先日手に入れたジャンクなF-501にフィルムを通してみました。実際に写真がまともに写るのか確認の意味も込めて。そして一眼レフで写真を撮り始めた頃の初心を思い出すために。正確には覚えていませんが、恐らくF-501で写真を撮るのは22年ぶり(F-501のあとにF-601を手に入れたのが1990年)となると思われます。
そもそもまともに写るかどうかも分からない状態でしたので、まずは安い24枚撮り程度のネガフィルムで… と思っていたのですが、最寄りのヨドバシカメラで、大幅に縮小されたフィルムコーナーの隅にまだKodakのポジフィルムが売ってるのを見つけてしまいました。
Kodakは経営破綻をしてフィルムからも撤退するというニュースが聞かれたのはいつのことだったでしょうか? 念のため箱を子細に調べてみると、”Made in USA”であり”Eastman Kodak Company”の名と共にRochesterの住所が記載されていました。使用期限は2014年1月となっています。
そう言えば私はフィルム時代、富士やコニカの国産よりもKodakのフィルムを主に使っていました。画質が… なんてことを口にしていた気はしますが、単にその方が通っぽかったからに過ぎません。
いずれにしても復活のF-501に通すにはやはりKodakしかないと言うことで、1,000円を超える値札がついていたEktachrome E100VSの36枚撮りを1本だけ買いました。恐らくこれが私にとっても最後のKodakとなることでしょう。
紅葉
公園のベンチ
青空
銀杏の落ち葉
撮影データはいずれも不明です。基本的にすべて絞り優先オートで撮りました。露出の感覚はすっかり忘れてしまっていますが、勘で少しずつ補正していたりします。レンズはAF35-70mmで、すべてAFを使用しています。エクタクロームは昔はもっと渋い発色をしていた記憶があるのですが、このE100VSと言うフィルムは”Vivid Saturation”と銘打たれているように、飽和度の高い派手な発色が特徴でとても鮮やか。ルーペで小さなフィルムを覗いていると、この透明感は何だろうな~と思います。
さて、AFの動作は明るいシーンでも相変わらずジリジリと迷いながらゆっくりと合わせていきます。しかし最終的にきっちり合うのです。ピントのヤマが良く見えるファインダーで、その様子を見ていると「正解!お見事!」と言いたくなります。センサーや駆動系の問題もあるでしょうが、ニコンはAF初号機としてピント精度に手を抜かなかったのではないかと思います。
F-501の姿を眺めていると懐かしさを感じるのですが、実際に写真を撮ってると意外にそう言った懐かしさは感じず、すんなりとその世界に溶け込めます。ファインダーのスクリーンは良く見えるし、表示も赤いLEDで明るい場所でも視認性は問題ありません。電源スイッチを兼ねたダイヤルが、つまみ上げて回す方式なのがちょっと面倒。間違って連続撮影モードにしてしまっても、秒間2.5コマ程度では間違って連写してしまうこともありません。
シャッター音と言うよりは、シャッターを切った直後のモーター音は甲高くてうるさいですが、ニコンらしいキレが感じられます。レリーズタイムラグも像消失時間も大したことない普及機ですが、何というか「写真を撮った」感がするのです。それは結局昔使っていた体験から来るものかも知れません。
この薄暗いファインダー像を見ながら、同じ感触のシャッターを押し、同じ音を聞いて撮ったはずの、20年以上前の一つ一つは覚えていないたくさんの写真と、そこにあった若かりし日の記憶が無意識に呼び起こされてくるようです。
これまでにも何台かフィルムのカメラを手に入れて写真を撮ってみたりしていますが、すぐに満足してしまって継続的にフィルムを使うと言うことはありません。こそれは純粋に「撮る行為」を楽しむためのものであり、もっと言えば気分転換のためなのです。そこに加えてこのF-501には「懐古」が加わります。
シャッターに問題がありそうと言うこともあり、このまま使い続けるとは思いませんが、少なくとも眺めて懐かしむためにずっと手元に置いておくことになるでしょう。
とか言いつつ、何となく明るい単焦点レンズが欲しいなぁ、とか思い始めているところだったりします。