- 作者: 浅田次郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/09/03
- メディア: 文庫
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「飲むほどに酔うほどに、かつて奪った命の記憶が甦る」―最強と謳われ怖れられた、新選組三番隊長斎藤一。明治を隔て大正の世まで生き延びた“一刀斎”が近衛師団の若き中尉に夜ごと語る、過ぎにし幕末の動乱、新選組の辿った運命、そして剣の奥義。慟哭の結末に向け香りたつ生死の哲学が深い感動を呼ぶ、新選組三部作完結篇。
浅田次郎さんによる新撰組を扱った小説と言えば「壬生義士伝」と「輪違屋糸里」があります。前者は吉村貫一郎を、後者は芹沢鴨の誅殺を中心に据えた物語で、どちらも非常に強い印象が残っている忘れがたい小説です。特に「壬生義士伝」は私にとって初めて読んだ新撰組であり、初めての浅田次郎作品でもありました。そこに描かれた新撰組と吉村貫一郎の壮絶なドラマももちろん、独特の美しい、ともすると大げさで芝居がかった文章と言葉で綴られる浅田ワールドにびっくりしたものです。
その「壬生義士伝」の中で主人公の吉村貫一郎を指して「やつは人間としての器が小さかった。すごく小さかったが恐ろしく硬くて美しかった」と表現した登場人物がいました。それは新撰組三番隊組長の斉藤一です。新撰組の中でも沖田総司と並ぶ腕を持つ剣客にして、無口で陰気な性格であり、汚れ役(暗殺や粛正、スパイ活動)を特にたくさん実行したと言われ、新撰組の中のアンチヒーローでもあり、かえって深い影を纏ったかのようで謎めいた人物像が魅力的でもあります。
京都での警察活動から戊辰戦争にかけて命を落とした隊士が多い中で、斉藤一は幕末の動乱を生き残り、西南戦争にも出征したうえ明治時代を最後まで生き抜きました。亡くなったのは大正四年、今からたった約100年ほど前のこと。同じく大正時代まで生き残った隊士、永倉新八よりも半年ほど長生きし、新撰組創設期からの主要メンバーの中では最後まで生き残った人物です。その斉藤一がこの三部作完結編の主人公です。
「一刀斎」は「斉藤一」を逆さまにして当て字をしたものですが、「夢録」とは斉藤一の口述を記したといわれる幻の書(あると言われつつ現在まで実物は発見されていないそうです)の題名です。この小説はその実在が確認されていない斉藤一の「夢録」を、浅田次郎さんの手で再生したものとなっています。斉藤一が昔語りをするなら、きっとこういうことをこうしゃべったに違いない、という空想の回顧録。従って、上下二巻にわたるこの大作は、大正時代の幕開けを見た斉藤老人の独白ですべて進行していきます。
前二作に比べると物語は淡々と進んでいきます。京都での新撰組としての活動に始まり、鳥羽伏見の戦い、江戸に舞い戻り甲陽鎮撫隊として甲府への出征、そして会津戦争に身を投じたのち土方とは袂を分かち維新を受け入れ、何の因果か新政府の警察官として採用され西南戦争へ身を投じるまでを、八夜に渡って徹夜で語り明かす斉藤一の言葉で埋め尽くされています。そこには浅田次郎ワールドらしい、派手な演出はなく、ただただ流れるような、重い美しい言葉だけが並んでいます。これもまた浅田節のひとつでしょう。
この物語の中で斉藤一は剣術の正体を次のように語ります。
真剣勝負に名利は何もない。死にゆく者と生き残る者があるだけじゃ。すなわち正々堂々の立ち会いなどあろうものか。おたがいひとつしか持たぬ命のやりとりじゃによって、卑怯を極めたものの勝ちじゃよ。
しかもその卑怯を極めた剣にも”道”があると斉藤一は言います。
世に人斬りと呼ばれるほどの達者ならば、ぶざまな人殺しをしてはならぬ。見る人が恩讐も罪過も忘れて、あな美しやと思わず手を合わすほどの始末をつけねばならぬ。
美しく人を斬る。もはや倫理も正義もなく、ましてや法律の及ぶ世界ではありません。それを極めた人間を「卑怯」の一言で表せるものでしょうか。それに斉藤一は次のように答えます。
剣道とは神仏に通ずる道ではない。人の道の先にあるものでもない。あらゆる情を去って他者の命を奪う道。すなわち鬼の道である。
そして鬼の道を究めた先には何があるのでしょう? 斉藤一はそこの世界を見た、歴史上でも数少ない”鬼”の一人です。
文久の上洛よりこのかた、いったいいくつの命を奪ったことであろう。いくたびの戦を経て、よもや百を下ることはあるまい。それでもわしは死なぬのだ。おのれが死なずに百の上の命を奪うは、もはや人間ではあるまい。
そして人間ではないなら何なのか? 鬼なのか? ずばりその問いの答えを言い当てられ、なるほど、と斉藤一はうなずきます。
おのれが何様か分からぬなら教えてやろう。おぬしは死神じゃ。
鬼を超え死に神となってようやく得た剣の奥伝について、斉藤一は最後に語ります。なぜ彼は死に神となってまで生き続けることになったのか?
自らが明治維新の戦場において百人以上の命を奪って戦った末に出来上がった明治という新時代を全うし、大正の幕開けを見た斉藤老人は何を思ったでしょうか? 彼が語る「夢録」の結末は「あな美しや」と思わず手を合わせたくなるものです。
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