藤沢周平氏の作品といえば、江戸時代の町人を描いた市井ものか、海坂藩という架空の藩を舞台とした武士もの時代小説が有名です。市井ものでは「秘太刀馬の骨」などなど。いずれも江戸時代の泰平の世の中で、存在意義を失いもがき苦しむ武士社会をベースに、独特の美しい文章で武士たちの独特の世界を描き出した時代小説です。
一方で時代小説と言えば、歴史上の実在の人物を描いたいわゆる歴史小説という分野もあるわけですが、藤沢周平氏はあまりこの分野の小説は書いていません。とは言っても全く皆無と言うことでもなく、俳人小林一茶を題材にした「一茶」や、その他いくつかの史実をベースにした歴史小説が書かれています。今回読んだ「密謀」はその数少ない藤沢周平氏の筆による歴史小説です。題材は戦国時代末期の上杉家、謙信の跡を継いだ上杉景勝と、その参謀として辣腕をふるった直江兼続の物語です。
直江兼続と言えば現在NHKの大河ドラマの題材となっており、その名前を知っている人も多いことでしょう。戦国時代には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と言った、天下を争った中心人物以外にも、前田利家、毛利輝元、武田信玄などなど、結果的に争いに敗れ歴史の影に沈んでいった多くの武将たちがおり、それぞれの物語も、敗者のドラマとして、とても興味深いものがあります。中でも上杉謙信の跡を継ぐ上杉景勝は越後地方を治める北方の一大勢力として、織田信長と争い、豊臣秀吉とは手を結び、徳川家康には反旗を翻すなどなど、その去就は戦国時代の歴史を決定づける上で大きな地位を占めていました。
その上杉景勝を補佐し、いわゆる外交戦略を担っていたのが直江兼続です。その名は上杉景勝とともに日本中の武将たちに知れ渡っていました。彼は戦国の世において上杉家の舵取りをなした政治家であると同時に、実際にいくつもの戦場にて采配をふるった武将でもあります。上杉家は織田信長との緊張関係が続いた後、豊臣秀吉政権下で永年の領地であった越後から、新たに会津一帯へと百二十万石で加増国替えになりましたが、秀吉亡き後にも上杉家の独立を維持するために、急速に勢力を伸ばしてきた徳川家康に反旗を翻しました。
しかし関ヶ原の戦いにも参戦することはなく、徳川家康とは結局戦火を交えることはありませんでしたが、徳川家康が天下を取った後は結局降伏することとなり、最終的に上杉家は米沢三十万石に大幅減封と再びの国替えとなりました。
この小説は、景勝が御館の乱を制し上杉家の実権を握った後、豊臣秀吉の台頭から徳川家康が最終的に天下を取ることとなった関ヶ原の戦いに至り、家康の下に上杉家が屈することになるまで、直江兼続がいかにしてその上杉家の舵取りを行ったかが語られています。その大きな歴史の流れはもちろん史実を忠実に再現していますが、直江兼続という人間の人物像、数多くの問題に直面したときの兼継の心の動き、景勝との主従関係、そして兼継を支えた草のものたち(忍術を使うスパイ)の物語などなど、二重三重に重ねられた人間ドラマの部分は藤沢周平氏の時代小説の持ち味が存分に発揮されています。
米沢に移封となった後の上杉家は、泰平の江戸時代においても、常に徳川家に仇をなした外様の汚名をぬぐい去ることはできず、途中でさらに半分の十五万石に減封されながらも、明治維新に至るまで米沢の地で家名を守り続けました。戦国時代を争った名門のうち、武田が跡形もなく滅亡し、織田、北条そして豊臣など多くの名門が家名を残せずに歴史の上から消え去った中にあって、上杉謙信以来の武将の家柄は江戸時代を通じてずっと残ることとなりました。そのキーが上杉景勝と直江兼続の時代にあったと言われています。
余談ではありますが、江戸中期の元禄時代に発生したいわゆる「忠臣蔵」の事件において、吉良上野介から養子として藩主を迎えていた上杉家は、その当事者でもありました。当時の上杉家江戸家老の色部又四郎は大石内蔵助にも劣らない才覚の持ち主で、多くの策を弄しつつ上杉家を守りきったと言われています。こうして戦国以降においても上杉はたびたび名前が歴史上に登場しています。
さて、なぜ藤沢周平氏が直江兼続を題材とした歴史小説を手がけたのか?それは藤沢周平ファンであれば自明のことと思いますが、そのキーワードは「米沢」です。藤沢周平氏が数多く手がけてきた作品のなかに登場する海坂藩のモデルは、紛れもなく江戸時代の米沢藩であり、それはつまり上杉家に他なりません。そして米沢は上杉家が徳川家康によって減封されるまでは、直江兼継の領地でした。そういう意味で、藤沢周平氏の描く時代小説のルーツが直江兼続にある、と言うことなのでしょう。
最後にこの小説の中で心に残った一節を引用しておきます。これは藤沢周平氏が米沢という地とその歴史に対する思いを端的に表した部分ではないかと思います。
だが、その厚顔の男のまわりに、ひとがむらがりあつまることの不思議さよ、と兼続は思わずにいられない。むろん家康は、義では腹はふくらまぬと思い、家康をかついだ武将たちもそう思ったのだ。その欲望の寄せあつめこそ、とりもなおさず政治の中身というものであれば、景勝に天下人の座をすすめるのは筋違いかもしれなかった。
<<中略>> -義はついに不義には勝てぬか。
そのことだけが無念だった。家康の野望を打ち倒す機会は、上杉にもあったし、石田にもあった。だが実らなかったのだ。石田も上杉も、家康の策略にではなく、家康がその中心に座っている天下の勢い、欲に狂奔するひとの心に敗れるのである。そのひとの心をつかんだがゆえに、家康は天下人になるらしい。兼続は、信長も一目おき、謙信の死語も秀吉が礼をつくした上杉の家の名誉を淡々と語った。
かの武田が、滅びてのちどうなったかをお考えいただきたい。名は語りつたえられても、いまや残る何ものもない。謙信の家を滅ぼしてはならぬ。武者は名を惜しむべきである。しかしながら、家の名を残すために、時には堪えがたい恥を忍ばねばならぬこともある。それも武者の道である。
これは、上杉の歴史の転換点を語っているだけではなく、「歴史は繰り返す」ということをしみじみと実感せずにはいられません。兼続と景勝がこう考えた二百六十年後、徳川家のひとびとは明治維新を前にして同じことを考えたはずです。
おすすめ度:★★★★★ (藤沢周平ファンはもちろん、歴史小説好きな方にもおすすめです)