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酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

網走監獄博物館で北海道開拓の意外な歴史を知る

 オホーツク海沿岸の美しい風景はいくら見ていても、写真を撮っても飽きることはありませんが、それだけではなく、こんな美しい土地に人間が刻んだ歴史の痕跡(の極一部)も見ておこうということで「網走監獄」を見学に行ってきました。

 古い映画などで題材として扱われてることもあり、網走に刑務所があるということは、なんとなく知っていましたし、長年東京に暮らす身としては、気候の厳しい最果ての地に刑務所があると言うことは、ほとんど島流しに近い意味合いを持っていたのだろうと、勝手に思い込んでいました。

 現在も網走刑務所は現役の刑務所として運営されているため、そこには一般人が気軽に見学で入ることは出来ません。しかしすぐ近くの天都山の中腹に、古い網走刑務所の建物などを移築した博物館があります。

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 レンタカーで網走市街地周辺を走っていると、やたらに「網走監獄」の看板が目に付くので、博物館といっても半ばテーマパークのように観光地化されているのではないか?と、あまり期待していなかったのですが、そこで見た網走刑務所の明治以来の歴史は、予想していなかった印象深いものでした。

網走刑務所と網走監獄

 地図で網走刑務所(現役)と網走監獄(移設された博物館)の関係を確認しておきましょう。


 網走川沿いの北側にあるのが網走刑務所。それよりも南側内陸の天都山の中腹にあるのが網走監獄です。

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 現役の「網走刑務所」という名前は大正末期に改名された結果で、それまでは「網走監獄」と呼ばれていたそうです。現役の刑務所と区別するためにも、博物館のほうは古い名称を使っているわけですが、いずれにしろ訪れる場合は、両方を混同しないように注意が必要です。

www.kangoku.jp
 なお↑これが「網走監獄」の公式サイトです。けっこう情報が充実したページとなっています。

正門から順路を巡ってみる:旧庁舎〜裏門〜裁判所〜味噌倉

 行ってみてその規模の大きさにビックリしたのですが、網走刑務所だけでなく、二見ヶ岡刑務支所、網走地方裁判所など、刑務所に関連する様々な古い建物や施設がこの敷地内に移設保存されています。全部で22カ所ほどあり、そのうち8つが国の重要文化財、6つが登録有形文化財に指定されています。

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 まず最初にいきなり目の前に現れるのは網走刑務所の正門。本物は今でも使用されており、これはレプリカです。というか、誰か脇に立ってますね...。

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 目があまり良くないこともあって、最初は本当に人だと思ってすっかり騙されましたが、人形でした。しかし、人形に驚かされるのはこれだけではありません。中はもっとすごいことになっていました。

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 門を入ってまず正面にあるのは網走刑務所の旧庁舎です。明治45年に建てられ、昭和62年まで使われていた建物で、国の重要文化財に指定されています。入り口は自動ドアになっているし、中はいろいろ資料が展示品してあるのですが、どこまでがオリジナルでどこが修復あるいは改造されているのかよく分からず、どのように使われていたかも不明で、建物自体をじっくり見るという感じではありませんでした。

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 次に「通用門」と書かれた煉瓦の塀と門があります。その前にある小さな警備小屋も移築された古い実物で、登録有形文化財です。この門は「裏門」と呼ばれ、囚人が刑務所の敷地外へ農作業などに出かける際に通っていたものだとか。冬はやはりこんな雪景色だったんでしょうね。

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 次に刑務所とは切っても切れない関係にある裁判所の建物がありました。釧路地方裁判所を移築したもので、先ほどの庁舎よりはずっと現役時代に近い状態が保たれているようです。で、法廷に入ると突然こんな光景が広がっていたりしてビックリしてしまいます。この女性はいったい何をやらかしたのでしょうか...? ってどうでも良いことを心配してしまいました。これ以外にもいちいち人形が置かれていました。

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 次にあったのは味噌・醤油倉です。網走刑務所の設立当時、冬期に海が流氷で閉ざされる道東へは、まともな陸上輸送経路もなかったため、ほぼ自給自足で運営されていたそうです。なので味噌や醤油は刑務所内で内製されていたとのことで、その小屋と道具が保存されています。作業はやはり囚人が行っていたのでしょうか。

「休泊所」は前半最大の見所!

 次に「休泊所」という質素な掘っ立て小屋があります。最後に詳しく書きましたが、網走刑務所の囚人達は道東開拓の工事に従事していたため、網走から遠く離れることがあり、その場合のために移動式簡易監獄として使われたものだそうです。

 へぇ〜、そんなことあったんだ、ということで中を覗いてみると...

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 ぎゃっ!と思わず小さな悲鳴を上げてしまいました。デジタルカメラで撮ったからこんなにクッキリ写りましたが、肉眼では外との明暗差が大きく、目が慣れないうちはよく見えないというのに、中はこんな状態なのですから、悲鳴の一つもあげたくなります。しかも真ん中の人、寝姿がいちいちリアルすぎ! こっち見んな!

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 もう一つの小屋も覗いてみたらやっぱりこうなっていました。うげぇ〜、これは囚人達も刑務官も大変だっただろうなぁ... と一人で納得していたら、後からやってきた女性二人組が「ぎゃぁぁぁぁあああ!」とすごい悲鳴を上げました。そこまで驚かなくても... と思っていたら、赤の他人の私に向かって「あの小屋誰かいました? 声が聞こえたんです! なんて言ったのか分からなかったんですけど、小屋を覗き込んだ瞬間に誰か喋ったんです!」と涙目になっていました。

 「いえ、私は中まで入って写真撮ったけど、何も聞こえなかったですよ」と言ったら、さらに「えー、じゃぁなんだったの、あれ、怖い〜!」とさらに恐怖心を煽ってしまったようです。確かに不気味でしたけど、まだ真昼間ですからね。想像力が豊かすぎるのも大変そうです。

【3月18日追記】
 どうやら本当にこの中にある人形の一つが、何かをトリガーに喋るように仕組まれているらしいです。なのでその女性達の空耳ではなく、私がむしろそれを聞き逃してしまったという... 残念!

 しかし、この「休泊所」の存在は網走刑務所がそもそも設立された特殊な目的を象徴する施設であり、その結果多くの犠牲者を出した暗い歴史と、道東の開拓に絶大な貢献を果たした輝かしい歴史の両方が隠れています。(詳細は最後で...)

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 気を取り直して次の建物にやってきました。先ほどの味噌・醤油倉に似てますが、こちらは漬物庫だそうです。漬物は保存食ですし、自給自足の食料確保には欠かせないものだったことでしょう。巨大な樽も本物ですが、さすがにすでに乾ききっていて、何の痕跡も臭いも残っていません。

これだけでも見るに値する重要文化財:二見ヶ岡刑務支所

 網走周辺には網走刑務所を中心にいくつか小規模な刑務支所があったそうです。二見ヶ岡はその一つで、古い刑務所の建物が移築されています。これひとつだけで小さな刑務所の機能をすべて備えている建物で、当然重要文化財です。中はほぼ全ての部屋が開放されており、隅々まで見学することが出来ます。

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 木造の建物で、一部は二階建てになっています。明治29年に建てられたもので、網走刑務所の食料をまかなう役目があったらしく、入り口には「二見ヶ岡農場」という看板が掛かっていました。

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 囚人達が働いた作業場やいろいろな部屋がそのまま全て保存されています。そしてやはりこうして人形があちこちにいました。ここは洗濯場だそうですが、やけに広いですね。

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 「更衣場」とありますが、中の人達は小豆のようなものを選別したり、そういった農作物の処置など細かい作業をしているようでした。

 土木工事などの肉体重労働を強いられた網走刑務所の囚人達と比べると、同じ刑務所とはいえどもこちらはいくらかゆったりとした施設だったようです。

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 何が「使用中」かと思えば、トイレでした。トイレもこんなにスケスケで丸見えの状態だったんですね... こりゃ大変だ。中に置かれた人形は用足し中。そこまで再現しなくても...。

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 ここは水道があって洗面所だったようですが、床がこうして煉瓦が敷き詰められていたりします。

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 そして一番奥にあるのが舎房。両脇に雑居房がらなんでいます。うぅむ、立派な建物で雰囲気ありますが、小さくて頑丈なドアなどなど、各部屋はどう見ても刑務所のそれです。

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 各雑居房の廊下側は、籬というか格子になっています。その格子が斜めになっているのは、廊下にいる刑務官は中を見ることができるけど、向かい合った各房同士はお互いが見えないようにするためだとか。なるほど!それは良いアイディア!

見学のハイライト! 放射状舎房

 さていよいよ網走監獄見学の本当のハイライトと言える場所にやってきました。

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 見張所を中心に5棟の細長い舎房が放射状に広がる、旧網走刑務所の建物。明治45年に建築され、昭和59年まで使われていたもので、もちろん重要文化財に指定されています。刑務所とは言え、木造で年月の経過が刻まれた風格ある建物は、今見ると非常にノスタルジックで美しさすら感じてしまいます。

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 細長い舎房の入り口から奥を見るとこんな感じ。中央を長い廊下が貫き、両側に房室が並んでいます。第1,3,5舎は長さが約60m、斜めに延びる第2,4舎は70m以上あるそうです。

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 中央見張所からみた台4,5舎の入り口。確かにこういう構造にすると、中央から全ての廊下が見通せて、見張りは捗ったことでしょう。

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 第2舎の入り口にかかっていたプレート。ここは雑居房が全部で40あります。第4,5舎には独居房もあります。全て公開されており、廊下の端っこまで行けるようになっています。

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 そして時々こうやって房の中に人がいたりして、またもや「ぎゃっ!」と悲鳴を上げてしまうんですよね。これが全部の部屋にいるのであればまだ心構えも出来るんですが、ところどころにしかいないからむしろタチが悪いです。

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 中央の廊下にはこうして高い位置に天窓があり、灯りが取り入れられています。ただひたすら薄暗く作られてるわけではありません。木製の廊下がずっと延びている光景を見て「美しい」とすら感じてしまうのは、こうした採光に気を配った気の利いた構造故でしょうか。写真だけ見せられて古い学校の校舎だと言われたら、信じてしまうかも。

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 さらに冬の気候が厳しい網走のことですから、いくら快適さは関係ない刑務所といえども、暖房がなくては命に関わります。こうして薪ストーブが廊下に置かれて、煙突を伸ばして暖気を隅々まで届ける工夫がされていたそうです。

 って、そこに火の番を立てておかなくても良いんじゃないですかね...。

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 さらにはこんな人形まで! 何をしてるかと言えば、当然彼は逃げようとしています。実際にこの建物が使われていた70年近い間に、1人だけこの舎房からの脱走に成功した囚人がいたそうです。この人形はそのシーンを再現してるとのことで、この天窓から逃げていったそうです。

 その人の名前は白鳥由栄といい、↓こうしてWikipediaにも書かれており、網走刑務所を脱走した手口も明かされています。刑務所からの脱走と言えば私は「刑務所のリタ・ヘイワース」(「ショーシャンクの空に」というタイトルで映画化)を思い出しますが、奇想天外な方法を思いつき、じっくり時間をかけて実行する様はまさにそっくりです。

 これを読むと、やはり彼はなかなか壮絶な人生を送っているようです。当時は裁判もいい加減だったのかも知れないですね。

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 ちなみに窓はこんな感じでガラスの外に鉄格子があるだけですが、これを破るのはやはり難しかったのでしょうか。

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 この日は博物館全般にわたってとても空いていて、ほとんど私一人の独占状態でした。なのでこんな人のいない写真も撮り放題! ローアングルでワイド端を使うと迫力がありますね。飽きずに何枚も撮ってしまいました。

ラストスパート:浴場〜懲罰房〜教誨堂

 放射状舎房でほぼ見学は終わりかと思えば、まだまだ見所がありました。

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 まずは見ての通りお風呂場。湯船は深く作られていて座れないようになっていたとか。コンクリート製の床と湯船は最先端の設備だったそうです。しかし裸の人形に入れ墨が入っていたりして、手が込んでいます。ちょっと薄暗くて気味が悪かったです(見学してるのは私一人でしたし...)。

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 それからこの小さな煉瓦造りの建物は独立型の独居房。窓がなくて扉を閉めたら真っ暗になります。懲罰房として使われていたものだとか。これ自体が登録有形文化財となっています。

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 そして最後の建物が教誨堂で、重要文化財です。これは何のための建物かと言えば...

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 中はこうした講堂のようになっています。お坊さんや牧師さんが訪れて説法をしたりした場所だとか。ここは煙所とは思えない、とても洒落た建物です。

 ということで、これでも相当に端折って紹介しましたが、本当に盛りだくさんな展示物でした。特に印象に残ったのは、休泊所と二見ヶ岡刑務支所、そしてやはり放射状舎房です。時間がないならこの3つを見るだけでも、十分にその価値はあると思いました。

網走刑務所の囚人達によって開拓された道東

 さて、タイトルにも書いた「網走刑務所の意外な歴史」ですが、何の予備知識も持たないままこの「網走監獄」を一通り見学するだけでも強く印象に残ったことがあります。

 大まかな話は以下のページに書かれていますので、時間があれば是非読んでいただければと思うのですが、要するに網走刑務所は、囚人の労働力を使って、開拓が遅れていた道東の開発とロシアに対する防衛のための工事を低コストで行うために作られた刑務所だった、ということです。もともと人権意識の低い時代ですから、最果ての地に送られた囚人達は、ほとんど奴隷も同然に扱われたました。


 中でも明治25年の中央道路開削工事はは非常に厳しいもので、わずか1年の工事期間中に1,000人以上が動員され、結果的に200人を超える死者を出しました。そうやって囚人達が命がけで作った道路は、現在でも主に国道39号線として使用され、網走から北見を通り旭川に抜ける幹線道路となっています。

 工事中に亡くなった人の遺体はそのまま道路脇に埋められていたそうですが、昭和30年ごろから遺骨の発掘と収集が行われ、網走刑務所内に慰霊碑が建てられているそうです。

 北海道開拓史、特に道東の開拓にこんな背景があったとは始めて知りました。こういったことを知った上で見ると、妙にリアルな人形たちに「キモ怖い」とか失礼なことを言うのではなく、「お疲れ様でした」とねぎらいと感謝の目で見なくてはいけない気がしてきます。

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