雨に濡れた紅葉が美しい武田氏館跡で戦国時代に思いを馳せる

投稿者: | 2015年11月13日

 「甲府城へ石垣を見に行く遠足」の続きです。午前中一杯を甲府城で過ごした後、車を北へ走らせました。駅前から武田通という名の緩い坂道を登って行き、山梨大学を通り過ぎるとやがて武田神社に突き当たります。
 戦国時代以降は先ほど見てきた甲府城を中心に城下町が形成されましたが、それ以前の中世の城下町は甲府城よりもずっと北の方にありました。その頃この地を治めていたのは、言わずと知れた武田信玄公に代表される武田氏一族に他なりません。旧城下町の中心にあったのは、武田氏館、別名躑躅ヶ崎館です。

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 武田氏館はその名の通り「城」を名乗っていないのですが、事実上の武田氏の「城」ということで、日本の百名城にもリストアップされています。しかし「攻撃は最大の防御なり」を実践した武田氏らしく、守りをあまり重視しない質素な「館」だったようで、現在残っている遺構らしきものはほとんどありません。

 ちなみに、武田氏館は国指定の史跡ですが、甲府城は国指定ではなく山梨県指定の史跡に留まっています。その差はいったい何なのでしょう?

武田神社

 さて、その武田氏館があったその場所は実は今では武田神社となっています。

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 敷地の南側に掘が残っています。そこを渡る朱塗りの橋とその正面にある鳥居はまさに神社の佇まいですが、よく見ると参道入り口の両側は石垣が残り、ここが城であったことを伺わせます。

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 戦国時代の武将が神様として祀られている例は少なくありませんから、武田神社が存在するのも頷けます。祀られているのは武田氏一族の中ではもっとも有名な武田信玄公です。

 しかしこの神社の歴史はそれほど長くなく、創建されたのは大正時代のことだそうです。三方ヶ原の戦いで徳川家康を完膚なきまでに叩きのめした信玄公ですから、徳川幕府の時代に神様に祭り上げることは出来なかったのだろうと想像しますが、地元には信仰がずっと根付いていたのかもしれません。

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 巨大な銀杏の木を背にした建物は「甲陽武能殿」というもの。いわゆる能舞台です。なんだか良い雰囲気です。

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 甲陽武能殿の横には御神木があり、その根元には榎天神と書かれた小さな祠がありました。神社らしく、境内にはいろいろな神様が祀られているようです。この辺の佇まいは、城跡というよりはやはり神社のそれです。

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 そしてさらに奥に進むと拝殿があります。このあたりに武田氏館時代の居館があったようです。この日は七五三の家族連れが多く訪れていて、かなり混雑していました。その合間を縫って、私もちゃんと信玄公にお参りしておきました。強くなれますように、と(^^;

 中世の城郭であった武田氏館跡が神社になってしまったことについては、いろいろな意見があるかもしれません。ただ武田氏滅亡後、城と城下町は南へ移され、主のいない館の建物等は早々に失われたであろうと想像できます。なにもわざわざ城趾の遺構を壊して神社が建てられたわけではなく、むしろ武田氏館時代の敷地、堀、縄張りなどは、甲府城などと比べると良くそのまま残っている方で、それは神社になったおかげと考えるべきかもしれません。

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 拝殿横に飾ってあった巨大な杯。武田菱に風林火山の文字はベタすぎるくらい「武田」風ですね。

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 もちろん神社の建物の鬼瓦など、要所要所に全て武田菱が描かれています。

武田氏館の跡

 拝殿の横には宝物館がありました。かの有名な「風林火山」の幟旗、武田家に伝わる鎧兜、日本刀、さらには書物などが展示されていました(全て撮影禁止)。中には信玄公直筆の書や、恐らく合戦で奪ってきたであろう、永遠のライバル上杉の幟旗などもあり、小さな博物館といった趣でとても興味深いものばかりです。それに、毎年4月に開かれている信玄公祭の歴代ポスターも飾られていて、それはそれで見ていて面白いものです。

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 最後に東へ抜ける参道を出て行くと「大手門東遺構公園」が広がっています。その名の通り、武田氏館時代はこちら側が大手門だったそうです。そこには小さな石垣と、土塁などが復元されていますが、一見するとただの広場です。ただし武田氏館の遺構はここにわずかに見られるのみ。このあたりのことは、甲府城を案内してくれたボランティアガイドさんがあらかじめ教えてくれていました。

 さらに、拝殿の西側奥の方には、武田氏滅亡後に造られた天守台の石垣が残っているそうですが、そこは公開されておらず、しかも周囲は鬱蒼とした森に覆われていて見ることはできません。

 ということで、城跡としては見るべきものはほとんどないのがやや残念ですが、それこそ400年以上の長い年月をかけ、いまはこうして神社となって七五三の子供達がやってくるようになるまでの経過は、それはそれで歴史なのだと思います。わずかな堀や石垣、鬱蒼と茂る木々、土塁と思われる地面の起伏などを見て、そして今は神社となっている敷地を散策しながら、戦国時代でも名うての武将にして、数々の逸話を持つ武田信玄の生涯に思いを馳せ、ただいろいろ空想するのもまた面白いもので、こういう城趾もありだと思いました。

雨の紅葉

 さて、おまけなのですが、武田神社の境内は甲府城よりももっと分かりやすく綺麗に紅葉していました。

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 神社の南側、参道が渡る水堀。これもまたここがもともと城であったことをし示す痕跡です。堀の水は淀んでいて枝や落ち葉が浮いており、あまり綺麗には見えませんでした。

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 境内には美しいカエデがあり、ちょうど色づきはじめたところ。葉っぱがまだ瑞々しく元気で傷んでいません。なのでアップで撮ってしまいました。雨に濡れてる紅葉もいいものです。

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 黒バックだけじゃなくて背景に光を入れるのも定石でしたっけ。露出を弄る余裕が全くなかったので、普通に写ってしまいましたけど。開放F値の暗いズームしか持っていかなかったのですが、大きなものじゃないのでカバンに単焦点レンズを一本入れていけば良かった…。

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 引きも撮ったのですが、いろいろ詰めが甘くて反省しています。RAW現像もどうして良いのか分からず。でも実物の紅葉は本当に綺麗でした。

甲府といえば信玄餅とほうとう

 甲府城から武田氏館へ移動する合間にちょうどお昼になったので、甲府駅前を少し散歩しつつ「ほうとう」を食べました。

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 甲府城のガイドさんオススメの店を聞いたのですが、そのお店は夜しか営業してなかったので、ベタなところで小作へ。カボチャほうとうと松茸ご飯のセットを発注したのですが、小作のほうとうは具が巨大で量が多めなのを忘れていました。量的にはほうとう単品で十分です(^^;

 そして武田氏館を見た後は、東京への帰りがけに信玄餅で有名な桔梗屋の工場に寄り道しました。単にお土産を買って帰ろうと思っただけなのですが、これがびっくりの混雑ぶり。甲府城よりも武田氏館よりもずっと混んでいました。狭い駐車場に観光バスがぎゅうぎゅうに停まってる状態。そうか、観光バスのルートに組み込まれているんですね。ちょうどみんな帰りがけということでラッシュ時間帯だったのかも。舐めてかかってました。でも我々も目的は達成できたので問題ないです。次回は工場見学もしてみたいです。

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雨に濡れた紅葉が美しい武田氏館跡で戦国時代に思いを馳せる」への2件のフィードバック

  1. のびー

    戦国時代も数百年年経てば趣が出てきます。現在戦国時代になりつつあるフランスだと胸が痛くなることばかりです。
    平和に自然を眺める時がいつまでも続いて欲しいですねー

  2. hisway306

    のびーさん、
    人間の歴史というのは戦争の歴史ばかりのような気もします。数百年も経つと、その影でどれだけの人が死んだのか、その一人一人にどんな生活があったのかは、もはや想像がつきません。日本でも70年前にあったことの記憶ももはや怪しい状態なのですから。
    仰る通り、平和の中で史跡を楽しむ時代が続いてほしいものです。

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