ちよの負けん気、実の父親 物書同心居眠り紋蔵 (講談社文庫)
- 作者: 佐藤雅美
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/05/15
- メディア: 文庫
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八丁堀小町と呼ばれているちよは、料理茶屋・観潮亭の看板娘として評判を得ていたが、抜群の三味線の腕を持つみわに看板娘の座を取って代わられる。さらに、みわの出生の秘密に負けん気を起こしたちよが「あたいは公方様のお姫様かもしれない」と思い込み…。表題作他全8編収録の人気捕物帖第11弾。
佐藤雅美さんのロングセラー人気シリーズ「物書同心 居眠り紋蔵」シリーズの文庫最新刊です。文庫書き下ろし作品では数ヶ月毎に新刊が発行されることも珍しくない中で、このシリーズはおおよそ2年に1巻のペースでハードカバーから先に発行され、さらにその2年遅れで文庫化するというペースを保っています。
今作はシリーズ11巻目、第1巻目の発行は20年も前のことになりました。1990年代後半にNHKでドラマ化された時代劇の印象が非常に強く、その後私自身が時代小説を読むようになってから、真っ先に探して1巻から読み始めたものです。
それから、かれこれ10年以上が経っていると思いますが、2年に一度の新刊が待ち遠しく、今作も本屋さんで見つけて小躍りしながらレジに向かいました。
北町奉行所に勤める藤木紋蔵は、例繰方の物書き同心です。れっきとした二本差しの武士である彼ら、奉行所に勤める武士たちの生活の実態は、所謂「お役人」です。もっと言えば「サラリーマン」と言っても良いのかも。
上司がいて部下がいて同僚がいて、それぞれの役割があり、仕事にあくせく奮闘し、時には理不尽なことを言われ、帰りに仲間たちと一杯飲んでみたり、家に帰れば家族がいて、そこにはそこにまた生活があって悩みがある… 今の時代に暮らす私たちにも共感できる、普通の人の生活です。
とはいえ、そこは封建社会のこと、実情は次のようなものでした。
南にしろ北にしろ、(奉行所は)他所者をいっさい採用しない。与力も同心も代々世襲していて、一生を御番所(町奉行所)で過ごす。どんなにできが悪くとも左遷はない。逆にどんなに優秀でも昇役・栄転はない。
そこはやはり身分と家柄に縛られて硬直化し、次第に崩壊していった武家制度の悪弊でしょう。紋蔵は窓際族ではありますが、町方の役人の家柄というのは立派な既得権益です。「家」を守るために、跡継ぎ問題で紋蔵も悩み抜いてきたことは、紋蔵ファンならよく知っていることでしょう。
さて、そんな紋蔵が勤める町奉行所が管轄していたのは、江戸の町人達の治安と生活です。江戸という大都会に暮らす町人たちには、また町人達ならではの生活がありました。そこは明確な格差社会であり、町人達も立場によってその生活ぶりは様々です。長屋に暮らす貧乏人から、大店の主のような金持ちまで。江戸に暮らす町人たちには課税がされていなかった代わりに、長屋や町単位の自治、特にセーフティネットとしての社会福祉を実現する責任が負わされていました。
一人暮らしの老人がいればみんなで面倒を見て、万が一の時には長屋で葬式を出したり、身寄りを失った孤児や捨て子がいれば、大家が面倒を見つつ養子や奉公先を探すなどなど。中でも捨て子の扱いについては御定書にも以下のように明記してあったと言います。
捨て子を内緒で隣町などに捨て、露頭するにおよんだら、
当人 所払い
家主 過料
五人組 過料
名主 江戸払
同じように武家においても捨て子の扱いについては、以下のようにきっちりと決まっていたそうです
性別は男女いずれか。歳はいくつくらいか。身体に疵はないか。等々を調べ、いつ、どこに、どのように捨てられていたかを認め、お目付に届けられたい
町人には連座を伴う刑罰の規定のみがなされ、過酷なようにも思えますが、逆にこれらの決まりや仕組みは、福祉政策でもありました。当時は「個人主義」という言葉は良い意味でも悪い意味でもなかったのでしょう。
事情があって子を捨てる親は今も昔もなくなることはありません。いや、当時の方が経済的に苦しい庶民は多かったはず。捨て子は重罪である一方で、それでも江戸の街角のどこかに置いてくれば、誰かが必ず育ててくれるという面もあったわけです。
前置きが長くなりましたが(ここまで前置きだったのかよ!という突っ込みはさておき)、今作はそんな江戸の町で、事情があって実の親を知らずに育ってきた、二人の少女を中心に物語が進んでいきます。彼女たちに訪れる様々な運命のいたずらの顛末が今作のメインストーリーです。
そのうちの一人は表題にもなっている「ちよ」、もう一人は「みわ」です。境遇の異なる二人の少女の人生は紋蔵の見ている前で交わり、そしてまた分かれていきます。私の正直な感想としては、「ちよ」よりも「みわ」のほうが今作の主人公だったのではないかと思います。
実の親が分からず、育ての親の元で育ってきた二人ですが、その境遇にはだいぶ差があります。「ちよ」は何不自由ない暮らしをし、「みは」は貧乏のどん底で、それでもたくましく生きてきました。
めまぐるしく変わっていく二人を取り巻く状況。それに振り回される紋蔵たち。佐藤雅美さんの小説らしく、物語のあちこちに江戸社会、経済の仕組みに関する小ネタ(考証)がちりばめられていて勉強にもなります。そして今作では、直接二人に関わらないエピソードも、ほとんどが親子関係の深さと難しさにつながっていくものばかり。それは多少時代背景に影響される部分はあれども、現代にも通じる普遍的なテーマでもあります。
さて、結局のところ血より濃いものはないのか? 縁と恩に優る絆はないものなのか? 「ちよ」と「みわ」の決断はどうなるのか? それぞれ二人の育ての親と、一方で実の親はどんな人間で、どんな顛末が彼らを待ち受けているのか?
「捨て子」という重いテーマを扱っているわりに、そしてあっさりした文章で綴られている割に、さらに主人公の紋蔵はこれと言って取り柄のない中年おやじに過ぎないのに、読んでいてハラハラどきどきのサスペンスにして心温まるヒューマンドラマです。期待に違わずとてもおもしろい小説でした。これまでのシリーズの中でも一番か二番に挙げてもも良い一冊だと思います。
これだから居眠り紋蔵シリーズはやめられません。ハードカバーの単行本はもう次の第12巻が発行されていますが、私はやはりこのまま文庫本で楽しんでいきたいと思います。また2年後、本屋さんでばったりと紋蔵に出会えることでしょう。