F1観戦の想い出(1993 & 1995)

投稿者: | 2009年10月23日

 最近はすっかりF1ネタばかりとなっていますが、鈴鹿観戦の興奮もまだ完全に冷めやらぬ今月は、F1特集月間ということで、もうしばらくお付き合いください。今回は”鈴鹿F1の歴史”です。というのはかなり大げさですが、今回21回目となる鈴鹿のF1日本GPでは、観戦者に無料で「SUZUKA 1987-2006 20th. Collection」というDVDが配布されました。その名のとおり、過去20回の鈴鹿F1日本GPのダイジェスト集です。

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鈴鹿の日本GP 20年の記録DVD。今年の観戦者全員に無料配布されました。

 何という太っ腹な!と思う一方で、中味はわずか15分。20年で15分なので1年当たりわずか40秒程度。何これ?短すぎる!FOMのケチ!でもF1の破格に高い映像権料を考えれば、これだけでも大したものです。懐かしいシーン、チーム、マシン、ドライバーのオンパレードです。それを見ていて思い出したのが、過去のF1観戦。鈴鹿には確か1990年代に2回行ったはず。今回と同じように写真を一杯撮ったはず。

 ということで、10年以上前のF1の写真を発掘しました。改めて思い出してみると、どうやら私が行ったのは1993年と1995年だったようです。既にホンダは第2期活動を終え、F1ブームは下火になっていましたが、まだ日本人ドライバーも複数いて、日本企業のスポンサーも多く、今よりは活気があった時代です。以下かなり長文です。

○1993年日本GP
 この年が私にとって始めてのF1生観戦です。学生時代で、友人から「チケットが余ってるから」というだけの誘い文句に乗ってただついて行っただけ。若さが成せるゆえか、新幹線はおろか宿泊先も決めず、時間もルートも全く調べずに、「行けばなんとかなるでしょ」と軽い気持ちで出かけた記憶があります。実際なんとかなりましたし。観戦席は今回と同じC2。いや、撮った写真を見るとフェンスにかかるくらい低い位置なのでもしかしたらC1かも。しかもかなり2コーナーよりだったと思われます。

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ティレル・ヤマハ021/片山右京。ヤマハV10を搭載したマシン。チームメイトはチェザリスでした。

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1コーナーを飛び出して撤去されるフェラーリF93A。多分アレジのマシン。後ろの観客を見るとこの日がいかに寒かったかが分かります。

 時代はアイルトン・セナと宿敵アラン・プロストの2台巨頭の時代。このシーズンは圧倒的なマシン性能を持つウィリアムズ・ルノーに乗るプロストがチャンピオンを取りました。一方のセナはホンダエンジンを失い、フォードV8エンジンを積んだマクラーレンで苦戦のシーズン。でも、この鈴鹿の日本GPではセナが優勝しています。

 その他、懐かしいチーム、ドライバーが一杯です。チームではジョーダン、ティレル、フットワーク、ベネトンなどなど。ドライバーならジョニー・ハーバート、エディ・アーバイン、ミカ・ハッキネンなどなど。こうして見てみると、現在まで同一チームとして存続しているのは、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズだけです。

 もちろん、その他のチームは消えたわけではなく、オーナーや資本が変りながら、現在も続いているチームが多くあります。ジョーダンはフォースインディアに、ティレルはブラウンGPに、ベネトンはルノーに、フットワークは… そう、後にスーパーアグリがファクトリーとマシン資産を買い取りましたっけ。F1の世界は伝統を守りながらも、めまぐるしく動き続けています。

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予選でガス欠か何かでストップし、コース上を歩いてピットに戻るアイルトン・セナ。これが彼の最後の鈴鹿となりました。

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若き日のルーベンス・バリチェロ。ジョーダンに乗っていました。これも予選だと思います。

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決勝レースのスタート直後。団子状態がすごい!最近は1コーナーではこんな接近戦になりません。

 一方で、チームよりももっと移り変わりが激しいはずのドライバーを見てみれば、当時から現在まで依然として現役でドライブを続けているドライバーが一人いることは驚きです。その人とはルーベンス・バリチェロです。1993年は彼のデビューイヤー、ジョーダンに乗っていました。それから現在はフェラーリの3rdドライバーを勤めているルカ・バドエルもローラに乗っていました。記憶にありませんが(A^^;

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リタイアしてしまった鈴木亜久里のフットワーク無限FA14。きっと電気系のトラブルでしょう。手前はリジェのマシン。

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優勝したセナと2位だけどチャンピオン獲得したプロスト。これはお気に入りの一枚です。

 マシンのデザインも今とは全然違います。エンジンは3.5リッターのNA、V8,V10,V12とさまざまなタイプが混在し、フェラーリ、ルノーなどの大ワークスに加え、ランボルギーニやヤマハなどの小ワークス、ハートや無限、イルモアなどのレーシングエンジン専業メーカーも参戦していました。そしてウィリアムズなどのトップチームは、いち早くアクティブ・サスペンションを導入し、現在のF1マシンよりも先進的な面もあったと思います。タイヤはグッドイヤーのワンメイクでした。

 しかしこの年の日本GPのファステストラップは1分41秒台。今年のF1マシンよりも10秒も遅かったのです。技術の進歩(人間の進化?)の凄さを感じます。もちろん、コースも微妙に変化してる(特にシケインなど)ので、完全に比較は出来ないかもしれません。

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ブラジル国旗が多かった鈴鹿のスタンドの風景。時代を感じます。

 1993年F1日本GPのリザルトはこちらです。

○1995年日本GP
 再び鈴鹿を訪れたのは、1年おいて1995年のことでした。このときも友人から余ったチケットを譲ってもらいました。が、私だけ都合がどうしても合わず日曜日の決勝だけを日帰り観戦した記憶があります。それも、早朝に東京駅まで行ってから、チケットを持ってないことに気づき、タクシーを飛ばして家に戻りました。そんなゴタゴタもあって、鈴鹿に到着したのはスタート直前だったと思います。昔から忘れ物が多いのは変わっていません(A^^; シートもやはり2コーナー寄りのC1もしくはC2の下の方でした。

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ウィリアムズ・ルノーFW17B/デーモン・ヒル。チームメイトはデビッド・クルサード。当時は新人でした。

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ティレル・ヤマハ023/片山右京。前年は大活躍をしましたがこの年は振るわず。

 で、このレース、というかこのシーズン、実はあまり印象に残っていません。F1全体が前年に発生した2件の死亡事故の後遺症を抱えていたような気がします。しかし、この年にはすでにミハエル・シューマッハの圧勝の記録は始まっていました。シューマッハに対するはデイモン・ヒル。この二人の戦いは熾烈を極め、それはコース上だけにとどまらず、かつてのセナプロのような、冷え切ったギスギスした関係だったようです。などと、記録をいろいろ調べていて思い出したのですが、実はこのシーズンはいろいろと面白いことがあったシーズンでもありました。

 フェラーリを駆るジャン・アレジが彼のキャリアの中で最初で最後の優勝をカナダGPで飾ったのもこの年です。ついでに言うと、彼は後藤久美子さんとつきあい始めたのもこの年。アレジは成績は残せないながらもフェラーリドライバーとしてとても人気があり、人々の記憶に残っています。そして鈴木亜久里の引退もこのシーズン。前年に片山右京が素晴らしいパフォーマンスを見せ、プロストに大注目ドライバーだと言わしめたりもしました。そして謎の日本人ドライバー、井上高智穂を襲ったF1史上前代未聞の二つの事件が発生したのもこの年です。(詳しくはググってください)

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フェラーリ412T2/ジャン・アレジ。後にゴクミと結婚します。

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ジョーダン・プジョー195/エディ・アーバイン。F1参戦2年目のプジョー。マクラーレンには1年で見限られました。思えばこのとき既に306はデビューしていたんですね…。

 今では信じがたいことですが、この前年1994年から日本では年2回もF1のレースが開催されました。もう一回は岡山県の英田サーキットで行われたパシフィックGPです。1994年は春に行われましたが、1995年は阪神淡路大震災の影響で、急遽日程変更され鈴鹿と連戦となりました。当時のF1人気がいかに高かったかが分かります。と言うより、日本マネーがF1に相当流入していたのです。写真を見てみても、多くのマシンに日本企業のロゴが大小さまざま貼られています。現在では全く考えられません。

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フットワーク・ハートFA16/井上高智穂。まさか彼の写真を撮っていたとは思ってもみませんでした。

 マシンのレギュレーションは1993年と1995年では大きく変わっていないと思いますが、チーム勢力図はかなり変化しています。マクラーレンとフェラーリは長い不振の時期に突入し、チャンピオンシップはベネトンとウィリアムズの一騎打ちに。エンジン・コンストラクターではルノーの一人勝ち。独立系のエンジン・コンストラクターが消えつつ、フォードのカスタマーエンジンが多くのチームで使われます。そして、プジョーがジョーダンと手を組んでF1に参戦。メルセデスもイルモアを買収する形でマクラーレンに搭載されました。

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マクラーレン・メルセデスMP4-10C/ミカ・ハッキネン。後のワールドチャンピオン。シーズンはじめはマンセルもこのクルマをドライブしました。

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ベネトン・ルノーB195/ジョニー・ハーバート。ミハエルのセカンド扱いに苦しんだ最初のドライバー。とても人気がありました。

 この年の日本GPの勝者はミハエル・シューマッハ。彼はこの年のチャンピオンも獲得しています。ちなみにラップタイムは2年前より遅くなり、1分43秒弱でした。今年よりも12秒近く遅かったことになります。車幅も狭くなり、エンジンの制限も厳しく、電子制御の多くも禁止、空力も制限された今年のいびつなマシンは、当時のF1マシンにくらべ、カテゴリー違いといえるほど高速化しているのです。そりゃ、写真撮るのも難しくなってるわけだ(A^^;;

 1993年F1日本GPのリザルトはこちらです。

○写真について
 さて、上に貼りまくった写真ですが、これらはもちろんフィルムで撮影したものです。それをプリンタ複合機EPSON PM-A900のフィルムスキャン機能でスキャンしました。当時使っていたカメラはニコンF-801s。操作性と操作”感”に優れたとても良いカメラでした。ですが肝心なレンズが思い出せません。このとき持っていた望遠系のレンズと言えば、ED180mm/F2.8しかないはず。180mmではCスタンドでは短すぎたはずで、ケンコーのテレコンバータを使った記憶があります。が、x1.4だったのかx2だったのかは分かりません。

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Nikon F-801s 懐かしい…。学生時代無理して買ったのですが、すごく良いカメラでした。

 失敗を恐れてこのときはポジではなくISO400のネガフィルムを使いました。1993年は36枚撮りで8本ほど。1995年は2本しか撮っていないようです。デジタルになってやたらに撮りまくれる現代とは、撮影のリズムもかなり違っていたことでしょう。良く思い出せませんが、1コマ1コマにもっと気を遣っていたことは確かです。

 残念ながらフィルムですし、メモを残していないので撮影データがまったくありません。写真を見た感じそれほど極端に低速シャッターは切っていないようです。1/250くらいで撮っていたのかも。記憶の中ではものすごいチャレンジで低速シャッターを選んで流し撮りした気がしていたのですが。フィルムですし、今回みたいに200枚に1枚じゃ歩留まり悪すぎってことでしょうか。

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レンズはAF ED180mm/F2.8だったはず。勿体ないことにボディもこのレンズももう手元にありません。

 なお、このフィルム、ちゃんと保管しておいたつもりなのですが、久しぶりに引っ張り出してみたらかなり痛んでいました。スキャンしてみるとかなり退色しており、謎の染みも多く見られました。保管方法が悪かったのかもしれませんが、褪せた写真に時の流れを感じてしまいました。

 今年のF1日本GP特集は恐らくこれで終わりです。おつきあいありがとうございました(^^;

F1観戦の想い出(1993 & 1995)」への2件のフィードバック

  1. アマグリ

    なんとも羨ましいです。
    セナ&プロストの写真は最高ですね!私だったら宝物にしちゃいます。
    高千穂!!!話題の彼まで捉えているとは(笑

    私が今年撮った写真が10年後にも良い思い出になるのかな~

  2. Hi

    ○アマグリさん、
    セナ&プロストの写真は宝物です。二人ともすごく好きなドライバーというわけではなかったですが、一時代を築いた二人ですからね。しかもこの翌年、プロストは引退し、セナはサンマリノで亡くなってしまいました。二人が同時に走った最後の鈴鹿で二人をフレームに納められたのは、すごい幸運でした。

    10年後、初鈴鹿はきっと伝説的な思い出になってますよ(^^;

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