昨年までは決勝の前にしか行われなかったのですが、今年はなんと金曜日と土曜日にもデモランが行われるというスケジュールとなっていました。
昨年の決勝日は台風による大雨だったためキャンセルされてしまいましたので、レジェンドF1デモランが実施されるのは2年ぶりのことです。ですが結果的に金曜日は雨のためやはりキャンセルされてしまい、土曜日と日曜日の二日間にわたってF1走行の合間に行われました。今年は例年になく多くのマシンとドライバーが参加しました。
マクラーレンMP4-6 :ゲルハルト・ベルガー
今年の一押しはこのマシンです。「マクラーレン・ホンダ」の伝説を飾る一台ですから、今年にふさわしいマシンではあります。
デモランに出走したマシンは、GPスクエアの展示スペースにも置かれていました。すべてホンダが動態で所蔵しているのでしょう。この展示車がまさに走行に使われたものなのかどうかはよく分かりません。
以下、このマシンに関する説明を上の公式ページから引用しておきます。
HondaのV12エンジンRA121Eを搭載したダブルタイトル獲得マシン。そしてHondaにとって最後のシーズンタイトル獲得マシンでもある。1991年はチームメイトのアイルトン・セナとウイリアムズのナイジェル・マンセルが激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、ベルガーのサポートが実りセナがチャンピオンを獲得。中でもチャンピオン決定レースとなった日本グランプリは、予選からベルガー氏が圧倒的な速さをみせ、決勝レースではセナがファイナルラップの最終コーナーで優勝の座を譲るドラマもあり、ベルガーにとっても当時のファンにとっても記憶に残るレースとなった。
うん、確かそのレースはテレビで見ていました。感動的シーンである一方で、意図的な順位操作はスポーツとしてどうなのか?という議論を巻き起こしました。これは後にチームオーダー問題につながっていきます。
金曜日に行われたデモランにて。ヘアピンで撮影。当時最先端で最強だったこのマシンも、今見るとクラシックです。25年の歳月が流れているわけで、当たり前なのでしょう。
ドライバーは両日ともゲルハルト・ベルガーでした。彼は毎日朝から晩までステージでトークショートか、このデモランとか、働きづめでちょっとかわいそうなくらいでした。
デモランですので本気走行ではないですが、3.5リッターV12のエンジンサウンドは、現代のF1から失われたものであり、心とお腹に響きました。
ティレル019 :中嶋悟
続いてはこれ。シャシーもエンジンもホンダではありませんが、第二期ホンダF1とは切っても切れない関係にある中嶋悟が1990年のシーズンに乗っていたマシンです。
コックピットの背後の部分に中嶋悟のサインが見えます。この年の日本GPでは、鈴木亜久里が3位表彰台を取る一方で、中嶋悟もこのマシンで6位入賞を飾っていました。私的にはそっちの方がうれしかったので良く覚えています。
以下は公式ページから説明文の引用です。
それまでフロントノーズ部分は可能な限り低くするのが常識だったF1の世界に革新をもたらしたマシン。フロントノーズ位置を高くし、その下により多くの空気を取り入れてダウンフォースを向上させるもので、1990年のシリーズ第3戦にデビューすると、いきなりジャン・アレジが6位入賞。第4戦モナコではトップを走るアイルトン・セナの背後に迫る走りを見せ2位表彰台を獲得した。
えーっと… モナコじゃなくてアメリカのフェニックスじゃなかっけ? と思ったら、あれは前年型のTyrrell 018でした。そうか、アレジはこのマシンでモナコでも2位に入ったのか。すっかり忘れていました。
このマシンは2年前にもデモランしていましたが、そのときは確か長男の中嶋一貴がドライブしていました。今回は本人の中嶋悟がドライブと言うことで、現役時代をテレビで見ていた感慨ひとしおです。
このマシンのカラーリングを見て分かるように、当時のティレルは弱小プライベータで、スポンサーがほとんどいませんでした。後年このチームは大資本に買収されてBARとなり、さらにホンダワークスになり、さらに奇跡のブラウンGPを経て、現在のチャンピオンチーム、メルセデスワークスと変遷してきたたチームです。F1の歴史の中にも諸行無常を感じますね(^^;
ちなみに、日本企業がスポンサーからもほとんど姿を消す中、メルセデスのスポンサーにEPSONが付いてるのは、もしかしてその歴史が関係してるのでしょうか?
ロータス88B :佐藤琢磨
このマシンだけはホンダとも鈴鹿サーキットとも関わりが分かりませんが、とても面白い経歴を持つマシンです。
いかにも70年代後半から80年代初頭のフォルム。ノーズが短くて寸胴です。
それまで見過ごされていたボディ下面を流れる空気を利用して、大きなダウンフォースを発生させるロータス78の空力思想は瞬く間にF1の主流となったが、それをさらに進化させたのがロータス88B。このマシンの特徴的なシャシーは、ドライバーが乗るモノコック部分とダウンフォースを発生させる部分を分離させた、いわゆるツインシャーシと呼ばれるもの。革新的なマシンだったが、レギュレーションに合致しないと判断され、1度も決勝レースを走ることなく終わった幻のマシンだ。
なんと!レースには出てないのか! この時代はそういう幻の試作車がいくつかあったように思います。こうしてみると、ティレル019が空力マシンの走りのように言われてますが、それ以前から当然のごとくダウンフォースを増す試みは続けられていたんですね。
いやいや、どうして結構速そうに見えます。実際どうなんでしょうか? エンジンはフォードのV8を搭載していました。
デモランしたのは日曜日だけでしたが、ドライバーは佐藤琢磨です。ヘルメットが懐かしいです。いや、もちろん彼はまだ現役ドライバーですけど。
フェラーリF187 :マーティン・ブランドル
1987年にはじめて鈴鹿サーキットで日本GPが開催されたときの優勝マシンだそうです。しかもドライバーはゲルハルト・ベルガーでした。
GPスクエアの展示は木曜日に見たのですが、まだ準備中だったのかノーズコーンが外れていて、タイヤも恐らく保管用のテンパーがついていました。なのでちょっと情けない姿しか見られませんでした。
鈴鹿サーキットで初めてF1日本グランプリが開催された年、1987年。この年の日本グランプリを、2位のセナに17秒もの大差をつけて制したのは、シリーズタイトルを争うマンセルでもピケでもなく、今年の日本グランプリに来場する、まだフェラーリ1年目の若手だったあのゲルハルト・ベルガー。それまで30戦以上勝利から遠のいていたフェラーリを優勝に導いた、ベルガーの駆ったマシンがこのフェラーリF187だ。
ベルガーはこっちもドライブしたかったんじゃないかな? でも大人の事情でそうはいかなかったのかもしれません。(追記:土曜日夜の前夜祭でベルガーはこのフェラーリをドライブしたそうです)
予定では3日間とも走ることになっていましたが、色々事情があってデモランは日曜日だけになってしまいました。
しかもドライバーはなぜかマーティン・ブランドル。しかも被っているヘルメットはダニエル・リカルドのもの。なかなかカオスな姿でした。
もともとこのF187のデモランは松田次生がすることになっていたのですが、FOMが横やりを入れて、デモランといえどもF1経験者しか認めない的なすったもんだがあったようです。
マーティン・ブランドルは現在はイギリスのTV解説をやってるはずで、鈴鹿にもそちらの本業出来ていたのでしょう。代役として急遽白羽の矢が立ったため、ヘルメットからして借り物になったようです。どうせだったらジョニー・ハーバートのほうが面白かったのに(ボソッ
ウィリアムズFW11
ターボ時代の常勝ホンダを作り上げ、ホンダに初のチャンピオンをもたらした1985年のマシン。1500馬力の怪物で、予選スペシャルエンジンなど、なんでもありの力業の時代を代表するマシンです。
ナイジェルマンセルのレッド5仕様です。この時代のカラーリングは格好良いですね。1500馬力を受け止めたリアタイヤの太さもすごいです。
1985年終盤にFW10が記録した3連勝の勢いを受け継ぎ86年に登場した、フルカーボンのモノコックに1500馬力のHonda RA166Eエンジンを搭載したウイリアムズ・Honda最後のマシン。ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルのコンビで16戦9勝の圧倒的強さを誇り、初めてのコンストラクターズタイトルをHondaにもたらした。
土曜日に佐藤琢磨のドライブでデモランが開始されたのですが、早々にトラブルで止まってしまったようです。私がいたヘアピンまでやってきませんでした。
その影響で日曜日の走行もキャンセルされてしまい、結局走ってる姿を見ることは出来ませんでした。残念! また来年を楽しみにしたいと思います。
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