青雲遙かに 大内俊助の生涯:佐藤雅美

投稿者: | 2009年2月25日
青雲遙かに 大内俊助の生涯 (講談社文庫)

青雲遙かに 大内俊助の生涯 (講談社文庫)

 

  最近本を選ぶときの一つのテーマとしているのが「幕末」です。今回読んだ本は私の大好きな作家の一人、佐藤雅美さんの書いた幕末の物語。歴史小説を手がけた人は誰しも幕末ものを書いて見たくなるものなのでしょうか。それはさておき、佐藤雅美さんと言えば時代考証。特に経済関係の考証の深さは有名ですし、先日読んだ「町医 北村宗哲」では江戸時代庶民の医療事情を扱っていました。そして今回のテーマは「学問」です。江戸時代の学術界に一歩を踏み出そうとしたある一人の青年、大内俊助の物語。タイトルにあるようにその生涯を扱った大河ドラマです。

 本屋さんでこの本を手にしてまず驚くのはその厚さ。通常350ページ前後が一般的な分量なのですが、この本はなんと780ページもあります。価格も文庫本にして堂々の1,000円越え。普通に二分冊できる文章量は、さすがに一人の人間の生涯を扱っているだけのことはあります。後で触れますがその内容から考えても、取り扱いやすさから考えても、総額が高くなるのは仕方ないとして、本来ならば上下巻にして欲しいところです。鞄の中にも収めづらいし、電車の中でも読みづらいし、愛用しているブックカバーもできないし…。しかし、そんな扱いづらさを補ってあまりあるすばらしい小説でした。

 主人公の大内俊助は仙台伊達藩の大番氏の家に生まれた長男。剣術よりも学問にその才を発揮した彼は、将来藩政を担う身として、江戸の昌平坂学問所へとやって来たところから物語は始まります。学問所には同じように全国各藩からやってきた同年代の秀才、天才が集まっています。共同生活を送りながら、勉強に、人間関係に、あるいは遊びにと忙しい毎日を送りながら、将来に漠然と不安を感じつつ思い悩む俊助。と、ここまではまるで学園青春ドラマそのもの。

 時代は江戸後期。俊助が学問所に暮らしていたのは、江戸の経済を壊滅させたと悪名高い、水野忠邦による天保の改革の時代。そして南町奉行が鳥居耀蔵、北町奉行は金さんでお馴染みの遠山影元でした。学問所は単なる学校とはいえども、幕府の直轄であり、またそこに学ぶ若者達は単なる学生の身分でありながら、日本全国の藩政に近い位置にいる大身の御曹司ばかり。俊助は漏れ伝わってくる外国の情勢と政治の噂を耳にするようになると同時に、学問を続けていくことの意義と自分の将来に疑問を感じ始めます。

 そうやって色々なことを経験し、悩み、ちょっとした事件に巻き込まれつつ、波瀾万丈の道のりを歩みながらも、学問のみならず人生を学びながら、大内俊助は立派な学者になり伊達藩を背負っていきましたとさ… というありがちな物語と思えば、全くそうではありませんでした。全体の1/3を過ぎたあたりから、ある意味小説的なオチの付け方の常道に反する、予測不能なストーリー展開へと入っていきます。

 前半部分では、俊助が思い悩み始めながらも江戸の町に馴染んですれていく様子とともに、江戸時代の学問界についての解説が織り込まれています。この辺は佐藤雅美さんらしいところ。当時主流の学問と言えば儒学。孔子と孟子を聖人として、その残された言葉の意味をひたすら追求し解釈する学問です。ある意味これは哲学のようなもの。儒学は封建的な幕藩体制にとっても都合の良い内容でした。
 しかし、経済問題よりも医療問題よりも、儒学についての時代考証というのは、現代に生きる私みたいな凡人にとって、全く関わりがないだけに非常に難解です。しかし、物語の中の大内俊助は、儒学あるいは朱子学の内容に疑問を感じ、それを追求していくことに空しさを感じ始めます。

 そして後半。大内俊助の人生は大きく変動していきます。むしろここからこそがこの小説の主題。俄然面白くなるところです。是非ここで事細かに語りたいのですが、それはこの小説の最も面白いところであり、読み始めたときには全く期待していなかった展開でもあり、その意外さはこの本の楽しみの重要なポイントでもあります。なのでここでは我慢して詳しくは紹介しないことにします。ともかく、時代は進み、浦賀にはペリーが来航し、幕府は混乱しながら開国の道を歩み始め、時代は幕末へと向かっていきます。

 しかしこの本で語られる幕末とは、他の多くの資料や小説で語られている、薩長はじめ朝廷や徳川将軍、そして各地の大名達による国内の政争についての物語ではありません。ともすれば、新政府樹立を目指した薩長にこそ、時代の流れを読む先見の明があったと思われがちですが、幕末の初期においてはそうではありません。尊皇はともかく、薩長が唱えていた攘夷(=鎖国堅持)は時代に逆行するも甚だしい理念でした。一方で幕府はなし崩し的に開国を余儀なくされたとはいえ、海外の軍事力を恐れ、それに対抗するためにも、外国の技術や情報を取り入れ、日本の海軍力の増強に力を入れ始めました。この流れは明治維新により新政府が樹立された後加速した「富国強兵」の政策へとつながっていきます。

 そうした中、幕府はオランダ等の外国から最新鋭の蒸気船を導入するとともに、日本においても洋式の造船技術を確立しようとします。咸臨丸は幕府がオランダから購入した二隻目の軍艦。明治維新に先立つこと8年前の1860年に、勝海舟や福沢諭吉ら遣米使節団を乗せてアメリカはサンフランシスコへと、太平洋を初めて横断した日本の船です。
 ちなみに、最後の将軍、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いから逃げ出した際に利用した開陽丸も、咸臨丸以降、幕府が導入したオランダ製の最新鋭艦でした。咸臨丸、開陽丸含め当時幕府が所持していた数隻の艦船は、その後徳川幕府が瓦解した後に、榎本武揚の指揮によって北海道まで落ち延びますが、最終的には全て新政府軍に接収されました。

 海外製の艦船を導入し、海外式の航海術を学んで初めて太平洋を渡った日本人達。そこには長い眠りから目が覚めて、新しい世界を目の当たりにして戸惑いながらも、不安と同じくらいの希望に溢れ目を輝かせていた様子が伺えます。世界と渡り合っていく決心をして、その第一歩としてサンフランシスコへ渡った咸臨丸。新大陸を目指したヨーロッパの冒険家ほどのことはありませんが、日本人にとっての大冒険だったに違いありません。そんな大きな時代の流れの中では、幕府だの朝廷だのといった小さな問題は関係ありません。咸臨丸をアメリカへ送り込んだのは徳川幕府。その後、明治維新を経て世界と渡り合えるだけの国を作っていったのは明治新政府でした。どちらも日本人の歴史には違いありません。

 さて、なぜこんなことをつらつらと書き連ねているのか? それは大内俊助の生涯の後半が、まさにこれらの大冒険に関係するからです。学問に疑問を感じ始めた大内俊助の人生は、幕末を挟んで大きく変化します。そして彼は、本当の学問とは?勉強することの意義とは?という疑問への答えを見つけたのでしょうか?
 明治維新を経て、日本の教育制度、教育の内容も大きく変貌を遂げます。昌平坂の学問所で当時のエリート達が勉強していた儒教は跡形もなく消え去りました。では儒教は不必要な意味のないものだったのか? 俊助は維新を経験し、海外の文化に触れることでそこに一つの答えを見つけます。

 そしてとても美しいラスト。大河ドラマのラストらしく、とても感動的です。ここまで読んでみて、佐藤雅美さんの描く物語の結末というものを読んだのが、これが初めてであることに気がつきました。というのも、他の作品は全てシリーズものであり、どれ一つ完結を迎えていません。ともすれば考証にこだわり、解説的になりやすい佐藤さんの小説。しかし、このオチは見事です。浅田次郎ばりだと思います。

 おすすめ度;★★★★★