前回エントリーではうどん三昧な食べ物編をお送りしましたが、旅の道中はうどんばかり食べていたわけではなく、ちゃんと合間に高松周辺の名所を巡ってきました。
香川県でまず行くべき名所はと言えば、私の知識ですぐに出てくるのは「こんぴらさん」です。少し前にブラタモリでもやっていましたよね。まるで難攻不落の山城のごとく、何百段もの階段を上った先にある神社で、昔から全国で信仰を集めていたお社です。
そして一昨年から始めた百名城スタンプ集めも忘れてはなりません。香川県には二つの城跡がエントリーされています。いずれも高松近辺に集まっているので、僅か一泊二日の短い旅でも十分に回れるはず。
ということで、この三カ所の史跡を駆け足で巡ってきた記録です。三つまとめてしまったのでちょっと長いです。
785段(または1385段)の果てにある金比羅宮
まず最初に訪れたのは「こんぴらさん」です。天気の良い土曜日のお昼前ということで、かなりの混雑を予想していましたがそうでもありませんでした。
参道の入り口手前まで車で入って行き、適当に見つけた駐車場へ。お土産買えばタダみたいなところかと思ったのですが、そうではなくて一日500円という良心価格でした。
賑やかな表参道を抜けた先に、ひっそりとこんな石碑が建っています。この背後に見える階段が「こんぴらさん」に向けてひたすら続く階段の一段目です。早速行ってみましょう!
表参道と違って階段が始まると道幅は急に狭くなります。最初のうちは両側にずらっと色々なお土産屋さんが並んでいて、眺めているだけでも楽しいです。いちいち買い物したり買い食いしていたら、なかなか先に進みません。
途中には枝垂れ梅が咲いていたり、ネコさんが佇んでいたり。振り向いてみればいつの間にか結構高いところまでやってきました。
いちいち何段くらい上ったのか気になりますが、その手の表示はほとんど見かけません。後で調べてみると、この辺りでだいたい250段目付近のようです。まだ先は長いです。
ようやく立派な建物が見えてきました。もしやゴールか!? と思ったら、これがは大門だそうです。そう、門。やっと入り口くらいの感じでしょうか。ここまででまだ365段。でも半分くらいは登ってきたことになります。
大門を抜けるとしばらく平らな参道が続きます。両側は立派な桜の木で囲まれていますが、まだ一輪も咲いていませんでした。満開になったら素晴らしい光景になることでしょう。
クランクを抜けてさらにひたすら階段を上がっていきます。いつの間にか辺りは鬱蒼とした森に覆われていました。その先にひときわ大きな建物が見えてきました。
もうこれだけ立派なお社があるのだから、ここがゴールで良いのではないか?と言いたくなりますが、これは旭社というお社で、本来は帰りにお参りする神様だとか。知らなかったので先に手を合わせてきてしまいました。
で、そのとても立派な旭社をの脇を抜けたらもうあとちょっと。最後の階段を登り切ると…
本宮にようやくたどり着きました。ここまで785段です。よくやった!自分!
なお、さらにこの先も600段の階段が続いていて、奥社まで1385段が本当に本当のゴールなのですが、私が行ったときは、本宮から奥社までの階段が崩れているらしく、通行止めになっていました。行けないのだから仕方がありません。今日はこのくらいにしておきましょう(A^^;
本宮の周囲は、やはり下界とは違って何かピリリとした引き締まった神聖な空気が流れているように感じられます。
本宮脇には展望台があって、丸亀市街方面を見通すことが出来ます。お椀をひっくり返したかのような見事な山は讃岐富士、その奥には瀬戸大橋もうっすら見えるていました。
なお江戸時代、伊勢参りとともに金比羅参りは江戸の庶民の憧れでしたが、なかなか旅に出ることは適いません。その代わりに犬を金比羅参りさせるという風習があったそうです。代参に出された犬は、街道を行く旅人達が代わる代わる世話をしながら道行きし、金比羅詣でをして江戸の主人の元へ帰って行ったそうです。なので、犬にまつわるものがたくさん境内にはありました。
ちなみに「こんぴらさん」は古くから海上交通が盛んだった瀬戸内海を望む位置にあるためか、そもそもは船の神様だそうです。なので航海の安全を祈って新旧様々な船の写真が奉納されていました。
この写真の左に見える潜水艦のようなものは、冒険家の堀江謙一さんは奉納したもので、アルミ缶をリサイクルして作られたものだそうです。遠くからその姿を見たときは、何か戦争絡みのものかとドキドキしてしまいました。
さて、上った後は下るだけ。でも下り下りでは意外に脚に来るんですよね。わたしもちょっと持病気味の左膝に痛みが出そうでしたがなんとかなりました。なお、代参ではなく主人とともにお参りしているワンコも沢山きていました。
それにしてもここも桜ですね?、うっすらピンク色ですがまだまだ蕾でした。今週はもう咲いてるのかも。
ということで、表参道まで無事に下ってくることが出来ました。
とても良いお天気でしたが、この日は少し肌寒いくらいの気候。なのでひたすら階段を上り下りしても汗を掻くほどのことはありません。むしろ金比羅参りにはちょうど良い季節だったと思います。ただこれ、真夏はちょっと無理ゲーなんじゃないかと思いました。
江ノ島のように無粋なエスカレーターが作られるとか、そういうことはないと思いますが、脚の悪い人やお年寄り向けには、一応駕籠で運んでくれるというサービスがあります。往復で6,800円也。
奥院まで行くのは大変だと思いますが、本宮までならゆっくりと沿道見物しながら往復して1時間そこそこで見物できます。
まさかの山城! 見事な高石垣が美しい丸亀城
次にやってきたのは丸亀城。百名城の一つであり、全国に12しか残っていない現存天守のうちの一つが見られる貴重な城跡です。
現存天守があるという以外に、ほとんど予習をしていかなかったのですが、地図上で確認しても瀬戸内海に面した丸亀市街のど真ん中にあるということで、勝手に典型的な平城だと思い込んでいました。
ところが現地に着いてみると目の前にはこんな巨大な石垣がそびえていました。そして写真でもほとんど分からないかも知れませんが、小さな建物の屋根がちらっと見えています。
まさかこの石垣の上に天守があるのか?? これはまるで山城ではないか!
ということで、早速車を降りてお城の方へ。間近に見上げる石垣はこんな姿。これはすごい。横目地が揃った見事な打ち込み接ぎです。
この高石垣は丸亀城の見所の一つ。一段当たり最も高い石垣を持つのは大阪城ですが、丸亀城は四段に分かれていながらも、その総高は日本一だとか。
なので、そのてっぺんにある天守を見に行くには、この石垣と同じだけの高さを登ることになります。金比羅さんで散々山登りしてきたのに、またもやこんな険しい坂道が待っているとは…。
しかし登った先には素晴らしい景色の展望スポットが待っていました。「こんぴらさん」からの眺めも良かったですが、こちらはさらに瀬戸内海に近いので、瀬戸大橋も島々も対岸の岡山もよく見えました。
ちょっとズームにしてみるとこんな感じです。
瀬戸大橋の香川側にはゴールデンタワーという展望台があるそうです。というかこの写真にもひときわ高い煙突みたいなのが写っています。あそこに登るとさらに瀬戸大橋と瀬戸内海がよく見えるのでしょう。周辺にいた家族連れの子どもが「ゴールデンタワー行きたい~」とお父さんに駄々をこねていました。
なお、上の写真にあったとおり天守はビックリするくらい小さなもので、他のお城だとこのくらいは櫓としていくらでも残っていそうな規模です。正直言って「えっ?これ?これなのか?」と肩すかしを食ったというのが第一印象でした。そして実際のところ現存天守の中では最小です。
でもこれが紛う事なき丸亀城の天守にして、約360年ほど昔に建てられたまま残っているもの。在りし日はこの天守がぽつんと立っていたわけではなく、廊下を通じて複数の櫓が繋がった一連の建物の中心部にあったということのようです。そして200円払って中に入ってみれば印象は一変します。いえ、中も小さく狭いのは確かですが、この建物がいかに頑丈に、丁寧に建てられたかがよく分かります。
二の丸跡の広場は桜の木がたくさんありました。ほとんどは蕾でしたが、一部開きかけていました。ここも今週末は見事なお花見ポイントになっているのかも。
二の丸と三の丸を仕切る門があったと思われる枡形を形成する石垣もとても美しい風情です。
坂道を利用したこの防御の造りをみれば、このお城が海を望む平野に切り立った平山城としてここに作られた理由がよく分かる気がします。
堀に海水が流れ込み鯛やフグやスズキが泳ぐ高松城
香川県内にあるもう一つの百名城は、高松港のすぐ横にあるその名も高松城です。もともとは海に面していた海城でしたが、現在は埋め立てが進み城郭は直接海には接していません。明治以降の都市化に飲み込まれてほとんどの遺構は消えてしまったかと勝手に想像していたのですが、これが現存天守を持つ丸亀城に負けず劣らず、素晴らしい城郭跡でした。
車を停めて東門から入ると、いきなりこんな石垣に出会いました。これは何でしょう?櫓か長屋が建っていたのでしょうか? 高さはないものの、立派な巨石が積まれたわりと近代の石垣であることが分かります。
南東の角に建つ艮櫓です。丸亀城の天守並みの三層櫓ですが、これは歴とした現存建造物だそうです。道理で格好良いと思った(^^; 残念ながら中を見学することは出来ません。
ちなみに高松城にはもう一つ、海に近い北側に月見櫓と水手御門が現存建造物として残っています。天守が残っているお城は少ないですが、こうした周辺建造物が残っているとこをがたくさんあります。あまり天守にこだわることもなく、こういった櫓が残っているだけでも十分に価値があると思います。
中央部には披雲閣という古そうな建物が建っています。元々は藩主が生活する御殿だったそうですが、オリジナルは明治維新後に廃城例とともに取り壊されました。現在の建物は大正期に再建されたものだそうです。再建後は主に迎賓館として使われており、現在も現役。再建ながらもそれなりの歴史があるので国の重要文化財に指定されています。
高松城跡は玉藻公園と名付けられていますが、敷地は広大な堀が目立ちます。その広大なお堀の脇を歩いていると、こんな看板が目に入りました。鯛? 鯉の間違いじゃないのか?と思ったのですが、実際にお堀を覗き込んでみたところ…
うん、これは鯛ですね。真鯛がたくさん泳いでいました。高松城のお堀は海から海水が流れ込んでいるらしく、海に暮らす魚が生息しているようです。
そんな魚たちを良く見ようということで、お堀を巡る遊覧船に乗ってみました。大人は500円です。遊覧船というかわずか5人乗りのちょっとしたボートです。船頭さんがガイド役を務めてくれます。
しかしその船頭さん曰く、今年の冬は冷え込みが厳しすぎて水温が下がり、例年なら山ほどいる鯛やスズキはほとんど姿が見えなくなってしまったそうです。さっき上からみえたやつは、ごくわずかな生き残りのようです。
ということで、鯛と戯れるのは諦めて、石垣を良く見ることにしましょう。これはお堀の真ん中に聳える天守台。最近数年かけて解体修復が行われたものだそうです。かなりの規模ですし美しい石垣ですね。
しかも最初に見た巨石を隙間なく積んだ石垣と違って、ずっと古い時代に積まれたことを覗わせる野面積みです。修復後とは言え野面積みでこれだけの規模、これだけ整った形をしてるとはすごいです。
なお最近の流れとして、ここ高松城でも天守再建の運動があるそうです。前途はかなり多難なようですが。
天守を失った理由は各地各城様々ですが、この高松城は明治時代になって廃城令の後、ご丁寧なことに人の手で解体破却されたそうです。しかも何の資料も残っていないとか。その記録がないことが再建の大きな妨げになっていることは想像に難くありません。300年にわたってこの地の中心的シンボルと存在し、わずか150年前まではそこにあったはずの巨大な建築物だというのに。
わずかに残る記録の一つがこの写真です。Public Domainで配布されているのでここにも貼っておきます。解体される前、明治初期に撮影されたものだそうです。石垣よりも外に張り出したかなり個性的な姿の天守だったようです。これは是非再建してもらいたいですね。もちろん木造で。
現在は丸亀城を含む12城しかオリジナルの天守は現存していません。もちろん戦争で焼失した天守も多いですが、それよりも一番多いのは高松城同様に、明治維新とともに武士の時代を象徴する城はもはや不要ということで、日本人自らの手によって取り壊され、失われたものです。
それまでの長い自らの歴史の積み重ねを無視した維新や進歩というのは非常に危ういものです。 彼らが歴史的建造物とともに捨て去った武士の時代は300年に渡って泰平の時代をもたらした一方で、近代国家をめざしたという明治国家は80年しか持たず、多くの犠牲を出して破滅的な最後を迎えたわけです。
さて閑話休題。天守台の角は強度を持たせるためにちゃんと算木積みされています。熊本の大地震で甚大な被害を受けた熊本城でも、修復した石垣は崩れ、ほとんど手を付けたことがない角の算木積みの部分だけ残っていた映像は印象に残っています。
これはその天守台に架かる橋の部分。堀は海水なので橋桁は石造りです。もともとは屋根などなく、戦時にすぐに落とせるような質素な橋だったそうですが、戦などなくなった江戸時代になって今のような姿になったのだとか。なお、橋の向こうに少し見えているのは琴電の駅です。
そして高松城に残る数々の石垣の中で、この部分がもっとも古く、まだ修復が行われていない部分だそうです。おおよそ450年前に積まれたものだとか。確かに見るからに年季が入ってます。現在は上に松の木が生えており、根によって中から傷んでいるのではないかということで、そのうちこの部分も修復されるだろうとのこと。オリジナルの姿を見られるのは今のうちです。
ということで、ちょっとした水上の旅は終了です。なかなか面白いクルーズでした。最後に正面左側に見える小さな水門は今でも海に繋がっているそうで、ここから海水が出入りしているそうです。その昔は高松城は海に面していたわけで、当然その頃からお堀は海水だったわけで、豊富な海の幸も城内で獲れたり… したのかもしれません。
無事に香川県の二城を制覇し、スタンプを二つゲットしました。今年に入って初の百名城スタンプです。これで21個目です。もう2割… というよりはまだたったの2割。先は長いです。
さて、香川の旅はこれで終わりではありません。もう一カ所行ったところがありますので、まだ続く予定です。