江戸は本所の六間堀から伸びる小さな掘留の五間堀に、小さな古道具屋、鳳来堂を構える音松とお鈴の夫婦。三男坊で若い頃はぐれて賭博にはまるという、絵に描いたような転落の道をたどって、父親が苦労して開いた店を潰しかけた音松。一方、母子二人で仕立物屋を細々と営みながら、真っ当に暮らしていたお鈴。この二人がどうして出会って、どうして夫婦になったのかは、ほとんど出会い頭みたいなものでした。でも、それはこの小説の本題ではありません。
物語は、鳳来堂もカツカツながらも何とか順調に商いをし、一人息子の長五郎も成長して奉公に出てしまい、二人が夫婦としてすっかり落ち着いて暮らしている、何でもない日常を語ったものです。大げさな大事件は何も起きません。でも、本所の隅に暮らす普通の庶民の、毎日の生活の中で起こるちょっとした事件や、人間模様が実にさりげなく、情感たっぷりに、かといって白々しくなく、女流時代小説作家としての宇江佐真理さんらしい語り口の、さわやかな小説となっています。
第一話の「織部の茶碗」を読み終えたところで、久しぶりにゾクゾクと鳥肌が立つというか、ジワーッと何かがわき出てきて思わず笑顔になってしまうというか、そんな読後感を感じました。最近人情市井ものの時代小説を読んでいなかったので、すっかりやられてしまいました。やっぱり私はこの手の小説が一番好きなようです。
音松は過去に賭博にはまり借金を作って家をつぶしかけた、典型的なダメ男。対してお鈴は貧乏であるが故に真っ当に育ち、気も強くて典型的なしっかり者。賭博にはまった過去のある男と来れば、時代小説では、そのダメっぷりを発揮して大事件を起こし、女房子供を泣かし、長屋の連中を呆れさせるのが定番です。しかし音松はそんじょそこらの時代小説に出てくるような、在り来たりのダメ男ではありませんでした。いい意味で、私の頭の中のステレオタイプなダメ男像を打ち崩してくれました。
そしてお鈴。音松とは真逆すぎてむしろぴったりな夫婦に思えてくるくらいのしっかり者。誠実で堅実。しかし常識家だからこそ、どこか世間ずれしていていかにも凡人だったりもします。お鈴は勝手気ままで危うい行動をとる音松に、いつも腹を立てながらも、音松の中に根強く残る純粋さに惚れており、そのままでいて欲しいというのが本音に違いありません。音松も音松で自分のダメさが分かってるが故に、口うるさいのはうんざりだけど、しっかり者のお鈴が好きで仕方がないのでしょう。こんな似合いの夫婦はいない、とリアリティを持って感じられるほどに見事な人物像です。この辺の夫婦の機敏の描き方は、宇江佐真理さんならではのものだと思います。
お鈴は店番をしながらいつも店の前に七輪を出して、何かを焼いたり煮たりしています。物語のそこかしこに、お鈴の作る料理について、レシピから作り方のコツまでが詳しく書かれています。しかもどれも、庶民の食べ物。何でもない食材を使っておいしい料理を作るための、お鈴の、いや江戸に暮らす貧乏人の知恵の結晶。これぞ食文化と言ったものばかり。単に食べ物や食事を物語の中のシーンの一つとして書き捨てるだけでなく、お鈴と音松達の暮らしぶりを表現する、重要な小道具として扱われています。たとえば稲荷寿司。あるいは蛤鍋。大根の煮込みや筍などなど。
お鈴が毎日料理をするのは、何もお鈴と音松の夫婦が食べるためだけではありません。音松には幼なじみの友達がおり、彼らは毎晩のように音松の家に集まってきます。それぞれ大人になって境遇も生活も変わってしまいましたが、彼らの間にはそんなことは関係ありません。お鈴はいつまでも子供の時と同じように仲のいい音松達に半ば呆れながらも、彼らのためにセッセと料理を作ります。気の利く友人はいろいろ食材を差し入れてくれたり。一方で酒が切れただの、柚子が濃すぎるだのわがまま放題な奴もいたり。そんな手のかかる男達を軽くいなして、彼らのおしゃべりに耳を傾け、時には話の輪に加わるお鈴。ささやかながらもとても豊かな江戸の庶民達の生活の一部です。
多少のいざこざは起こるものの、たいした事件は起きず、誰も傷つかず、ほんわかした雰囲気で進んでいくと思っていたところで、第四話の「びいどろ玉簪」の結末にはとてもショックを受けました。後書きに寄れば、これは現代に起きた事件を宇江佐さんが気にして、そのプロットをこの物語に使ったものだそうです。悩み多くも幸せな生活を送る音松とお鈴夫婦がいる一方で、こんな理不尽なことが起きるというのもまた現実。それは江戸時代でも現代でも変わらない、ということなのでしょうか。
世の中は幸福よりの不幸の方が何倍も多い。それゆえ、人々は僅かな幸福を夢見て縁起物を飾るのだ。お鈴は茶箪笥の上のばんざいした招き猫に目を向けて微笑んだ。(「招き猫」より)
お鈴が思うように、世の中幸福だけのきれい事ではあり得ません。それにしても鳳来堂の人情物語の中に加えられた、ちょっと辛めのスパイスにしては効き過ぎているような気がします。
そして結末。音松のささやかな夢の実現が心に残りました。友達と花見をすること…。毎晩のように集まって酒を酌み交わす間柄でいながら、花見の時期はみんな商売柄、かき入れ時なために何年も実現していない、音松の夢。その後に起きたことはやや唐突な気もしますが、それよりもこの結末の重要なところはやっぱり音松の花見だと思います。夢を果たした音松は夜桜を眺めながらその幸せ次のように噛みしめます。
音松は猪口を口に運びながら雪洞に照らされた桜を眺めた。夜目にも白く映る姿は、時折、はらりはらりと花びらを落とした。その風情は夢幻の心地と言おうか。狐に騙されているような心地と言おうか。音松はその時、人々が花見に躍起になる気持ちがわかった。そんな気持ちにさせてくれるのは桜しかないと。(「貧乏徳利」より)
神社の境内に茣蓙を敷き、提灯を掲げて夜桜を楽しみながら、弁当とお酒を持ち込み宴会をする人々。酔っぱらって騒ぎ立てたり、正体をなくして倒れてしまうバカがいるのは今も昔もやはり同じだったようです。ただ訳もなく友人達と集まって酒を飲む楽しさ、年に一度の花見を楽しむということが、いかに幸せなことかと、今更ながら思い知らされてしまいました。うん、本当にそうに違いない。
酔った徳次が滅茶苦茶な仕草で踊る。房吉も歌いながら踊る。音松と勘助は腹を抱えて笑った。踊り疲れた徳次は桜の幹を力任せに揺すった。桜の樹は徳次の狼藉にたまらず、ざあっと花びらを落とした。重箱と言わず、菰樽と言わず。房吉は慌てて重箱に散った花びらを払う。
「いいんだ、房吉。そのままにしておきな。いっそ、乙だ。」(「貧乏徳利」より)
桜の美しさを過剰な形容詞で語り尽くすより、酒のうまさをくどくどと語るより、上に引用した一節は花見の情景をもっとも美しく表していると思います。(念のため… 桜を散らしてみたいとか、それはマナーが悪いとか、そういった次元の話ではありません)
おすすめ度:★★★★★★ (時代小説初心者にもお勧めです)
—おまけ
江戸はあちこちに水路が張り巡らされ、水運が発達した水の都でしたが、その多くは明治以降、時代が進むとともに埋め立てられ、道路へと変化していきました。特に隅田川の東、現在の江東区には多くの掘割がありましたが、今では小名木川、大横川、堅川など主要な運河をのぞいてほとんどが埋められています。
中でも江東区の北側を東西に横切る小名木川は、徳川家康の江戸入府とほぼ同時、16世紀末には既に存在していたと記録されている古い運河であり、行徳や船橋方面からの野菜や食料を江戸に運ぶための水路として開かれました。小名木川の南側にはわずかな土地しかなく、すぐに海だったところが、江戸時代中期にかけて次第に埋め立てられ、深川と呼ばれる新しい町が開かれました。
一方、小名木川の北は本所と呼ばれ、深川が埋め立てられる以前からあった土地です。隅田川に最初にかけられた橋、両国橋も神田から本所を結ぶ幹線道路として架けられたものです。江戸の町は、お城周りの広大な武家地の他に、神田、日本橋、浅草といった商業の中心地とともに、隅田川を渡って深川、本所と区分けされていました。これらの土地はそれぞれ異なる文化を持ち、江戸は江戸、深川は深川、本所は本所、と区分けされることもあります。
さて、この小説に出てくる鳳来堂があったことになっているのは、本所の五間堀沿いです。五間堀は六間堀から分かれた短い掘留。六間堀は小名木川と堅川を結ぶ支流のような運河です。六間堀も五間堀もかなり昔に埋め立てられ、すでに存在していません。しかし、六間堀と五間堀の両岸の道は現在も道路として残っています。六間堀と五間堀が交差する部分の形状もそのままに。
下の地図からその姿が浮かび上がってくるでしょうか? 新大橋通の少し北、清澄通りを斜めに横切る2本の平行した道が見えます。これが五間堀の両岸の道の跡。ということは、この2本の道路に挟まれた部分は五間堀を埋め立てた土地になります。そしてその五間堀を西にたどると、新大橋通を貫いて浅い逆くの字に曲がった、やはり2本の平行道路があります。こちらが六間堀跡。五間堀との合流部分の不自然な道路配置も、ここが運河跡だと言われれば納得がいきます。ちなみに、この五間堀跡は江東区と墨田区の区境になっています。
この地図の左上、六間堀跡を北上した左岸にある「要津寺」は、この小説の中で音吉達が花見を楽しんだお寺と思われます。(物語中では「要律寺」と表記されています)