- 作者: 井上ひさし
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/12/14
- メディア: 文庫
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元禄15(1702)年12月14日夜。赤穂浪士47名が両国の吉良邸に討入りを果たした。この事件はその後300年あまり、日本的な忠義の規範として語り継がれることとなった。しかし、旧赤穂藩士の中にはこの討入りの「義挙」に参加しなかった人々もいた。彼らはなぜ吉良邸に行かなかったのか?厳密な歴史考証と豊かな想像力で「忠臣蔵」を問い直す歴史小説の傑作。第20回吉川英治文学賞受賞作。
もうすでに年が明けてしまいましたが、冬の時代ものといえば忠臣蔵です(ややこじつけ)。折しも10数年前の大河ドラマで大石内蔵助を演じた歌舞伎役者が最近亡くなったこともあって、テレビでそのドラマの一シーンを見かけることも少なくありませんでした。そんな折にちょうど発売されたのがこの「不忠臣蔵」というタイトルの文庫本です。もちろん版元も時期を分かっていて年末に発行したに違いありません。やはり「忠臣蔵」は季節ものなのだと思います。
井上ひさしさんの小説を読むのは初めてですが、この本に収録された作品が書かれたのは今からもう30年近く前のこと。この文庫本も当時の表紙絵のままこの度は再版となったようです。いずれにしても「忠臣蔵」の三文字が書かれた本となれば俄然興味が出てきます。そこに「不」という字がついているわけで、これは当たり前の忠臣蔵ではないようです。そこでパラッと目次をめくってみれば、すぐにその謎は解けました。
目次に並んでいるのは人の名前です。例えば安井彦右衛門、小山田庄左衛門、毛利子平太、渡辺半右衛門、橋本平左衛門などなど、旧赤穂浅野家の家臣達の19名の名前が並んでいます。しかも彼らは元禄15年12月14日に本所吉良邸に押し入ったいわゆる四十七士ではありません。そうではなくて、討ち入りに加わらなかった赤穂浪士達なのです。なるほど!これは面白そうです。
第一話に取り上げられているのは中村清右衛門。いきなり江戸の煮売り屋の親爺の一人語りから始まります。以後、すべての物語りに渡って基本的には誰か一人の人物の一人語り形式となっており、なかなか特徴的な文章。口語調なのでリズムがあって読みやすい文体ですし、誰かの話を本当に聞いてるようでとても面白い構成です。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、江戸だけでなく日本全国にすぐに知れ渡り、武家から庶民に至るまで大きな話題となりました。それは後に脚色されて歌舞伎の舞台となった「忠臣蔵」と同様に、赤穂浪士四十七士を忠義の士と賞賛し、ヒーロー視するものです。赤穂浪士を絶賛する一方で、批判の対象は吉良家ではなく基本的に幕府に向いており、それはそれで公言が憚られたこともあって、その敵視はむしろ討ち入りに加わらなかったその他の赤穂浪士達に集中してしまったという面もあったのではないかと思います。
最初から盟約に加わらなかった者もいれば、途中で訳あって脱盟した者、そして本来なら討ち入りに加わるはずが運命のいたずらで加われなかった者… そういったそれぞれの事情を抱えつつも、しかし世間は上から下まで老若男女すべてが、生き残った赤穂浪人達を十把一絡げにし、討ち入りから逃げた不忠義者、卑怯者、臆病者として後ろ指を指され、中にはそれで命を落とした者もいました。
討ち入りに加われなかった19人のそれぞれの事情と、その後の過酷な世間の風に晒された人生を描いたのがこの「不忠臣蔵」です。井上ひさしさんはこの小説を書くにあたって、だいぶ史料をあたったそうで、いくつか記録に残っている事実の断片から、少しずつ膨らませて紡ぎ上げた物語と思われます。ドキュメンタリータッチではなく完全な小説仕立てでありながら、相当に事実に近いと思われます。
彼らは本当に不忠の輩なのか? 命が惜しくなったのか? 大石内蔵助らを裏切ったのか? あるいは言われているように第一陣がしくじった時のための第二陣が計画されていたのか?中には唾棄すべき人間もいたのかも知れません。しかしこの本に取り上げられている19人は、それぞれがそれぞれの事情を抱え、考えを持っています。
この本を読んで「忠臣蔵」という美しい忠義の物語の裏で苦しんだ人々がいたことに改めて思いを巡らせると、大石内蔵助は本当は彼ら、盟約に加わらなかった人々のことをどう思っていたのだろう? あの物事の運び方は正しかったのだろうか?と考えはじめ、最後にはそもそも浅野内匠頭はなぜ… と事件の発端にして最大の謎にやはり行き着いてしまいます。
いずれも時間の海に消えていったもはや知ることの出来ない歴史の欠片です。このもはや解き明かされることのない大きな謎が背景に横たわっていることも、忠臣蔵にまつわる物語の魅力の一つではないかと思います。
【お気に入り度:★★★★★】