この本は私の好きな時代小説作家の一人、佐藤雅美氏の書いた江戸幕府の経済政策をまとめた読本であり、小説ではありません。内容は非常に硬派というかなんというかとても難しく、かといって論文と言うほど取り付きにくくもなく、ドキュメンタリーと言うほどストーリー性があるわけでもなく、江戸時代の経済の実態を正確に、時には佐藤氏の推測も交え出来る限り素人にも分かりやすく解説したものです。
元々は20年以上前に「江戸の税と通貨」という何の捻りも飾りもないストレートなタイトルで発行され、その後一度文庫化されるに当たって「江戸の経済官僚」と改題されて発行されたそうです。昨今の時代小説ブームに便乗したのか「将軍たちの金庫番」とタイトルを再度改変し親しみやすいイラストの表紙絵をつけ、さらには「上様、もう金庫はカラッポです!」というコメディ調を思わせるキャッチコピーの帯をつけて、新潮文庫から再発売されました。これらのとっつきやすい外装に騙されて面白そうな小説だと思って買うと、内容の硬派さにびっくりすることになります。
当時佐藤氏は「歴史経済小説」という変わったジャンル本を書いていたそうで「居眠り紋蔵シリーズ」など、後に大人気となる”普通の”時代小説を書き始める数年前にこの本は書かれました。佐藤氏の時代小説は非常に考証が正確であることが特徴と言われています。「居眠り紋蔵シリーズ」においても、町方の役人達、岡引、下引たちがどのような経済的バックボーンをもって江戸の治安を守っていたか、その辺の世の中の仕組みが実に丁寧にしかしさりげなく書かれています。取り扱われる事件にも当時の庶民や商人達の経済事情が絡んだ事項が多く語られています。わずかな予算によって百万人の大都市の治安を守っていた当時の警察組織の仕組みは実に巧妙で見事なものでした。
この本の主題は、そういう細かい江戸時代の社会経済の仕組みについてのマメ知識ではなく、徳川幕府が江戸時代260年の間に行った経済政策、とりわけ貨幣政策について詳しく見直し、まとめた内容となっています。家康から始まった江戸時代、鎖国をして外国との交易を絶った日本は、内需だけで独自の経済構造を作り上げそれなりに発展を遂げていきました。泰平の世が続くことで支配者たる武士は弱体化し、経済力をつけた商人達が隆盛していきます。これらの基本的な江戸時代の経済事情は多くの時代小説の背景として繰り返し語られていることです。貧乏な武士に対し裕福な町人達。時代小説お決まりのこの構造は江戸時代が進むにつれ顕著になってゆきます。
それは武士の頂点に発つ徳川幕府の無策によるものなのか? 鎖国により世界の経済発展、技術の進歩から取り残され、ゆっくりと自滅の道を歩んでいった徳川幕府は無能・無策の政府だったのか?ともすると、幕府が発令した奇妙でいい加減で勝手な政策の数々に始まり、幕末に米国等と結んだ不平等条約締結に至るまで、徳川幕府は経済政策において無知・無能から生じた重大な失策を繰り返したと思われがちです。しかし、むしろ徳川幕府は鎖国と封建制という特殊な社会構造の中で試行錯誤を重ね、世界中どこを探しても例を見ないユニークな経済政策を実施していたということが、この本の中で様々な資料をひも解きつつ明らかにされていきます。
マルコポーロが日本のことを「黄金の国」とヨーロッパに紹介したのは13世紀のこと。それから400年経過し、徳川家康が天下を取った17世紀初頭、日本は世界最大量の金銀および銅を産出しゴールドラッシュに沸いていました。鎖国政策によってそれら大量の金銀銅を外国に流出させることなく国内だけで流通していた当時の日本は文字通り本当の「黄金の国」だったようです。この豊かな貴金属の保有高は江戸時代の経済の基礎となります。そして当時の日本が置かれたこれら特殊な事情がユニークな経済政策を生み出した背景となっていると思われます。
幕府が打ち出した経済政策の中には明らかな愚作や、結果失敗してしまったことで評価されない失策も多数あるものの、いくつかは狙い通りに劇的な効果を上げたことで、かえって誰の意識にも残っていない優れた政策がある、とされています。
その詳細な種明かしは是非本を読んでいただくとして、一点ポイントだけ挙げるとすれば、田沼意次の時代に発行された”南鐐二朱銀”と江戸後期に発行された”天保一分銀”の存在こそが、世界に類を見ないユニークで優れた政策の象徴であると、佐藤氏はこの本の中で説明しています。この一連の銀貨の発行と流通はあまりにも高度で巧妙に仕組まれたものであったため、開国にあたって諸外国との為替条約を決めるに当たって、その取り扱いが大変な問題となりました。この本の主題を大きくまとめるとするなら、これらのユニークな銀貨の発行に至った経緯、目的とその背景と、幕末期におけるこの銀貨を巡る諸外国との条約締結交渉の成り行きの二つが中心となっています。
ちなみに、この本を読むための前提事項として理解しておくべきことが一点だけあると思います。それは南鐐二朱銀が発行される以前、日本国内に流通していた三種類の貨幣、すなわち金貨(=小判)、銀貨、銅貨(=銭)は、それぞれ独立の価値単位を持った別々の通貨であったということです。金銀銅貨それぞれの交換相場は時代によって変動しました。だからこそ両替商という商人が登場し繁栄したわけです。現代では世界中どこの国に行っても一国あたり一通貨が当たり前ですが、当時は三種類の異なる単位を持つ通貨を国内で使い分けていたのです。これは金銀銅を実際に貨幣に使用していた時代、日本だけではなく世界中どこでも同じだったと思われます。ここに、徳川幕府が事情が加わって独自のユニークな政策を思いつく土壌があったようです。
そして、これらの主題とは別にこの本を読み終わって一つ感心したことがあります。それはいわゆる徳川家は意外にお金持ちであったことです。時代によって波はあるものの百万両単位の余剰資金を持っていることは珍しくありませんでした。それでも江戸中期から後期にかけては、国を運営していくための財政支出に汲々としながらも、諸国の大名家の多くが陥った破産状態とは違って、徳川幕府(=政府)は無借金運営を貫きました。その結果、幕府倒壊がするまでの260年間、徳川家の家臣たる旗本、御家人8万人に対する禄(=給料)の支払いに関し、お借り上げ(=減給)も遅配も欠配もしなかったと言うのはとても意外に思えました。
もちろんそのツケを払わされたのは諸国大名家や商人達、ひいては農民達であったのかもしれません。政府の財政を守るために、それを支える土台であるべき諸国民を疲弊させていったという点で、やはり徳川幕府の経済政策は根本的に失敗だったと言えるのでしょう。しかし明暦の大火で焼け落ちた江戸城天守閣がその後二度と再建されなかったのは財政難のためと思っていましたが、実はやろうと思えば天守閣を再建する程度の費用は実は徳川家は持っていたようです。しかし遙か戦国時代が過ぎ去った平和な時代において城の天守閣などは無用の長物にすぎません。それより幕府は手元資金を江戸の都市整備や諸国の治水工事、農地開拓に費やし日本の生活向上、経済発展に目を向けそのための政策に追われていたのです。結局、いくらあっても足りないのが一国の財政事情であることは今も昔も変わらないようです。(なのできっと徳川埋蔵金などはないはずです^^;)
おすすめ度:★★★★★(江戸時代もの小説が好きな方には是非お勧めです)