酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

針いっぽん

針いっぽん―鎌倉河岸捕物控〈19の巻〉 (時代小説文庫)

針いっぽん―鎌倉河岸捕物控〈19の巻〉 (時代小説文庫)

宗五郎たちが湯治旅からもどり、鎌倉河岸がいつもの賑わいを取り戻した夜、政次らは、御堀端で神田橋御門から出てきた二艘の不浄船を目撃する。その翌日、政次の通う道場に加納傳兵衛と名乗る者が現れ、政次を相手に殺気を伴う立合いを見せるのだった。やがて、加納が御鈴廊下目付であることが判明し、大奥女中に奉公に出ていた古町町人の娘・お初が、城中で成敗されていたことが金座裏に知らされる。お初の無念の死を知った政次らは、禁断の探索に乗り出すが―。シリーズ十周年の記念すべき時代長篇。

Amazon.co.jp: 針いっぽん―鎌倉河岸捕物控〈19の巻〉 (時代小説文庫): 佐伯 泰英: 本

 鎌倉河岸捕物控シリーズの第十九巻です。上に引用した紹介文にもあるとおり、このシリーズもこれで十年目だとか。と言うことは半年に一巻の割合で発行されていることになります。私は三年ほど前から読み始めたので、そんなに長いことこのシリーズに付きあってるという感慨はないのですが、佐伯泰英さんの他のシリーズに比べるとゆっくりとしたペースで進んでいるのは事実です。ただし、物語の中で流れる時間は、第一巻から十年も進んでいないはず。恐らくここまでの十九巻を通して中の時間の流れは二年程度だと思います。

 さて、ここしばらくは九代目宗五郎など老人クラブ一行が箱根に湯治に行っていたりして、どことなく特別編的な雰囲気の物語が続いていましたが、本作はまた江戸の老舗親分一族としての日常生活に戻ってきました。と言っても、彼ら金座裏の日常と言えばもちろん事件や悪人達との格闘です。しかも佐伯さんらしく、今回の事件の設定は壮大で突拍子もないと言えるほど。

 時代小説、特に捕り物を読まれる方なら常識としてご存じのように、江戸の治安維持組織には町方、寺社、目付(武家)と大きく分けて三つあり、それぞれの領分は不可侵になっていました。銭形平次がお寺の中で銭を投げることはなかったし、大岡越前が貧乏な町人を相手に裁きを下していたのも、水戸のご老公様が成敗するのが悪代官なのも当然のことなのです(もちろんいずれの物語もフィクションなのですが)。

 なのに今回、宗五郎たちが追ったのは江戸城の中の人。しかも男子禁制の大奥の中で起きた事件だというからたまげてしまいます。不浄役人があくまでも私的に使っていた身分の低い岡っ引きに過ぎない金座裏が、まるで江戸の名士のようになっている上に、とうとう江戸城中にまで権勢を伸ばすというのですから。しかしそこはさすが佐伯さん。その無理がありすぎる設定をさらりと書ききっていて、あれよあれよという間に読まされてしまいます。もちろん上記のような基本的考証を完全無視しているわけではありません。上手く、時には都合よく隙間を縫って物語として成立させてしまっているのです。なんと言うことでしょう。

 そう、これはもはや事件とその謎解き、犯人捜しの過程を楽しむ小説ではないし、時代考証ももはやどうでも良い世界なのでしょう。江戸時代の厳しい身分制度を超越したストーリーをひねり出す、佐伯さんの手品を楽しむものと言えるかも。そして、その手品を見る私たち読者には、江戸時代の風俗と人々の生活がそれなりに感じられ、嘘くさいと気づくまでもなく騙されてしまうのです。酒屋の豊島屋も呉服屋の松坂屋も実在した商家です。そのリアルな江戸の町に幻のように現れた金座裏。単純なようでいて不思議な小説です。

 さて、私は一貫して「主役の政次がどうも気に入らない」と言ってきましたが、ここまで重ね重ねスパーマンとしての彼の活躍を見せられ続けると、もはや自然に政次を受け入れられるようになってきました。対して私が一番好きな亮吉。相変わらずのひどい扱いですが、彼も少しずつ成長しているようです。物語のはじめに仕掛けられた亮吉に関する重要な前振りは、結局今作中には何も実を結びませんでした。さてさて、この先いったいどうなることやら。

 なんだかネガティブな雰囲気のことを書きましたが、そうは言っても私はこのシリーズがけっこう好きなのです(^^;

 【お気に入り度:★★★☆☆】