昨年のF1日本GPの事故で頭部を負傷し、意識不明のまま約10ヶ月にわたって闘病を続けていたジュール・ビアンキが亡くなりました。25歳という若さでした。
F1においてレース中の事故によりドライバーが亡くなったのは、1994年のサンマリノGP(ローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナが死亡)以来、実に21年ぶりのことです。(ただし、ドライバー以外にオフィシャルが亡くなる事故は近年にも起きています)
ジュール・ビアンキの家族からの公式発表(英語版)は↓こちら。
A Statement from the Bianchi Family Nice, FranceSaturday 18 July 201502.45hrs France │ 01.45hrs UK It is with deep…
Posted by Jules Bianchi Fan Club on 2015年7月17日
日本語訳は↓こちらが一番詳しく正確かと思います。
F1を頂点とする自動車レースは、スピード追求するという点で、ある意味人の命を賭けて行われているわけで、実際多くのドライバーの命を犠牲にしてきたという事実があります。しかしスポーツあるいはショービジネスである限り、もはや人の命を犠牲にして良い理由はどこにもありません。そんな大いなる矛盾を抱えた上でF1は今日も行われているという面があります。
その矛盾を少しでも解消すべく、F1関係者はレースの安全性確保のために非常に多くの努力を払ってきました。その努力の甲斐あって、近年ではドキッとするような派手なクラッシュが起きても、ドライバーが自力でマシンから脱出する光景に慣れきってしまい「もはやF1では死亡事故は起こらない」という慢心がどこかにあったのかもしません。少なくとも私はそう思っていました。
それだけに、昨年、鈴鹿で現地観戦していた最中に起きたビアンキの事故に非常に大きなショックを受け、そして今回の訃報を聞いてさらにショックを受けているところです。
現場で見たこと、感じたことはこの観戦レポートにすべて書きました。改めて言うこともないので、このまま再掲しておきます。
ビアンキの事故は誰かに重大な過失があったわけではありません。しかし「誰も悪くない」と言って、「偶然と運の不幸な巡り合わせ」で片付けてしてしまうのは、どこか間違っているのではないかと思います。そうでないと改善の余地がないことになってしまいます。防ごうと思えば防げた事故であることは間違いがなく、事実、今年のF1はビアンキの事故を教訓に、多くの改善が盛り込まれています。
現状に留まらず、ビアンキの死を無駄にしないよう、安全面での改善をさらに続け、人の命を犠牲にすることがないスポーツであって欲しいと心から願っています。