- 作者: 宇江佐真理
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/02/28
- メディア: 文庫
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お江戸は浅草のはずれ、田原町で小さな古着屋を営む喜十。恋女房のおそめと二人、子がいないことを除けば日々の暮らしには不満はない―はずだったのに、何の因果か、たまりにたまったツケの取り立てのため、北町奉行所隠密廻り同心・上遠野平蔵の探索の手助けをする破目になる。人のぬくもりが心にしみて、思わずホロリと泣けてくる、人情捕物帳の新シリーズ、いよいよスタート!
シリーズものは面白そうと思っても、その時点ですでに何巻も発売済みだったりすると、何となく面倒になって手が出しずらかったりします。なので第一巻にタイミング良く出会うことが重要、と勝手に思っています。この本はまさに新しいシリーズものの第一巻。しかも宇江佐真理さんの手によるもの。宇江佐真理さんのシリーズものと言えば「髪結い伊佐治」シリーズが有名ですが、上に書いたような理由で私はフォローしていません。そのうち読まなくてはと思ってはいます。
さて、この新シリーズ。ジャンルとしては時代小説シリーズものの定番たる捕物帖です。しかし主人公は同心でも岡っ引きでもなくて、古手屋の主。古手屋とは要するに古着屋のこと。江戸時代、衣服というか布地は今よりもずっと貴重なものなので、長屋に暮らす庶民はみな古着を着ていたし、着古したものでも衣類は財産として扱われていたそうです。そのため古着を流通させる仕組みもしっかり整っていました。そのあたりの江戸の社会構造もさらりと触れられていて、なかなか興味深い背景を持つ小説です。
例えば、
紙屑拾いは道端に捨てられた紙の類いを拾って紙屋に売るものを指す。紙屋はそれを漉き直し、厠の落とし紙として新たに売るのだ。
などというトリビア(死語?)が出てきます。再生紙でトイレットペーパーを作るというのは、実に300年もまえから行われていたことだと。江戸時代は鎖国し国内ですべての物資をまかなっていたこともあり、高度なリサイクル機構がありました。古着屋や端切れ屋はその代表格でしょう。
で、これがなぜ捕物帖になるかと言えば、今の時代もそうですが、やはり質屋などを流れてくる中古品市場というのは、常に犯罪にかかわる情報も一緒に流れてくる場所だから。特に古着には人間生活のあれこれが染み付いています。どんな古着でも貴重だった時代ならなおさら。流れてきた古着もそうだし、それを買っていく人にも何らかのドラマの香りがするわけです。
なので、当然事件捜査において古着屋はつねに情報源となっていたであろう事は想像がつきます、なるほど、面白いところに宇江佐さんは目を付けたな!と感心してしまいました。ありそうで今までなかった捕物帖です。定番ジャンルだからこそ生きてくるアイディアなのでしょう。
そしてまた、ここに描かれる人間像がとても魅力的です。主人公の喜十も、その妻の”おそめ”も、とても苦労した過去を持っています。しかしそれらが上手く物語の背景として消化され、何とも言えない良い夫婦関係を作り上げています。まるで深川澪通り木戸番小屋の笑兵衛とお捨のよう。いや、喜十とおそめは笑兵衛とお捨よりももう少し浮き世に近いかも。
なぜなら、
詮のないため息をつくと、遠くから野良犬の遠吠えが聞こえた。
「くたばりやがれ!」
思わず悪態が口をついて出る。
「何ですって、もう一度おっしゃいまし」
おそめの硬い声が聞こえた。ろくにものも言えない。
こんなどうしようもない、まさに犬も食わないような夫婦げんかの場面が実に自然にさらりと書かれていたりします。くだらないことで言い争いになり、思わず口をついて出る男の悪態に、毅然と言い返す女。何でもないこういうやりとりがとても面白くて、話に厚みを与えていると思います。
女性の、あるいは母親としての目線から、女性を中心に据えた時代小説を多く書いてきた、という印象がある宇江佐真理さんですが、今回はおそめという女性を重要な脇役に配しながらも、喜十というこれと言って取り柄のなさそうな男を主人公に据え、その中年でも青年でもない30代後半の未病な男心の動きを、緻密に描いていてなかなか面白いです。
それにしても、この物語に描かれる江戸の風情の美しいこと。その昔から江戸っ子たちは、時々降る大雪に翻弄され、春にはお花見に浮かれ、夏の暑さにうだり、秋の高い空を眺めていたことが分かります。そして今作の一番最後に収められた「糸桜」は、この季節に読むにはぴったりの桜にまつわるお話でした。そして最後まで読み終わると、次巻への期待が大きく膨らんできます。
これはとても面白いシリーズものになりそうで、今後が楽しみです。
【お気に入り度:★★★★★】