北海道の山々に思いを馳せて読んだ対照的な二冊 ほか最近読んだ本

投稿者: | 2018年6月25日

 久々の読書感想エントリーです。ここ1年以上書いていませんでしたが、その間も本はずっと読んでいました。最近は時代小説以外も読むようにしていたのですが、久々にちょっと記録をつけておきたいな、と思える本に何冊か巡り会ったので、読書カテゴリーを復活させることにしました。以前のような長文ではなく、自分の読書記録として一言ずつ… と思って書き始めたら、結局以前同様の長文になってしまいました。まぁ、推敲に時間をかけて短くするのも手間なので、書いたままにしておこうと思います。

 さて、今回のテーマは「北海道の山」です。いえ、結果的にそうなっただけで、それを意識して選んだわけではありません。一冊はその素晴らしさが書かれており、もう一冊は怖さが書かれています。

ニセコパウダーヒストリー:ひらふスキー場発達史刊行委員会

ニセコパウダーヒストリー―ひらふスキー場リフト開業50年

ニセコパウダーヒストリー―ひらふスキー場リフト開業50年

  • 作者: ひらふスキー場発達史刊行委員会
  • 出版社/メーカー: ひらふスキー場発達史刊行委員会
  • 発売日: 2011/11
  • メディア: 単行本
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レルヒ中佐がニセコにスキーを伝えて100年。そしてニセコにスキー場が出来て50年。ニセコのスキーの幕開けは、1912年にレルヒ中佐が、スキーを携えて倶知安にやって来たことに始まります。2011年12月のひらふスキー場開設50周年の節目に久米家、ニセコの歴史とレルヒ中佐をはじめとしたニセコにおけるスキーの先人達の足跡をたどります。

ニセコひらふ おもしろ歴史ブログ

 毎年冬になるとスキーをしに通っているニセコですが、そのスキー場がどのような経緯を経て現在の状態になったのか、明治時代に始まった倶知安とニセコの開拓から、スキー場開設と発展の歴史をまとめた一冊です。今冬にたまたまこの本の存在を知り、どうしても読んでみたくなってアマゾンで中古本を手に入れました(ちなみに現在は5千円台の値がついていますが、私が買ったときは千円台でした)。発行は2011年のことで今から7年も前のことです。

 昭和36年に初めてヒラフにリフトが架けられたと聞くと、スキー場としては意外に歴史が浅いと感じてしまいますが、もちろんそれよりもずっと前から、その雪質と積雪量は有名で、羊蹄山やアンヌプリ、イワオヌプリなどは山スキーをする人達にとっては聖地的なスキーエリアだったそうです。つまりその頃のスキーヤーはみんな自分の足で雪山を登ってから滑っていたと…。アンヌプリは標高は1300mそこそこですが、あの積雪の中をラッセルしながら山登りしていたかと思うと、私のような現代の軟弱なスキーヤーには想像がつきません。今は便利なリフトがあって本当に良かった!

 しかし、私もガイドさんに連れられて滑ったことがある、アンヌプリ山頂からの北斜面や東尾根、あるいはバックボウルなどのバックカントリーエリアは、そういう大昔からのスキーヤー達も滑っていたであろう、原始的なニセコスキーの神髄なんだと思うと、やはり感慨深いものがあります。今度行った時には、この雪とこの斜面を求めてやってきたであろう、いにしえのスキーヤー達に思いを馳せながら心して滑ろうと思います。

 読み物としては、ニセコを知らない人達にその魅力を知ってもらう… という内容には残念ながらなっていません。ニセコのスキーを愛する人、その魅力を分かっている人向けの硬派な一冊です。

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか:羽根田治、飯田肇、金田正樹、山本正嘉

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)

2009年7月16日、大雪山系・トムラウシ山で18人のツアー登山者のうち8人が死亡するという夏山登山史上最悪の遭難事故が起きた。暴風雨に打たれ、力尽きて次々と倒れていく登山者、統制がとれず必死の下山を試みる登山者で、現場は修羅の様相を呈していた。1年の時を経て、同行ガイドの1人が初めて事故について証言。夏山でも発症する低体温症の恐怖が明らかにされ、世間を騒然とさせたトムラウシ山遭難の真相に迫る。

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫) | Amazon

 今年の春先も、いくつか山岳遭難に関するニュースがありました。私自身は登山をしていないので共感も実感もない世界のことなのに、なぜかそのニュースから関連記事を辿っているうちに、9年も前に発生したトムラウシ山の大量遭難事故に強い興味を持ち、読んでみなくてはと思って手にした本です。

 基本的な内容は、日本山岳ガイド協会による事故調査報告書(リンク先はpdfファイルです)に準じていますが、生存者の証言については独自に集め、気象、低体温症、ツアー登山の安全性に関する考察などについて、新事実を含めてかなり書き加えられているため、事故調査報告書よりも深い、ある意味本当の「事故調査報告書」になっています。

 本のタイトルにもなっている「なぜ?」が全編を通して貫かれているテーマです。現場で繰り返された判断ミス、台風のような暴風が吹き荒れた気象条件、そして同時多発して急速に進行した低体温症。そして最終章ではツアー登山という仕組みが持つリスクと脆弱性にも焦点が当てられています。

 発生当時の報道では「経験も浅いカジュアルな高齢登山客の団体ツアーが、軽装備のまま無謀にも北海道の2,000m級の山に足を踏み入れ、運悪く悪天候にあって遭難した」という論調だったと記憶しています。しかし事実として彼ら彼女らの装備が著しく不足だったということはないし、わりと高齢だったのは事実としても軒並み10年超えの登山歴を持つ人達ばかりでした。

 この遭難に至った「なぜ?」の答えは、参加者のリテラシーの問題で片がつくような単純なことではありません。むしろそのような態度は、この事故から得られるはずの教訓に目をつぶることになると、この本は指摘していると思います。

 読んでいて圧巻なのは低体温症について書かれた第四章です。様々な事故原因が複合する中でも、低体温症の恐ろしさとそれに対する無知は、この大量遭難を引き起こした決定的な原因です。強風に吹かれ体力が奪われる中、4時間程度で死に至るほど急速に進行する低体温症では、本人は「寒い」と気がつく前に脳がやられ、判断力と行動力が極端に低下しそれがさらに低体温症の進行を加速させる… そう言った不幸な連鎖がこの事故では多発したことが丁寧に明かされていきます。

 ではこの事故は避けようのない天災的な不運だったのか? いえ、もちろんそうならないための対処法はいくらでもありました。もちろん旅行会社やガイドの責任は重大です。そしてツアー登山という仕組み自体にも問題があるとこは、第六章「ツアー登山」で強い調子で指摘されています。

 しかし一人一人の登山者の責任として、私は第五章の「運動生理学」が非常に重要なのだろうと理解しました。低体温症に至らないために食事(消費および摂取カロリーを正確に見積もる)はもっとも基本にして重要なのだと。低体温症のリスクに晒されたときには、脂肪の燃焼を待っていては間に合いません。荷物を軽くするために食料を減らすというのは本末転倒であり、この事故において参加者自身の責任において用意すべき装備に不足があったとすれば、食料だったことが分かります。

 この「消費カロリーをカバーするだけの食事をとる」というとても当たり前のことは、登山だけでなくスキーでも役立つ考え方です。バックカントリー・スキーでは雪崩のリスクに注意がいきがちですが、低体温症のリスクも実は常にあって、エネルギー補給は全ての安全の基礎なのだと改めて理解することができました。

上を向いてアルコール:小田嶋 隆

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

「50で人格崩壊、60で死ぬ」。医者から宣告を受けて20年―なぜ、オレだけが脱け出せたのか?「その後」に待ち受けていた世界はいかに??300万のアル中予備軍たちと、何かに依存しているすべての人へ。壮絶!なのに抱腹絶倒。

 コラムニストの小田嶋隆さんがアラサーの頃にかかっていたアルコール依存症についての回想録です。いえ、本書で繰り返し説明されているのですが、実際には「かかっていた」という過去形ではなく、アルコール依存症というのは治らない病であるとのこと。現在の小田嶋氏は「断酒中のアルコール依存症患者」に過ぎないそうです。

 その状態を坂道を転がる石に喩えて、今は何とかつっかえ棒で止まっている状態だが、そのつっかえ棒が折れるなり外れるなりしたら、また石は転がり始めるわけで、アルコール依存症という坂道は決して平坦にもどることはなく、そしてその坂道の下には何らかの形で「クラッシュ」が待っている… と説明されています。うむ、怖いですね。

 筆者の体験を読んでいると、さすがに私自身はそこまで酷い飲み方をしたことはなく、アルコール依存症というのは遠い世界の話のように思えますが、一方では30代の頃の自分のお酒との付き合い方は、ちょっとおかしかったんじゃないか?という自覚はあります。だから本書に出てくるエピソードの一つ一つに「そんなバカな!」と理性が常識的な反応しつつも、頭の片隅では「うん、そういうことあるよね」と理解を示していたりもします。

 だから今はうまくお酒と付き合っているつもりでいて、実は私の中にもわずかに傾いた坂道があって、その上で石はたまたま何かに引っかかって止まっているだけなのではないか?と心配になってきました。それは何かの拍子にゆっくりと転がり始めるかもしれないし、もしかしたら傾斜が強まって自然と転がり始めるのかも?

 本書にも書かれていますが、お酒というのは自分で思っている以上に生活の細部、意識の隅々にまで染みこんでいます。だからこそ止めるのが難しいのでしょう。「自分は絶体にそうはならない」と勝手な自信を持つよりも、「もしかしたら危ないかもしれない」と少し怯えながら付き合っていくのが、自分的にはちょうどいいアルコールとの距離感なのだろうと思いました。