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酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

江戸城を明け渡した最後の武士:黒書院の六兵衛/浅田次郎

読書 浅田次郎

黒書院の六兵衛 (上)

黒書院の六兵衛 (上)

黒書院の六兵衛 (下)

黒書院の六兵衛 (下)

二百六十年の政にまもられてきた世がなしくずしに変わる時。開城前夜の江戸城に官軍の先遣隊長として送り込まれた尾張徳川家の徒組頭が見たのは、宿直部屋に居座る御書院番士だった。司令塔の西郷隆盛は、腕ずく力ずくで引きずり出してはならぬという。外は上野の彰義隊と官軍、欧米列強の軍勢が睨み合い、一触即発の危機。悶着など起こそうものなら、江戸は戦になる。この謎の旗本、いったい何者なのか―。

Amazon.co.jp: 黒書院の六兵衛 (上) 電子書籍: 浅田次郎: Kindleストア

 天切り松の第五巻をKindleで読んだ流れから、またもや浅田次郎さんの小説を読んでみました。Kindleは巻末に到達した後「こんな本もありますよ」という、よくありがちなサジェスチョン画面が開きます。こういった押しつけがましい広告はうざいとしか思わないのが常ですが、今回はそのままつられてしまいました。なになに?こんな本もあるの? Kindleで読めるの?? ...と(^^;

 そうしてそのまま気がついたら買っていたのがこの本。上下に分かれた長編で、まだ文庫化はされていません。Kindle版は文庫よりも高いのですが、ハードカバーよりは安いのです。そして上に引用したような紹介文を読んでしまったら、買わずにはいられませんでした。

 時代は幕末。すでに鳥羽伏見の戦いは決して、十五代将軍慶喜は上野寛永寺に謹慎し、260年にわたって日本政府の中心であった江戸城はまもなく官軍に明け渡されようとしているところです。

 「黒書院」とは行政の拠点となった江戸時代の城において、首長の執務室のことを指しています。当然ながら江戸城内にも将軍の執務室としての黒書院がありました。そこは将軍と限られた人々しか立ち入ることの出来ない、殿中奥深くにある秘密に包まれた座敷です。その畳の上に上がれる人はごく限られています。

 既に将軍が去り、その機能を停止した江戸城内において、ものも言わず座り込みを続ける、御書院番的矢六兵衛なる人物はいったい何者で何を目的としているのか? それがこの小説の大きなストーリーの柱となっています。

 その的矢六兵衛をなんとか、城外に追い出さなくてはいけない役目を負ってしまったのが、官軍の物見先手として江戸城に送り込まれた尾張藩江戸詰のしがない下級武士、加倉井隼人です。

 彼がおっかなびっくり江戸城に乗り込むところから始まり、江戸城が無血開城され官軍の手に渡り、明治天皇がやってくるまでの約十ヶ月の間に、江戸城内の六兵衛の周囲で起きた数々の出来事の物語です。

 他の浅田次郎作品と同じく、大枠の舞台のしつらえはほぼ史実に沿い、勝海舟、西郷隆盛、大村益次郎、さらには第十六代将軍となりそこねた徳川家達などなど、そうそうたる歴史上の人物達が登場しますが、その中心にいる加倉井隼人と的矢六兵衛なる人物はフィクションです。実際の江戸城開城に当たっては、この小説にあるような事件は起きていません。

 しかしそこは「赤猫異聞」や「一路」などと同様、崩壊していく江戸時代を惜しむ視点で描かれた物語は、浅田次郎さんの筆力が遺憾なく発揮されています。

 浅田次郎さんは「明治時代をとても敬愛している」と何かに書かれていました。しかし最近私が読んだこの一連の「幕末もの」から伝わってくるものは、むしろ「江戸時代を敬愛している」のではないかと思えてきます。いえ、江戸時代そのものではなく、260年間も続いた泰平の江戸時代が消えゆく姿に何かを感じて、これらの小説は書かれたのではないかと思います。

 たとえばこんな台詞が出てきます。

それがしは御幕臣みなみなさまが言いとうても言えぬことを、同じ葵の御紋に誓うて申し述べました。どのように理屈を捏ねようと、大村様の上野攻めは非人情の戦にござる。もしそれが、ひもじさを知るものの嫉み嫉みより出ずるのであれば、この戦はすべて王政復古の聖戦にあらず、百姓一揆とどこも変わりますまい

 幕末期に起きた政変を「維新」と呼んで美化するのは薩長新政府によるプロパガンダに過ぎません。その実情は戦国時代以来の大規模な権力争いの内戦です。江戸城は無血開城されましたが、その江戸において唯一の戦場となったのが上野です。彰義隊を中心とした幕臣たちは、江戸城を明け渡す代わりに上野の山に立てこもりましたが、そこには大将がおらず、もともと城郭ではない上野の防備はないに等しい状態です。そこへ交渉もないまま大砲を撃ち込み、有無も言わせぬ攻撃を加えた官軍の原動力は、見せしめであり、恨みでもあり、そして恐怖でもあったことでしょう。

 その官軍のやり口を見てきた加倉井隼人は、官軍側についた尾張藩の陪審でありながら、その上野戦争を指揮した大村益次郎に喰ってかかります。薩摩と長州がやってることは「分け前をよこせ!」と叫ぶ「百姓一揆」に過ぎない、と。それはそれでむしろ百姓さんたちに失礼な話ですらありますが。

 官軍の先手として江戸城に入ったはずの隼人は、江戸城が宮城と名を変えて行くに従って、自らの拠り所と太平の時代が失われていくことに気付き、狼狽していきます。その表れが大村への苦言であり、六兵衛への思いとなっていきます。

 さて、六兵衛が江戸城の黒書院に居座る目的は何なのか? なるほど、これはフィクションながら見事な幕末の、江戸の終わりを描いた物語です。六兵衛の話を聞こうと向き合った人々、前半はほとんどコメディなのですが、下巻に入って急激にその空気は核心に迫ってきます。特に六兵衛の前に座った最後の二人の貫禄はさすがとしか言い様がありません。

 そしてもちろん、物言わぬ六兵衛の真の狙いが最後には明らかになります。泰平の江戸時代、武士が治めていた封建時代は、こうして終わりを迎えたのだとしたら、その後の新政府は道を誤らなかったのではないか?と考えてしまいます。フィクションであるのが残念、と思えてくるような美しい物語です。