蝦夷拾遺 たば風:宇江佐真理

蝦夷拾遺 たば風 (文春文庫)

蝦夷拾遺 たば風 (文春文庫)

 

 北海道出身の宇江佐真理さんは以前から”蝦夷“と呼ばれ松前藩が統治していたていた時代の北海道を題材にした小説をいくつか書いています。この本はそんな”蝦夷もの”ばかり六編を集めた短編集。しかも、最上徳内を扱った一編を除いてすべて女性が主人公となっています。しかもこれがまたものすごいラブ・ストーリーばかり。これはもう絶対に宇江佐真理さんにしか書けない独特の小説です。これぞ宇江佐ワールド。

 まずはこの本のタイトル・ナンバーとなっている第一話の「たば風」。松前藩の城下を舞台にした武家の女の物語。家柄とか格式とか面倒なしきたりに縛られ、権力争いの政治に否応なく巻き込まれる”まな”。彼女には生涯自分一人の胸の中にしまうこととなった秘密の一夜の思い出があります。まなとその夫、母親などとの間にはすれ違いや誤解ばかりが積み重なっているのに、なぜかそれが少しも醜くなく、むしろ物語全体が爽やかに思えるほどの空気感は、宇江佐さんの描く”まな”という女性像によるところが大きいような気がします。最後の最後に”たば風”に吹かれながらまなが見る白昼夢は、悲しい夢ながらもなぜかそんな夢を見られる”まな”は幸せなのではないか?と思えてきました。

 そしてなんと言ってもすごいのが第二話の「恋文」。タイトルからしてそのまま”ラブレター”です。これがメロメロのラブストーリーでないわけがありません。と思いつつ読み始めてみるとこれがまた意外な展開でした。舞台は松前藩のとある江戸詰の藩士の家。松前出身の主人と江戸育ちの町人出身の妻。四人の子供を育て上げもうすぐ隠居しようかという老夫婦です。ここにいったいどんな恋物語が展開するのか。クライマックスに向けてはよく考えるとやや出来過ぎな感もなくもないですが、それでも宇江佐さんの文章がきれいに消化しきっているようです。それよりも最後の最後の落ちが最高です。たった六行ですがここが「恋文」のなんたるかをすべて書き表しています。

 その後続く第三話「金衣帰郷」は江戸後期に蝦夷地探検で多くの功績を残した最上徳内の生まれ故郷である山形への帰郷の物語で、これはラブストーリーではありません。
 そして第四話「柄杓星」は明治維新の江戸において徳川幕府側として最後まで上野で官軍と戦った彰義隊にまつわるある男と女の物語。どことなく「たば風」に通じるストーリー展開ですが、雰囲気はずっと重苦しく最後の最後まで晴れることはありません。それはやはり明治維新における江戸市民達の世相を表していたのではないかと思います。明治維新は閉塞していた徳川の治世を打ち壊し、世界基準の新しい時代を日本にもたらしましたが、過去に築きあげてきた多くのものを一気に失いました。徳川家を頂点とした武士達と江戸っ子町人達が作った世界的大都市、”江戸”もその失われたものの一つです。ストーリーとは全然関係ないのにそんなことを考えてしまう物語でした。

 第五話「血脈桜」はやはり明治維新蝦夷松前藩での出来事を描いた物語。函館を始め松前藩の主要な領地は官軍に追われて北へ北へと逃れてきた徳川幕府軍に占領されます。そんな時代の最後の松前藩主、松前徳広の正室光子の身辺護衛のためにつけられた六人の娘たちが題材です。彼女たちは城下の農家に生まれ育ち、護衛の役を負ったときもまだ10代の半分子供のような年齢でした。そんな彼女たちが明治維新の嵐に人生を翻弄されていく物語です。確証は得てないのですがこれはどうやら史実として残っている話をベースに宇江佐さんが肉付けをして作り上げたものと思います。明治になって彼女たちのその後はどうなったのでしょうか?資料にも残っていないのでしょう。そんな時代を見つめてきた血脈桜は今も松前にあるそうです。

 そしてラストが第六話「黒百合」です。これもまた幕末の江戸の物語。禄を失って生活の基盤を奪われた武士達。そんな家を支える一人の少女、千秋。徳川家に仕えていた旗本は藩主を追って駿府へ向かうもの、その他旧主の領地へ向かうもの、そのまま江戸に残るもの… 身の振り方は様々です。そんな中江戸に残ったとある一家。だらしない父親、どうしようもない怠け者の兄を抱え一人収入を得るために働く千秋。ある日彼女にも人生の決断の時が訪れます。時代と生まれついた運命に流されることを拒否し、愛する人のもとへたどり着くために賢明にもがく彼女は、その”時代と運命の壁”を打ち破るために脇差しに手をかけます。ラストシーンは圧巻。千秋のあまりにも格好良く、そ
してこれが切ない切ないラブストーリーだったことに気づかされます。六話からなる短編集の締めとして相応しい結末です。

 やっぱり宇江佐節は最高です。北原亞以子さんのほうがまだ上かもしれませんが。いずれにしろ、ますます女流時代小説のファンになりました。

 おすすめ度:★★★★☆

小説日本芸譚:松本清張

小説日本芸譚 (新潮文庫)

小説日本芸譚 (新潮文庫)

 

 日本史上に優れた作品と名前を残した十人の芸術家達の姿を松本清張氏が独特の解釈によって描き出した物語。芸術家を題材とした時代小説はかなり好きな方なのですが、この本は読み進めるのがとても難しい小説でした。それは言葉遣いや文章、ストーリー展開が難解というよりも、松本清張氏の文章によって浮かび上がった人間像があまりにも生々しくて、それぞれの芸術家達が背後に抱えたものがあまりにも大きく深すぎるからかもしれません。芸術家は芸の道をただひたすら究める世捨て人のような純粋で単純な人間ではなく、時には金銭、派閥、名声に悩み、あるいは時代の政治にも否応なく巻き込まれ翻弄されていたのです。

 この小説で取り上げられた芸術家とは、運慶、世阿弥千利休雪舟古田織部岩佐又兵衛小堀遠州、光悦、写楽、止利仏師の十人。写楽と岩佐又兵衛、光悦以外の七人は江戸時代よりずっと以前の人々です。岩佐と光悦にしても戦国時代に続く江戸初期の人。また特に千利休を祖として古田織部小堀遠州につながる戦国時代の茶人達の物語は一つの遠大な大河ドラマとなっているとも言えそうです。以前に読んだ松本清張氏の時代小説にも織田信長の周辺を扱った物語が多く、改めて彼はこの時代に強く惹かれていたことがわかります。

 さて、この短編集に出てくる十人の中で知っている名前は何人くらいあったでしょうか。恥ずかしながら私は古田織部岩佐又兵衛小堀遠州、光悦の四人は全く知りませんでした。古田織部小堀遠州茶の湯や建築に名前を残しながらも、本業は武人です。岩佐又兵衛と光悦も戦国時代から江戸初期にかけて武家社会とのつながりのあった人です。岩佐又兵衛は晩年には日光東照宮拝殿の三十六歌仙図を揮毫した絵師、光悦は書家でありながら陶芸、絵画、茶の湯などの作品も残すマルチな芸術家です。

 その他名前は知っていた六人についても、当然ながらその作品や詳細を知っていたわけではありません。特に運慶、世阿弥、止利仏師となると室町幕府以前の芸術家です。運慶や止利仏師といえば、鎌倉や奈良、京都など当時の仏像を残す寺院に観光で行ったときか、教科書に出てきたか… そのくらいのあやふや記憶しかありません。世阿弥に至っては能という無形の芸術ですので現代では直に接する機会はますます少ないでしょう。彼らは映画や時代小説でもあまりと入りあげられていません。

 さて、こういった芸術家達を主人公として光を当てたこれらの短編を読む上で、松本清張氏がどのような態度で、どのような目的で書いてきたか、ということを理解する鍵は最終話として収録されている「止利仏師」に込められているようです。彼はこれら芸術家を歴史上のヒーローとして彼らの作品を称え小説的に脚色するでもなく、かといって史実として資料に残り歴史家達が作り上げてきた事実をひたすら忠実に追うわけでもありません。

 ここに出てくる芸術家達は、自分の作品に自信を持ち、他の流派やライバルを蔑み、そのために悩んだり、あるいは命をかけて戦ったり。または自分の腕に自信をなくし思い悩み、生活に追われたり、人を裏切ったり、といった実に人間らしい姿を晒しています。これは彼らの生きた時代背景と残された作品から透かして見える、各作家達の本当の姿の再構築を試みた一つの解釈であり、完全なフィクションです。だからといってリアリティがないかといえば全く逆。史実と残された作品に実に忠実で説得力のある物語ばかりです。

 中でも面白かったのはやはり「千利休」です。織田信長豊臣秀吉に寵愛された茶人とはいったい何者で、時の為政者にとってどんな意味があったのか?その中で千利休が作り上げた茶の湯の世界が、未だにいかに日本人の美意識に影響を与えてるかということに気づかされます。そして彼は命をかけてその美意識を守り抜きました。

 また、「雪舟」や「光悦」の物語もなかなか面白かったです。この二編に通じているのは、主人公たる彼ら芸術家本人を褒め称えていないところです。雪舟については足で描いた鼠のエピソードさえ出てきません。彼を天才的な画家として描くよりも、自分の作品の凡庸さに悩み、明国に渡りながらも何の成果も得られない閉塞感に悩む一人の画家として描かれています。そして光悦に至っては… 彼は芸術家なのか?という根源的な疑問に立ち返った物語となっています。

 それでも、雪舟や光悦といった人間が欺瞞にまみれ過剰な評価を受けた人というのでは決してなく、そんな彼らがなぜ、どのようにして優れた作品と名前を歴史に残したのか? その部分をしっかりと掘り下げられており、彼らの芸術家としての名誉を汚していないところは流石です。

 おすすめ度:★★★★☆