果ての花火

投稿者: | 2010年8月21日

果ての花火―銀座開化おもかげ草紙 (新潮文庫)

果ての花火―銀座開化おもかげ草紙 (新潮文庫)

命を賭して信じる道に突き進めぬ者が、どうして士族を名乗れようか。久保田宗八郎は、虚しさを感じていた。株式会社、開かれた言論、徴兵制度。西南戦争前夜、すべてが急速に欧米化してゆく。銀座煉瓦街で親しく交わる、若様、巡査、耶蘇教書店主。そして、深い縁で結ばれた元遊女比呂と、互いに恋情を確かめ合った可憐な綾―。名手が、時代に翻弄される人びとの哀しみを描く。

 久しぶりの松井今朝子さんの小説です。昨年読んだ「銀座開花おもかげ草紙」の続編にあたります。本当はさらにその前に「幕末あどれさん」という作品が、このシリーズの第一巻として存在するらしいのですが、未だ未読です。しかし、これらの本を読むに当たっては、シリーズものであることをそれほど気にする必要はありません。

 前作についてはものすごく印象深かったので、良く覚えています。これ以上ないと言うくらいに見事な結末を迎えたと思ったのに、これに続編があると知ってちょっと白けた気持ちになったことも。いったい、あの後にどんな話が続くというのか? その答えがこの本というわけです。

 今作も前作同様に、維新を乗り越えて文明開化に沸く銀座の街で、明るい未来に希望を持つ若者達の生き生きとした物語と思って読み始めたら、物語が進むに従って、実はまったく正反対に、維新に取り残され無残にも踏みつぶされていく「日本人」そのものの断末魔の物語であることに気づき、大きなショックを受けます。

 今回も主人公は久保田宗八郎。黒船来航とともに生まれた、旗本の次男坊のなれの果てです。ステレオタイプな武士の生き残り、と言うわけではないのに、彼の周囲にいる武士出身の遺臣の人々と比べると、どことなく浮世離れし、何もかも西洋にかぶれていく風潮に流されることに、苛立ちを見せるような人物。彼は物語中で次のような言葉を吐きます。

江戸に生まれた男の目にはすべてがまやかしに見える。今日の天皇を御輿に担いでまんまと御一新を成し遂げた連中がそれに味を占め、何もかも西洋に倣いながら、口先では復古を唱えるのだ。世の中にはあとから都合よくこじつけられたことがいくらもある。まともに信じては馬鹿を見るぞと、若い者に言ってやりたい。

第二話「血の税ぎ」より

 彼の視点から見た、様々な明治維新の矛盾とその犠牲となった人々の生活を浮き彫りにします。特に「血の税ぎ」は本当に読んでいてやるせない気持ちになる悲しい物語です。同じように「狸穴の簪」「醜い筆」、そして表題作の「果ての花火」と続き、最後の「直びの神」に至って、久保田宗八郎の人生の目的、このシリーズがシリーズものである由縁を思い出させます。

 そしてまた、今作でも完結せず、このシリーズは次作へと続くようです。恐らく十巻まで到達しないうちに完結するとは思いますが、全巻を通じてかなりの大河ドラマとなりそうです。

 【お気に入り度:★★★★☆】