- 作者: 佐藤雅美
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/02/15
- メディア: 文庫
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高輪・如来寺に赴任した快鴬は、門前町人たちに地代を課そうとしたが、彼らがいっこうに払わないので公儀に訴えた。ごく簡単な訴訟だったはずなのに、背後に拝領地の売買という、奉行所が裁決を避けてきた容易ならぬ問題が。訴訟を取り下げさせるという厄介事が紋蔵に降りかかる表題作。「物書同心居眠り紋蔵シリーズ」第10弾。
佐藤雅美さんによる「物書同心居眠り紋蔵」シリーズの文庫最新刊です。約1〜2年間隔で発行されてきたこのシリーズもやっとこれで十巻目です。数は多くないですが長い年月をかけて続いているので、数十巻も続いているような大河シリーズもの小説と同じくらいの重みと貫禄を感じます。そういえば前作を読んでからもう2年も経ったっけ?と調べてみたら、第九巻「一心斎不覚の筆禍」から、まだ約一年半しか経っていませんでした。これから発行ペースが上がってくるのなら、紋蔵ファンとしてはうれしい限りです。
さて、十巻十五年の間、紆余曲折を経て色々なことが起きた紋蔵の生活は、ここに至りもうだいぶ落ち着いてきました。家庭のことも目処が立ち、仕事についてもしっかりと立場と役割が固まっています。例繰方として判例を扱うという本業においては、的確に過去事例を紐解くことができる生き字引的な地位を得ているのは良いとして、町方として表だって動けない難事件、それももはやどうにもならないほどこじれてしまった難題の後始末を任されてしまう、という損で厄介な役目は紋蔵にとっては実に頭の痛いことです。
しかし紋蔵はいつも、無理難題を押しつけてくる上司に対し最初は徹底的に抵抗します。その掛け合いがまた面白いのです。上下関係に厳しかった封建社会、しかも形式にこだわる武士の組織のこと。しかし町奉行所はそんな武士の世界において、一番早くに現代的な役所化した組織だったのでしょう。上下関係はあるが形式主義ではなかったと。だから紋蔵は無茶な公然と命令を拒否し、嫌みを投げつけ上司を怒らせるのです。
「藤木、言葉が過ぎるぞ。だいたいだ、ところ構わず居眠りをする。暇さえあれば船をこぐ。それでも我慢強く使ってやっておるのも恩とも思わず、酢だの蒟蒻だのとぬかす。思い上がるにも程がある」
「ではお聞きします。沢田様なら突き止める方法があるとお思いなのですか」
「おぬしなら、何とか工夫するだろうと思うから頼んでおるのだ。わかった。もういい。頼まぬ」
「仁和寺宝物名香木江塵の行方」より
しかしこういったやりとりの後、結局紋蔵は頼まれたことをやる羽目に陥るのです。そしてその結果は…。
町奉行所を舞台にした小説なので、事件の謎解きをするミステリーとしての側面はあるのですが、この紋蔵シリーズの主題はおそらくそこではありません。事件が起きたその時代背景と社会の仕組み、そこに生きる人々の生活とそこで織りなされる人間模様などのほうがより重要なのです。現代に置き換えることができない、江戸時代だからこそ起きたであろう事件の数々。
今作に収められた六話はそれぞれが全く違った展開を見せます。紋蔵の知恵がうまく働いたこともあれば、何もしないのに勝手に決着がつくこともあり。そして時には思わぬ方向に決着するともあります。予定調和のハッピーエンドばかりでないところはさすがの佐藤雅美さん。時代考証にこだわりを見せるのと同じように、人間ドラマにもリアリティが感じられます。そう、白と黒がずっぱり決められず灰色になることも現実には少なくないわけですから。
紋蔵はそんな難しくて複雑な現実に翻弄され、戸惑いながら奔走します。押しつけられた無理難題を何とか片付けようとして。
「おぬしが何を考えたのか、われらには手に取るようにわかる。・・・{中略}・・・だが、たとえ正しくとも。一人ひとりが独断で好き勝手に振る舞うようになったら、役所は統率がとれなくなってがたがたになる。そうではないのか」
紋蔵は深くうなずいた。
「独断と偏見と冷汗三斗」より
無理難題を言う相手は一枚上手のようです。そして世の中は理不尽でありつつも、悪いことばかりではありません。
窓際のしがないサラリーマンである紋蔵には、実際特別な能力があるわけではありません。どこと言って取り柄のないようなごく普通の凡人の中年おやじです。なのにこの紋蔵には何とも言えない魅力があるのです。それこそ、他の小説に出てくる凄腕のスーパーヒーロー並か、もしかしたらそれ以上に。
【お気に入り度:★★★★★】