へ応援に行っていて、戦力が手薄なところを奇襲されたため、残されていた若年、老人、女性などが城を守ろうとして亡くなってしまったのだとか。

 少年兵の死を美談あるいは悲話に仕立てるのは、何か違うような気はしていますが、そうは言っても150年前にそういうことがあったというのは厳然たる事実です。

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 さて復元された箕輪門と二層櫓およびその周辺一連の建物はかなり立派で格好良いです。

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 直角にきっちり枡形を形成した入り口は美くさえあります。本物は会津戦争で焼け落ちてしまったので現在の建物は昭和57年に再建されたものだそうです。

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 さらに箕輪門をくぐったあとは、狭く絞られた180度ターンの虎口が待ち構えています。この石垣の上にも防御用の門、または櫓が建っていたのでしょう。防御はかなり固い城だったことが分かります。

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 そしてこの辺りには赤松の木がたくさん植えられています。後に景観のために植えたものではなく、樹齢は300年を超えているんだとか。と言うことはこれらの松は城として現役だった時代に植えられて、会津戦争でも焼け残ったってことなんですかね。いや、この石垣の上に建っている木は違うかも。

鬱蒼とした森に強者どもが夢のあとを感じる

 さて三の丸から先が本格的な山登りになります。ですが、道はちゃんと整備されています。案内表示も要所要所にあって分かりやすいです。しかし私は一瞬順路を見失ったせいで、どうやら正式な順路を逆回りしてしまったようです。途中で気づきましたが、特に問題ないはずなのでそのまま強行突破しましょう。

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 本丸へ向かう山登りの途中にこんな遺構があります。説明の看板には「城内通路」と書かれていました。この斜面に作られた獣道のような通路の痕跡が見えるでしょうか?

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 こっちはもう明らかです。堀切のようですね。ここが本来の通路だったと。立派な建物も良いですが、こういう遺構にぐっと惹かれます。山城には特に多いですが、これこそが城が城として存在していた時代の証ですから。

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 そして坂道の途中にあるこの井戸が、二本松城で見るべき目玉の一つ。百名城ガイドにも短い紹介文の中に「見逃さないように」とわざわざ書いてありました。

 これは「日陰の井戸」と呼ばれる井戸で、日本の三井の一つとされている名井だそうです。山城にあって水の確保は一番の難題ですが、この井戸は今でも湧水が絶えない豊富な水量があるそうです。覗き込んでみたら確かに水面がよく見えました。深さは16m、さらに14mほどの横穴が掘られていているのだとか。

 この湧き水は安達太良山に染みこんだ水が地層の境界に沿って流れ出てきたもの。まさにこの二本松城は安達太良山によって守られているわけです。

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 それにしてもこの辺りは鬱蒼とした巨木に覆われていて、とても静かで涼しいです。現役の城だった時代は、視界を妨げるこれらの木はなかったことと思いますが、明治になって廃城になり、木や草に覆われて自然に帰っていく姿はまさに「兵どもが夢のあと」というか、「ラピュタ」の世界観をも思い出します。

 ちなみに↑この写真に写ってる平地は「蔵屋敷跡」と説明板が立っていました。

見事な石垣に目を見張る

 道が険しく急になってきました。そろそろ山頂に着くようです。そこにはもちろん城の一番重要な建物、本丸と天守が立っていた石垣があるはずです。

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 ほら、チラッと見えてきました。紅葉したらさぞ美しいと思われる巨木の葉っぱの向こうに、青空に聳える石垣が見えます。あそこが二本松城の中心部に違いありません。

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 二本松城は別名「霞ヶ城」とも呼ばれ、最初に築城されたのは15世紀の畠山氏の時代まで遡るそうです。その後戦国の世から江戸時代に至るまで、幾つもの戦を経て、城主も入れ替わりつつ、改築や増築を繰り返してきた城と言うことで、この本丸付近も発掘すると様々な年代の石垣や遺構が見つかるとのこと。

 この写真の高石垣は、見ての通り野面積みによるかなり古い時代の石垣で、戦国時代の蒲生氏によるものと推測されています。自然の地形を生かした石垣とは言え、かなりの高さがある巨大な遺構です。その時代は一体どんな城だったのでしょうか?

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 そして蒲生氏の高石垣脇にある最後の階段を上ると、その先には立派な近世の石垣が見えてきます。

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 石垣の脇にはタイルに描かれた非常に丁寧な解説があります。これによるとこの山頂の巨大な石垣は単なる天守台ではなく、本丸が丸々乗っていた石垣とのこと。なるほど、だからこんなに大きいわけですね。

 ではいざ本丸の石垣へ上がってみましょう!

本丸石垣は最高の展望台

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 本丸の中心部から見た天守台。ここから見ると高さはこれしかありませんが、外からは相当な高さがあるわけです。ちなみにこの写真に写っている石碑は、会津戦争に敗れて落城する際に切腹した、城代の丹羽和左衛門と勘定奉行の安部井又之丞の慰霊碑です。ここ本丸で亡くなったのでしょうか。

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 どんな天守だったのかはよく分かりませんが、それなりの大きさがあったと思われます。そして天守台の上から東櫓の方を向いてみれば、本丸を防御するように取り囲んでいた全体の構造が何となく見えてくるようです。

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 これは西櫓が建っていた位置からの眺め。真ん中のベンチがある広場が本丸跡です。こう見ると城の本丸としてはあまり大きくなかったことに気付きます。山城ですからさもありなんというところでしょうか。

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 東櫓跡からは、現在の二本松市街から遠くには阿武隈山地のほうまでずっと一望できます。攻めてきた敵の数や布陣などは丸見えだったことでしょう。逆に敵からもよく見えたということにもなりますけど、これだけ高いところにあるのは防御する上では有利だったはずです。

 この本丸自体もかなり堅牢な防御があったことを伺わせますが、何しろ少年兵しかいないような手薄な状態では、あっという間に落城してしまったようです。

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 二本松市街の反対側の眺めです、安達太良山とその裾野の森が広がっています。安達太良山の向こうには磐梯山があって、その向こうには会津若松があると…。会津を攻めるにはやはりここはどうしても落としておかなくてはならなかったのでしょう。

 ちなみに安達太良山にはスキー場があって、一度だけ来たことがあります。さらにその麓には岳温泉という良い温泉街があって、いろいろと良い思い出があります(^^;)

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 この本丸と天守、および二つの櫓を支えていた石垣は平成になってから復元されたものです。会津戦争はわずか150年前のことですが、落城後に城は破壊され尽くし、石垣も原形をとどめておらず、遺構は失われたと長年思われていたそうです。

 しかし発掘調査してみると、色んな時代の石垣あとが複雑に折り重なった形で出てきたらしく、それらを丁寧に調査分析し、必要な部分は移築保存した上で、江戸時代後半、の丹羽氏の時代の石垣を再現したということだそうです。

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 この写真を見て分かるでしょうか? 下1/3位を境に明らかに石の積み方が代わっています。発掘の結果石垣の基礎部分はかなり古い時代の野面積みがそのまま使われ、上側だけ丹羽氏の時代に新しい技法で積み直されていたことが分かったそうです。

 オリジナルの石は別の場所に移して保存されており、この石垣自体はほぼ石からして新しく作り直したモノだそうですが、その石や積み方の違いも丁寧に再現されているわけで、復元とは言え、この城を巡って多くの人が刻んできた歴史の深さを感じることが出来る、本当に素晴らしい遺構だと思います。

下りの帰り道にも見所はたくさんあった

 さて、素晴らしい本丸跡を堪能したあとは、山を下ることにしましょう。来た道を引き返すのではなく、反対方向へ降りて行くことにします。

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 かなり急な下り坂です。転げ落ちないようにに注意が必要です。

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 途中にあった搦手門の跡。この石垣の上に門が建っていたようです。何もないところにいきなりキューブ状の石垣がポツンと現れる光景は不思議な感じです。どんな姿をしていたのでしょうかね。

 石垣脇の地面には柱を支えていた礎石も残されています。そしてその柱跡は、複数の時代のものが見つかっているのだとか。ただし古い時代のものは埋め戻されているようで、見ることはできません。

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 搦手門から少し下ったところにこんな原っぱがありました。奥に立っているいくつかの碑と石灯籠は、二本松少年隊顕彰碑です。中央にある最初の碑は昭和15年に建てられたもので、その後にも句碑などが追加されていったようです。

 幕末当時ここには彼らが学んでいたであろう剣術道場があったと言うことで、この場所を「少年隊の丘」と名付けて、慰霊碑がこうして集められているようです。とても静かな場所で人が誰もおらず、ちょっと怖いくらいの空気が張り詰めていたのは、私の勝手な思い込みでしょうか。

 剣術道場になる前にも、この場所には建物があったらしく、かなり古い時代の遺構も出てきてるようですが、見ての通りそれを思わせるものは今は何もありません。

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 その先を下っていくと池や滝があったりして、かなり立派な日本庭園になっていました。その一角には小さなお社が森の中にひっそり建っていました。これは二本松城を江戸中期から幕末まで治めていた丹羽氏の歴代当主が祀られている丹羽神社です。私は順路を逆回りしたせいで、背後から写してしまいました。

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 さらにその先には「洗心亭」と名付けられた茶亭です。丹羽氏の時代に建てられていたものだそうですが、これは明治期に再建されたもの。しかし茶亭と聞くと、2畳くらいの小さな小屋を想像していたのですが、これはかなり大きいですね。内部はどうなっているのでしょう?

 しかし見ての通り、屋根は修復中なのか無粋なビニールを被っているし、雨戸も閉められていて、どうも全体的に休業中という風情でした。なので外観を眺めるだけにしておきました(そもそも中を見学できるものなのかどうか分かりません)。

 周辺の庭園はそれなりに綺麗なのですが、どうもここまで見てきたスパルタンな「城跡」の雰囲気に飲まれすぎていて、平和だった江戸時代に造営されたと思われる庭園の風景にはどうも違和感を感じてしまい、足早に通り過ぎるだけにしてしまいました。そうは言っても、そんな庭園もまたこの二本松城を形作ってきた歴史の一部なんですけどね。本来の順路に従っていれば、この庭園を先に見ることになっていたわけで、そうだと見方はまた変わったのでしょう。やはり順番に意味はあったのかもしれません(^^;

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 ということで、ぐるっと一周して箕輪門前の駐車場に戻ってきました。遠くまでやってきた記念に立派な石垣を前にプジョー308SWの記念写真(^^;

100名城スタンプは二本松城にはない…

 さて、肝心のスタンプを押さなくてはなりません。しかし、実は二本松城の百名城スタンプは二本松城では押せないのです! スタンプ帳にはスタンプの所在場所として「二本松歴史資料館」または「JR二本松駅」と書かれています。また箕輪門の入り口にもそのように赤文字で注意書きがありました。

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 ということでJR二本松駅にやってきました。駅前には30分まで無料の一般用の駐車場もあります。そしてやはり駅前にも二本松少年隊の銅像がありました。

 100名城スタンプは駅の中にある観光案内所にあるとのこと。ただしやっているのは午前9時から午後5時半までです。

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 ということで無事に二本松城のスタンプをゲット! 百名城スタンプを集め始めて3年目の今年はややサボり気味なのですが、実はブログで報告してないものも含めて今回で23個目となりました。年10個ペースに戻すのはちょっと難しいかもしれませんががんばります。

 なお後にいるのは二本松のゆるキャラ「菊松君」です。二本松は菊人形でも有名で、毎年10月には二本松城で菊人形展が行われるそうです。

続100名城スタンプ始まる

 ちなみに今年の城の日(4月6日)から新たに「続日本の100名城スタンプラリー」なるものが始まりました。本家の100名城スタンプは開始からそれなりの時間が経ち、コンプリートした人が相当数に上ってきたこともあって、続編が作られたようです。もちろん、本家100名城以外の城からさらに100城が選ばれています。

↓こっちが元祖日本の100名城。今私が使っているやつです。

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

↓そしてこっちが新しく出た続日本の100名城。 

続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)

続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)

 多くの100名城巡りクラスタが騒然とする中、今年の4月にリリースされました。

 たしかに「ここ100名城じゃないの!?」と思うような立派な城跡は100名城以外に日本全国にたくさんあります。本来は100名城をコンプリートした人に続編を始める権利があるような気もしますが、今からでも続100名城も一緒にやっていかないと寿命が足りない気がしてきました。

 近いうちに手に入れて、今後は両方平行で進めていこうと思っています。

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