さよならA300

投稿者: | 2011年7月7日

 2月末に「さよならジャンボ」というエントリーを書きましたが、そのB747に続きA300もまた、去る5月末に日本航空から退役しました。本来は3月中の引退が予定されていたのですが、東日本大震災の被災地支援のために、羽田から秋田、青森線など東北各地への路線でしばらく継続使用されることになりました。A300は貨物の積載力が同クラスの機体の中では非常に大きく、東北地方へ人や物を運ぶのに最適だったそうです。
 しかし延命期間はわずか2ヶ月だけ。5月31日にいよいよ日本でのラストフライトを迎えました。

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2009年11月, A300B4-622R, JA011D (PENTAX K-7, DA*60-250mmF4ED, F5.6Auto, ISO100, -0.3EV, CTE)

 7月になってからちょうど最新鋭機のBOEING787が日本に初飛来し、各地でテスト飛行を行っているわけですが、A300は実はB787とちょうど同じようなサイズの飛行機。全日空に引き続き、日本航空にもB787は導入される予定ですが、そのB787と翼を並べることなくA300はひっそりと引退してしまいました。


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2009年11月, A300B4-622R, JA016D (PENTAX K-7, DA*60-250mmF4ED, F5.6Auto, ISO100, -0.3EV, CTE)

 もともとA300を日本に導入したのは日本エアシステムの前身である東亜国内航空です。1981年に同社初のワイドボディ機にして、日本初のヨーロッパ製の旅客機として就航しました。その際、本来はエアバス社のデモ機専用塗装だったレインボーカラーを譲り受けてしまいました。短距離機であると同時に、折しも中東で戦争が勃発していた時代。フランスから日本まで飛んでくるのにはかなり苦労したエピソードは有名です。

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2009年12月, A300B4-622R, JA8527 (PENTAX K-7, DA*60-250mmF4ED, F5.6Auto, ISO100, -0.7EV, CTE)

 東亜国内航空時代に導入されたのは、A300の基本形とも言えるB2型、後に航続距離が伸びたB4型が導入され、その後はボディも少し延長されて航続距離も大幅に伸び、システムも近代化された600R型に代わっていきます。 
 その後、国内幹線だけでなく国際線進出とともに社名が日本エアシステムに代わり、さらに日本航空との合併。合併前の日本航空がA300クラスの機体として使用していた、B767-300やB777-200と被る部分がありながらも、ローカル路線での運航利便性の良さと大きな貨客搭載力を生かし、機種整理対象にされることなく、地方路線などで活躍し続けました。

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2009年11月, A300B4-622R, JA014D (PENTAX K-7, DA*60-250mmF4ED, F5.6Auto, ISO160, CTE)

 A300の初号機が飛んだのは今から40年近く前のこと。ヨーロッパ連合のエアバス社の記念すべき最初の飛行機です。アメリカではDC-10やL1011など3発機が主流だった時代に、300席クラスの双発ワイドボディ機という、今でこそ主流のデザインを採用した世界初の機体でした。
 真円のボディを持ち、主翼の取り付け位置が高く、後退角の浅い比較的小さな主翼など、米国製の機体にはない独特のラインを持った美しい飛行機です。

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2009年11月, A300B4-622R, JA8376 (PENTAX K-7, DA21mmF3.2AL, F8.0Auto, ISO100, CTE)

 その後開発された弟分のA310と同じ新世代の操縦システム(Fly by Wire)化するなど、欧州車に通じる堅実なアップデートを重ね、最終的にはA310よりも長く生産され続けることに。1972年のA300B1型機の初飛行から30年後、800機以上生産されたA300の最終型機、A300-622Rは日本航空のJA016Dとして引き渡されています。

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2009年11月, A300B4-622R, JA8377 (PENTAX K-7, DA*60-250mmF4ED, F5.6Auto, ISO100, -0.3EV, CTE)

 A300は離着陸性能が非常に高く、例えば羽田空港で34Rから離陸した場合、B767やB777がそのまま城南島上空をまっすぐ通過してからやっと旋回始めるのに対し、A300はあっという間に高度を稼ぎ、城南島を通過する前に旋回を始めてしまいます。まるでA320やB737などの小型機のようなルートを辿ります。そのため上のような真下からの写真が撮れてしまいます。

 さて以下には、エアバス・レインボーカラー時代の懐かしいA300の写真をいくつか貼っておきます。沖合展開前の旧羽田空港で撮ったものばかりで、フィルムからスキャンしています。1980年代のことなので、先日まで日本を飛んでいた600Rではなく、古いB2/B4型機ばかりです。

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1987年2月, A300B2K-3C, JA8466/JA8472 (Nikon F-501, AF 70-210mmF4, Kodachrome200)

JA8466は1980年に東亜国内航空に導入されたA300の3号機。最初期型と言える機体でB2K型です。しかしこの機体は日本航空と合併してからも2004年まで在籍し、アークカラーに塗り直されて飛んでいました。しかもイランの航空会社に売却され、現在も現役で飛んでいるようです。

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1988年1月, A300B2K-3C or B4-2C, レジ番号不明 (Nikon F-501, AF 70-210mmF4, Kodachrome200)

 この角度から見ると、真円のボディの真ん中近くに主翼が串刺しになっており、主脚が異常に長いことがよく分かります。ちょうど東亜国内航空から日本エアシステムへ社名とロゴが変更されている時期で、垂直尾翼は一時このように無銘で塗装されていました。

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1990年8月, A300B4-2C, JA8277 (Nikon F-501, AF 35-70mmF3.3-4.5, Ektachrome100HC)

 JAS塗装のA300B4。B4型は航続距離が4,000km強に増強されたタイプ。当時は双発機の洋上飛行が制限されていたこともあり、長距離国際線にはもともと使用できないので、これ以上の航続距離は必要なかったようです。B4型は国際線進出のために中古機として導入され、国内線だけでなくアジア各都市へ飛んでいました。

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