五郎治殿御始末:浅田次郎

投稿者: | 2008年10月23日
五郎治殿御始末 (新潮文庫)

五郎治殿御始末 (新潮文庫)

 

 この本は明治維新を経験した幕末の武士達の物語六編が収められた短編小説集です。浅田次郎氏の小説と言えば「泣ける」に尽きるわけですが、それも明確な起承転結のストーリー性を持っていて、クライマックスに向けて過剰なまでの演出を施し、言ってみれば非常にベタな手法で読者を泣かせようとしているように思えます。しかしそれがあまりにも分かりやすくベタであるからこそ、ツボに入ったときには涙腺に直接訴えかけてくるものがあります。じわじわ来るのではなく、ワッと来る号泣クラス。電車の中で読んでいると大変困ったことになります。

 私個人的にはこの浅田氏の泣かせる小説は現代物ではなんだかしっくり来ないものがあるのですが、時代物ではもう見事なくらいまんまと填ってしまいます。ちなみにこれまで私が読んだ浅田氏の時代小説は全てが幕末ものでした。いや、幕末ものと言うよりは明治維新そのもの。「憑神」は維新を江戸で迎えるとある御家人の家を題材にしています。そしてこれらがどうしようもなく泣けるのです。コメディ&ファンタジーな「憑神」でさえ最後は号泣です。

 果たして、期待に違わずこの短編集も全編に渡って泣けました。そしてやはり明治維新を過ごす武士達を題材にしています。ただしこの短編集に収められた物語で特徴的なのは、主に明治維新「後」が語られていること。徳川幕府の時代はそれぞれ大名家に仕え、社会の支配階級として存在していた武士達は、いかにしてその立場を失い、明治の初期を生き抜いていったのでしょうか? 泣ける以前にこれらの物語を読んでいると、ご一新と呼ばれた明治維新ではいかに激烈に社会の仕組みが一変したかが分かります。昨日までの自分の地位立場は全て無くなり、無職から出直す武家の人々。社会の仕組み的には恐らく今から60年以上前の戦争よりも遙かに大きな転換だったと思います。

 明治維新では外国の圧力を受けたものの、国内政治的には外国の干渉を受けることなく大きな革命を行いました。それに際して大きな戦乱を経ることなく日本人の知恵と秩序を持って粛々と行われたと昔々に学校で教わったような印象があります。確かに時の権力者である徳川家は激しい抵抗することなく江戸城無血開城しましたが、これら浅田氏の幕末小説を読んでいると、やはり明治維新とは戊辰戦争を持って完結した「内戦」だったことに気づかされます。戦争であったからにはそこには勝者と敗者が生まれました。この短編集に出てくるのはその中の敗者達の物語です。いや、それを言うと浅田氏の描く幕末小説は全てそうだと言えるでしょう。それは彼が描く幕末は全て滅ぼされる武士達の側から見ているからに他なりません。

 第一話「椿寺まで」は維新後の明治初期に日本橋西河岸町で反物屋を営む江戸屋小兵衛の過去への旅の物語。第二話「箱舘証文」は新生日本政府の工部少輔になった大河内厚と、警視庁警部となった渡辺一郎の再会の物語。第三話「西を向く侍」は幕府天文方にて暦の作成を行っていた科学者、成瀬勘十郎の最後の抵抗の物語。第四話「遠い砲音」は時間に振り回される陸軍中尉、土江彦蔵の持つ真の忠義の物語。第五話「柘榴坂の仇討」は井伊直弼の近習として桜田門外の変にあった志村金吾が世間より六年遅れて迎えるご一新の物語、そして第六話がタイトルナンバーとなる「五郎治殿御始末」です。会津藩とともに徳川幕府側として最後まで戦った勢州桑名藩に残ったある一人の武士の物語です。

 これらは全て明治維新の敗者の寂しく悲しい物語なのですが、そこには倒幕なのか佐幕なのか、攘夷なのか開国なのか?徳川なのか薩摩長州連合なのか?といった政治的な点に主眼はおかれず、ひたすら「サムライとは何だったのか?」が語られているように思います。それは彼の小説に繰り返し出てくる「江戸を占領し破壊し尽くした薩摩と長州の田舎侍」への辛辣な言葉からも読み取れます。
 そして江戸時代の市井もの小説を読みあさり、曲がりなりにも江戸の風習と雰囲気をわずかに残す東京の下町で育った身として、浅田氏を真似て「江戸をこんな大都会にしてしまった野暮な薩摩の芋侍め!」とこっそり悪態をついてみたくなるのです。(鹿児島県山口県出身の方々、ごめんなさい。他意はまったくありません)

 そんな浅田次郎氏の幕末小説を読んでみて何となく感じてきたことが、思いがけずこの本の第六話「五郎治殿御始末」のラストにて明確に浅田氏の言葉で語られていました。ちょっと長いですが引用しておきます。この本である意味一番感じ入ったのはこの部分でした。

 武家の道徳の第一は、おのれを語らざることであった。軍人であり、行政官でもあった彼らは、無私無欲であることを士道の第一と心得ていた。翻せば、それは自己の存在そのものに対する懐疑である。無私である私の存在に懐疑し続ける者、それが武士であった。
 武士は死ぬことと見つけたりとする葉隠の精神は、実はこの自己不在の懐疑についての端的な解説なのだが、余りに単純かつ象徴的すぎて、後生に多くの誤解をもたらした。
    <<中略>>  人類が共存する社会の構成において、この思想は決して欧米の理念と対立するものではない。もし私が敬愛する明治という時代に、歴史上の大きな謬りを見出すとするなら、それは和洋の精神、新旧の理念を、ことごとく対立するものとして捉えた点であろう。
 社会科学の進歩とともに、人類もまたたゆみない進化を遂げると考えるのは、大いなる誤解である。たとえば時代とともに衰弱する芸術のありようは、明確にその事実を証明する。近代日本の悲劇は、近代日本人の奢りそのものであった。 (浅田次郎作 五郎治殿御始末より引用)

 

 これが浅田氏の明治維新論であり、彼が書く多くの幕末小説で訴えかけているのは、まさにここに引用した文章に集約されているのではないかと思いました。これを理解すると、この号泣を誘う臭いほどの物語の数々が、より説得力を持って感じられます。それは薩摩とか徳川のどちらに正義があったとかいうことでなく、ましてや政治的な立場の問題でもなく、単純に日本の文化と歴史の話だと私は理解しています。

 「天切り松シリーズ」を読んだときに「明治維新がリアリティを持って感じられる不思議さを感じた」とその感想文に書きました。同じことはこの本からも感じられますし、浅田氏の言葉で直接的にそう書かれてさえいます。ともすると、現代の日本とは60年前の敗戦で生まれ変わったように感じがちですが、それ以前の昭和初期、大正そして明治時代はずっと連続しているのです。そして同じように明治維新とその前の江戸幕府時代もずっと切れ目なく続いており、それらは実はびっくりするくらい最近のことで、私たちの生活にもその影響は色濃く残っているわけです。

 例えば… もうすぐ11月の初旬に”暦の上で”冬がやってきます。12月には”大雪”、1月には”小寒“、そして2月には早くも”立春“です。「暦の上」って一体何なのでしょうか?いえ、もちろん”暦”とは旧暦を指していることは誰もが知っています。しかしどうして暦と実際の季節感はずれてしまったのか? 七夕含め多くの日本の風習は暦とともに本来の季節からずれてしまったままです。実態を知ると「暦の上では」という言葉がいかにも空しく響きます。この本の第三話の中で成瀬勘十郎が心配したとおり、旧暦とともに多くの文化、風俗が失われてしまったのでしょうか?

 読んでいると何となく落ちが分かってくるのに、その少し上を越えていく浅田ワールド。何度も泣きながらそんなことを考えてしまう本でした。さて、実はこの本と対になる幕末短編集がもう一冊あります。もちろんそちらも入手済み。読むのが楽しみです。

 おすすめ度:★★★★★★

五郎治殿御始末:浅田次郎」への2件のフィードバック

  1. アマグリ

    私もこの本で号泣した口です。
    突然江戸から現代になったのではなく今に続く継続した時間が流れていたんだよな~って改めて考えてしまいました。
    意外と人は力強く時代を生きてるんですよね。
    昔の時間や暦の方が合理的で季節感があって素敵な気がするのは、時代小説ファンだからなのかな?

  2. Hi

    ○アマグリさん、
    あれだけ世の中を一変させる力はどこから出てきたんでしょうか?江戸末期と明治を生きた人は逞しいですね。あとは明治維新を経験した江戸の町人や農民達の物語はないのかな?と思っています。

    夏と冬で一日の長さが違って当たり前、旧暦の方がよほど自然の営みと合致しており稲作などに適していた、という説は新鮮でしたね。旧いもの=悪いもの、ではないと。もちろん、時間や暦を世界標準に合わせることは必然でしたが、その移行の方法はあまりにもお粗末でした。

    そう思うのはやはり時代小説を読んでいるからだと思います。

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