幕末あどれさん

投稿者: | 2012年7月27日

幕末あどれさん (幻冬舎時代小説文庫)

幕末あどれさん (幻冬舎時代小説文庫)

黒船の砲声が切って落とした維新の幕。あらゆる価値観が激変する中、旗本の二男坊、久保田宗八郎と片瀬源之介の人生も激流に飲み込まれていく。武士に嫌気がさした宗八郎は芝居に出会 い、狂言で生きる決心をする。一方、源之介は徳川家への忠誠心から陸軍に志願するが……。時代に翻弄される名もなき若者(=あどれさん)の青春と鬱屈を活写した傑作。

 松井今朝子さんの文庫新刊です。しかしこの小説は新作というわけではなく、10年以上前に書かれた松井今朝子さんとしては比較的初期の作品。文庫版も別の出版社からすでに発行されていたのですが、今回幻冬舎文庫から再刊となりました。実はこの本を読みたくてずっと捜していました。というのも、この作品には「銀座開花おもかげ草紙」と「果ての花火」という続編があって、この二冊はすでに先に読んでしまっていたのです。いずれも途中から読んだわりに非常に面白くて、強く印象に残っています。

 この一連の三作は、いわゆる普通の連続シリーズものとはちょっと違っていて、それぞれ小説として完結しているのですが、いずれも主人公は同じ人物です。そのシリーズ初巻にあたるのがこの「幕末あどれさん」。しかし、再刊される前の文庫本は、私が読みたいと思ったときには、すでにどこを捜しても手に入らず、半ば忘れて諦めていました。それが今月になって、思いがけず本屋さんでこの再刊本に出会い、その分厚さ(700ページ越え!)に驚きつつも大喜びで読み始めました。

 ちなみに「あどれさん」とはフランス語で「若者たち」を意味する言葉だそうです。つまり本書の題名の意味は「幕末の若者たち」となります。これだけ聞くと、明治維新によって作られる新しい世の中や、明るい未来を夢見る若者達の清々しい物語… と想像するかも知れませんが、この小説はまったく違います。むしろまったく逆で、維新によって消えゆく古い日本の断末魔の叫びが描かれた物語です。
 そう言う意味では、上に引用した内容紹介文はともかく、この文庫本にかけられた帯に書かれていた「先の見えない幕末。だからこそ若者は眩しいほど輝く。」は、的外れも良いところです。このコピーを書いた人にまったく中身を読んでないだろ!と突っ込みたくなるほど。

 主人公は旗本の次男坊、久保田宗八郎。続編では彼は東京一の繁華街となった銀座で、普通の一市民として暮らしていますが、この小説の中ではまだ江戸の武士として生きています。しかし次男である彼は早々に武士という身分に見切りをつけ、町人に身なりを変えて、刀を筆に持ち替え、芝居の世界に飛び込んでいきます。しかし維新により幕府が崩壊するのを目の当たりにし、なぜか次第に焦燥感に駆られる宗八郎。武士崩れの町人として暮らし、家も身分も禄もとっくに捨てさった彼は、もはや何も失うものはないはずなのに、いざ自分のルーツが思いもかけない形で急速に崩壊する姿に、新しい時代の到来に希望を見いだすことが出来ず、心の奥底に眠る武士としての本性に目覚めていくのです。

 幕末の江戸を描いた小説はいくつか読んできました。中でも個人的に最高傑作と思えるのは北原亞以子さん作の「まんがら茂平次」です。あるいは宇江佐真理さんの「夕映え」も良い小説でした。これらは江戸の町民たちが経験した幕末を描いたものですが、一方で武士、しかも徳川直属の旗本や御家人の幕末を描いたのがこの小説。どちらも主人公の人となりはだいぶ違いますが、書かれている幕末史観には同じような雰囲気を感じます。茂平次は駿河台の高台で誰にともなく「おいらの江戸を焼いてくれるな」と涙ながらに叫び、宗八郎は蔵前の橋の上で「貴いお江戸はおまえのような田舎者の外道が来るところじゃねぇ」と官軍兵士に啖呵を切ります。そして明治と元号が改まったある日、宗八郎は芝居小屋の平土間から舞台を眺め、次のように思いを巡らせます。

…幕開きに舞台に流れる蔭歌まで、妙にしみじみと胸に響いた。田之助はじめ出てくる役者は誰も彼もが美しかった。目玉の権ちゃんや菊五郎や左団次や、若手役者の誰も彼もが立派な芸を見せていた。
 昔の江戸はなくなったが、江戸の昔が舞台にそっくり残っていた。舞台の江戸に別れを告げて、見物席の宗八郎は我知らず涙で頬を濡らした。

 さすが松井今朝子さんならではの文章です。失われていく江戸に未練を残し一人もがき続けた宗八郎は、舞台の上の江戸が残っていることを見つけて、そこに別れを告げることで明治という新しい時代を受け入れました。鎖国していた260年の泰平の江戸時代も芝居ならば、朝廷を担ぎ上げた薩長官軍の維新も壮大な芝居。所詮舞台で人々が演じていることに過ぎないのだと、そう気付くのです。

 政治や社会の体制がどれほど急激に変わろうとも、歌舞伎など長い年月をかけて演じられてきた伝統芸能とは、そこに歴史の深さ、過ぎ去っていった時間の長さ、何世代にも渡る人々が積み重ねた息吹を感じることの出来るものであり、時代を超えた普遍的な美意識が凝縮されているものです。だからこそいつの時代にも人々の心に訴えかけるものがあるのだと思います。

 確かに日本は明治維新を経て、約300年間続いた長い停滞の時代を抜け出し、植民地化されることもなく近代国家に変身することが出来ました。しかし、その犠牲としてあまりにも多くのものを自らの手で壊してしまったという気がしてなりません。新しい国を作るという大義のもとに、スケープゴートとして古いものを徹底的に否定し、破壊してしまったことは明治維新の一番の失策だったと思います。

 話が何だかずれてしまいましたが、そういったわけで、この本は期待通りの素晴らしい小説でした。ただでさえショックを受けるほど印象に残った「銀座開花おもかげ草紙」や「果ての花火」は、今作を踏まえて再度読むとどれほど理解が深まるのでしょうか? 是非再読してみたいと思います。

 【お気に入り度:★★★★★】