酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

慶次郎縁側日記と梟与力吟味帳

 新巻が出るたびに欠かさず読んでいる時代小説シリーズものは、恐らく六作品くらいあると思うのですが、その中の二作、北原亞以子さんの「慶次郎縁側日記」シリーズと、井川香四郎さんの「梟与力吟味帳」シリーズの最新巻が、この秋に相次いで文庫で発行されていました。「慶次郎縁側日記」は前作から実に1年ぶり、「梟与力吟味帳」はもっと発行ペースが遅いと思っていたのですが前作から3ヶ月と、意外に早く出てきました。

「夢のなか」慶次郎縁側日記:北原亞以子
 私が読んでいるシリーズものの中でも、この「慶次郎縁側日記」が最も好きだと言っても過言ではありません。数えてみればこれでシリーズ11作目(覚書の「脇役」を含む)となります。その特徴はその都度何度も書いた気がしますが、美しくてキレのある、かっこいいハードボイルドな文章、俗に「北原節」と私が読んでいる部分にあります。それは「文章」と言うよりも、「語り口」なのかもしれません。

 このシリーズの特徴として、同心や親分が主要な登場人物でありながら、今作でも特に大きな事件は何も起こりません。いや、今回は誘拐とか殺人未遂事件とか、窃盗などが起こるには起こるのですが。とはいえ、事件の謎解きをしつつ、最後に悪者が捕まってめでたしめでたし... という単純な捕り物ではまったくないのです。むしろそれらの犯罪事件は単なる物語の背景事情に過ぎず、あくまでもこのシリーズの主題は、そこに描かれる人間のドラマにあります。

 特に表題作となっている「夢のなか」などは、ほとんどストーリーらしいストリーはありません。なのに何故こんなにもじんわりと心が温まるような読後感のいい話になるのか?それはもう北原さんの筆遣いによるもの以外の何ものでもありません。大げさでわざとらしい訳ではなく、もちろん説明がましいところなどは微塵もありません。むしろその反対で、非常に少ない言葉と、さっぱりとした文体で淡々とページは進んでいきます。

 そこに「北原節」で表現される人々の心の機微。わずか数十ページの短編なのに、その登場人物の人生のドラマを全て見てきたかのような深さまで読者を引き込んでくれるのです。今作も期待に違わず「北原節」をたっぷり楽しむことができました。

 お勧め度:★★★★★(やっぱりこのシリーズは最高です)

夢のなか―慶次郎縁側日記 (新潮文庫)

夢のなか―慶次郎縁側日記 (新潮文庫)

 

 
「科戸の風」梟与力吟味帳:井川香四郎
 このシリーズはNHKの土曜時代劇「オトコマエ」の原作です。しかしコメディ色の強いTVドラマとは少し趣が違って、原作はごくごく普通の捕物時代小説です。与力の藤堂逸馬をはじめ、比較的上級階級の役人を中心にし、政治ドラマの背景をも持っているのが特徴。表面上のストーリーは大事件の謎解きを中心にしたわりと普通の捕物系といえるでしょう。

 でも、今作はちょっとこれまでとは趣が違うように感じました。北町奉行の遠山影元と南町奉行の鳥井耀蔵の政治闘争の図式は以前からありましたが、それがより一層激化し、単なる物語の背景ではなく、主題になってきたようです。そのせいか、扱われる事件とその方の付け方がやや大げさで、無理矢理感というかやり過ぎ感がちょっと感じられたのが残念なところかも。

 ところで今作では、江戸時代の刑罰や裁判制度に関する解説が非常に丁寧に行われています。まるで佐藤雅美さんの小説みたい。江戸時代の刑法の運用や裁判制度というのは、思いの外システマチックで、判例主義も徹底しており、現代並みに民主的とは言いませんが、少なくとも時代劇に描かれるように、権力者が恣意的に判決を決めたり、非人道的な圧政、恐怖統治を行っていたわけではありません。

 それに加えもう一点、印象的なことが書かれていました。というのは、当時の刑罰決定においては、儒教と仏教の影響が強かったということです。それは犯罪の結果よりもむしろ、過程と背景を重視したということだそうです。これにはなるほど、と思ってしまいました。また一つ、江戸時代を語る上での蘊蓄が増えました。

 しかし物語のなかでは、とある犯罪に対して、その事情や目的はどうあっても結果が全てだ!と言わんばかりに、主人公の藤堂逸馬が啖呵を切るシーンがあります。それってどうなのかな?仏教的精神を重視したという解説と矛盾してないか?とちょっと思ってしまいました。

 お勧め度:★★★☆☆(ファンとしては十分に楽しめたのですが、物語の完成度としてはイマイチかも)

科戸の風 梟与力吟味帳 (講談社文庫)

科戸の風 梟与力吟味帳 (講談社文庫)