鈴木亜久里の挫折―F1チーム破綻の真実:赤井 邦彦

鈴木亜久里の挫折―F1チーム破綻の真実 (文春文庫)

鈴木亜久里の挫折―F1チーム破綻の真実 (文春文庫)

 

 2006年に奇跡のF1参戦を果たした日本のプライベーターF1チーム、スーパーアグリ。参戦2シーズン目の2007年には前半戦で4ポイントも獲得するなど、チーム規模からは考えられないほどの大活躍を遂げ世界中のF1ファンたちを驚かせました。その活躍もあってチャンピオンを争う上位チームに負けないほどの人気が出てきたのですが、チーム運営自体は綱渡りの茨の道だったようです。電撃参戦からわずか2年4ヶ月、2008年のスペインGPでとうとう資金繰りに行き詰まり、第5戦トルコGPを前にした5月7日に、鈴木亜久里代表が記者会見を開き正式にチーム解散を発表しました。この本は、そのスーパーアグリF1チーム設立から撤退に至るまでの3年におよぶチーム運営の舞台裏の出来事を綴ったドキュメンタリーです。

 スーパーアグリF1チームは一つの弱小プライベーターチームでありながら、F1における存在意味は非常に大きなものがありました。チームが参戦するに至ったのも、わずか2年あまりで撤退するに至ったのも、根っこをたどっていけばそれはスーパーアグリの内部事情だけで片付けられるものではなく、F1界そのものの揺れ動きだったと思います。そのF1というモータースポーツ興業の波に乗せられ、飲み込まれてしまったスーパーアグリ。チーム関係者とそのオーナーである鈴木亜久里氏の奮闘ぶりがいかに大変なものだったのか、そこには想像を遙かに超えるものがあったようです。

 一人のF1ファンとしてスーパーアグリF1チームの短い歴史を考える上で気になるのは、ホンダの関わり、カスタマーカー問題、そしてスポンサー問題、エントリーに至るまでの関係者奮闘と撤退を余儀なくされた事情などです。この本の中でももちろんこれらについてしっかりと触れられています。

 2005年の年末から翌年に参戦するまでの鈴木亜久里氏とFIAとの交渉やチームの立ち上げ経緯などは、ポジティブな話のためか非常に細かく、熱く語られているのですが、2008年の撤退に至る過程についてはわりとあっさりとしている印象があります。マグマグループとの交渉と突然の一方的な破棄、最後の足掻きとしてすがりついたドイツの出資者との交渉が時間切れに終わったことなど、既にニュースで伝えられている情報とあまり変わりがありません。大変な労力と情熱をかけ、劇的な展開で立ち上げたチームも、消えるときはとてもあっけないものです。撤退の経緯に関してはこれ以上の詳細な情報は実際に無いのかも知れないし、あるいは現時点では未だチームの精算がいろいろと片が付いてないことがあって公表できないのかも知れません。

 ホンダの関与についてこの本の中で語られている論調としては「善意の第三者」的なのですが、どうもそれだけではまだ納得できません。ホンダは現役のワークスチームであることからしても変なことは書けなかったのではないかと勘ぐってしまいます。設立時における鈴木亜久里氏とホンダ本社との交渉内容についてはわりと細かく書かれていますが、撤退に至る過程でのホンダのスタンスの取り方というのは今ひとつはっきりしません。いや、結局のところ”本田技研“と”HONDA RACING”は別々の組織であり、本社の意志だけでは何も決められない、ということが却って浮き彫りにされているように思えます。実際ホンダに限らずメーカー系のワークスチームというのはそういうものだし、本来そうあるべきなのでしょう。

 一方、カスタマーカー問題についてはかなり詳しく書かれています。それだけでなくスーパーアグリが開発した各マシンのエンジニアリング面についての解説は非常に細かくされており非常に興味深いエピソードばかり。当初、4年落ちの旧アロウズのマシンを改造したSA05に始まり、さらに進化型のSA06、そして2007年シーズンの前半に大活躍したSA07の成り立ち、開発の経緯やそのコンセプト、弱点、技術面での限界に至るまで非常に生々しいエンジニアとドライバー達の奮闘ぶりがうかがえます。

 そして一番の問題はスポンサー獲得でした。結局スーパーアグリは参戦してから撤退するまで、チームを支えてくれるほどのメインスポンサーを見つけることが出来ませんでした。2006年シーズンにエントリーするに当たって供託金約58億円の手配についてはかなり生々しくて細かい話が暴露されています。特にこの時期、ソフトバンク孫正義会長がスーパーアグリに興味を持っていたというのは初耳でした。孫会長との駆け引き、最終的に折り合わなかった理由など、こんなこと書いて良いのかな?と思えるほどの裏話が書かれています。しかし今思えばもしソフトバンクと上手く手を結べたならば、スーパーアグリの末路は違っていたかも知れません。と言っても、この本を読む限りにおいては両者の意図の溝は非常に深いものだったよう
ですが。

 それから後2年間にわたるスポンサー探しの交渉に至っては、信じられないような話の連続です。F1ほどの巨大ビジネスに関わるとなると、有象無象のなんだか分からない怪しい人たちが群がってくるものです。鈴木亜久里氏はドライバー引退後の実績としてビジネスの才覚はあるはずなのですが、F1参戦が生涯をかけた夢であったからこそ、スーパーアグリの運営に関してはあまりにも真剣で純真になりすぎたのかな?と思います。半ば詐欺師みたいな人たちに次々に引っかかってしまう鈴木亜久里氏。「怪しい話だと分かっていながらも、本当であって欲しいと願った」という下りがそれを表しているようです。

 結局のところ、スーパーアグリF1チームの撤退は、日本企業はもちろん、小さなF1チームに十億単位のお金を出すスポンサーはいないということ証明して見せた結果となりました。これはF1界にとって非常に大きな問題です。

 それもあって、最近はやたらにコスト低減策が打ち出されていますが、それによってF1が魅力ないものになってしまっては意味がありません。コスト低減はもちろん必要ですが、多くの企業が10億、あるいは100億円を投じる価値を見いだせるような魅力あるものに育てていく策こそが一番必要なはずです。スーパーアグリF1チームの挫折はそれを端的に示していると思います。

 スーパーアグリF1チームにとって初ポイントを獲得した2007年のスペインGP、そして佐藤琢磨がチャンピオンのアロンソオーバーテイクした2007年のカナダGP。この二つのレースが思い出されます。ファンとしてはカナダGPの印象が強いのですが、鈴木亜久里氏はじめ、チーム関係者としては初ポイントを取ったスペインGPの方がよほど思い出深いようです。確かに最後ラップまでフィジケラと争って手に入れた初入賞。わずか1ポイントとは言えそれは無限の価値があったことでしょう。

 スーパーアグリF1チームはとても残念な形で撤退してしまい、もはやレースに登場することはありません。鈴木亜久里氏の挑戦はやはり無謀なものであったのは事実です。しかしこれら二つのレースのように多くのファンの記憶に残る素晴らしい結果を残すことが出来ました。その記憶はフェラーリにもマクラーレンにも、ホンダなどのF1における歴史にも負けません。それだけでも決してスーパーアグリF1チームの参戦は成功だった、と言えるのだと思います。

 おすすめ度;★★★☆☆ (F1ファンの方にはお勧めしておきます。2時間で読み切れます)

最近聞いている音楽

 最近と言ってもここ一年くらいの間に何となく買った音楽(最近はCDを買わなくなりました。ほとんどはiTunes Storeから購入)の中からいくつかめぼしいものをピックアップしておきます。

○ALRIGHT : 秦基博

ALRIGHT

ALRIGHT

 

 最近一番のHeavy Rotationです。ある日ぼうっとNHKを見ていたときにこの人のライブをやっていました。NHKらしい野暮ったい番組だったのですが、なんとなく音が耳に残ってiTunes Storeを見てみたらちょうど新アルバムが発売になっており気がついたらポチッと押してました(多分CDだったら買わなかったと思うのですが)。で、多くの人のレビューにあるように、声とメロディが良いですね。とても耳障りがよいです。ベタなようでベタじゃない。飽きそうで飽きない。どこかで聞いたような気がするのに思い出せない。そんな感じでよく聞いています。

○11 : Bryan Adams

11

11

 

 いやいや、懐かしいですね、Bryan Adamsですよ。永遠の18歳。80年代のアーチストなので、いまや結構なお歳のはず。私は微妙に年代ずれているのですが、大学生の頃かなり好きでよく聞いていました。LIVE!LIVE!LIVE!というその名の通りLIVE盤が一番好きでした。その後CDで発売されたMTV Unplugedも良かったです。LIVE盤と言うとたいていの場合は聞いてがっかりするものですが、彼のはオリジナルアルバムより良かったです。で、そんな遙か昔の若き日の想い出に浸りながら、これもポチッと押してしまいました。それにしても変わらないですねぇ、あのハスキーボイス。「永遠の18歳」てちょっと痛々しいかもと思ってましたが、どうやら本気のようです。

○Under the Rader : Daniel Powter

Under the Radar

Under the Radar

 

 デビューアルバムでいきなり一世を風靡したDaniel Powterのセカンドアルバムです。前作は人気が出ただけのことはあって粒ぞろいの良いアルバムでした。声がクリアーで高いんですよね。でもJames Bluntのようにぐずぐずな感じはしません。むしろさっぱりという感じ。が… なんか耳に残らないんです。聞いてるときは満足するんですが、何度聞いてもどんな曲があったのか記憶に残りません。このまま消えてしまわないことを祈ります。

○Life is Good : LFO

Life Is Good

Life Is Good

 

 スミマセン、これかなり古いアルバムです。しかもこのグループはとっくに解散しています。これの前作アルバムが結構売れて、日本でも一時期FMでよくかかっていました。で、なんとなくiTunes Storeをうろうろしていたら見つけてしまったのがこれ。懐かしいなぁ、新しいアルバム出てたんだ… と気がついたら買ってしまっていました。安かったしほとんど期待していなかったのですが、なかなか良いアルバムです。ちなみにLFOというユニットの背景を全然知らないのですが、なんつうか、いわゆる男性アイドルグループだったんですかね?Back Street Boysとかそんな感じの曲ばかりです。でも、Dandelionという曲の奏でる雰囲気と詩の内容がすごくイイです。

Simple Plan : Simple Plan

Simple Plan

Simple Plan

 

 パンクだったはずのSimple Planですが、このアルバムではちょっと大人になってしまった感じがします。あるいはすごく今風と言えばいいのか。それだけに聞きやすいのですが、本来のSimple Planらしさ的にはどうなのかな?と思います。6年前のアルバム”No Pads, No Hamlets… Just Balls”を持っているのですが、このときのノリとリズムは突き抜けていました。高校生の生活を歌ったようなすごい若い歌詞ばかりでしたし。ま、成長するのは良いことだと思います。

音楽の子供はみな歌う : サンボマスター

音楽の子供はみな歌う

音楽の子供はみな歌う

 

 サンボマスターはやっぱり最高ですね。満足です。でもこれもまたパンチが少し弱くなったのかな?と感じます。歳とったと言うべきか。ちなみにこれはiTunes Storeで買えなかったのでCDを買いました。

○kiss : Chara

kiss

kiss

 

 久しぶりにCharaの音楽買いました。サンプル聞いてると全部欲しくなるのをぐっと堪えてこのミニアルバムを選択。カバー曲が3曲入っているのですがCharaが歌うとみんなCharaのオリジナルみたいに聞こえます。なんか、イヤらしい意味じゃなくて色っぽいんですよね、Charaの声とか歌い方って。すごいイイです。

○Racing HERO

伝説のヒーロー~フジテレビ系「F1グランプリ」番組使用曲

伝説のヒーロー~フジテレビ系「F1グランプリ」番組使用曲

 

 フジテレビのF1中継で使われた音楽を集めたコンピレーションアルバムです。80年代から最新のQueenまで色々収録されています。聞いてるだけで過去のF1の様々なシーンを思い出します。このアルバムに選曲から漏れている曲(Cold PlayのClocksとかBryan AdamsのEverything I do it for youとかTーSQUAREとか)を何曲かを追加してオリジナルF1ソング・プレイリストを作って聞いています。

○Viba La Vida or Death and All His Friends : Coldplay

Viva La Vida Or Death & All His Friends

Viva La Vida Or Death & All His Friends

 

 ボーカルが死ぬほど下手くそとか言われていますが、私的には前作X&Yまでは結構好きでした。そのヘロヘロのボーカルも含めて。下手なのではなくそういう味付けなのだと。UKっぽい分かりにくさと言うべきか。で、そのColdplayの新作と言うことでろくに視聴せずに買ったのですが… 失敗でした。もう、何がしたいのかよく分かりません。これは×。

○Covers : JERO

COVERS

COVERS

 

 今年一番のヒット。素晴らしい、最高です。日本にはこんなにイイ音楽があったとは。特に「氷雨」が最高です。もう自分のテーマソングにしたいくらい。いや、してしまいました(A^^;

将軍たちの金庫番:佐藤雅美

将軍たちの金庫番 (新潮文庫)

将軍たちの金庫番 (新潮文庫)

 

 この本は私の好きな時代小説作家の一人、佐藤雅美氏の書いた江戸幕府の経済政策をまとめた読本であり、小説ではありません。内容は非常に硬派というかなんというかとても難しく、かといって論文と言うほど取り付きにくくもなく、ドキュメンタリーと言うほどストーリー性があるわけでもなく、江戸時代の経済の実態を正確に、時には佐藤氏の推測も交え出来る限り素人にも分かりやすく解説したものです。

 元々は20年以上前に「江戸の税と通貨」という何の捻りも飾りもないストレートなタイトルで発行され、その後一度文庫化されるに当たって「江戸の経済官僚」と改題されて発行されたそうです。昨今の時代小説ブームに便乗したのか「将軍たちの金庫番」とタイトルを再度改変し親しみやすいイラストの表紙絵をつけ、さらには「上様、もう金庫はカラッポです!」というコメディ調を思わせるキャッチコピーの帯をつけて、新潮文庫から再発売されました。これらのとっつきやすい外装に騙されて面白そうな小説だと思って買うと、内容の硬派さにびっくりすることになります。

 当時佐藤氏は「歴史経済小説」という変わったジャンル本を書いていたそうで「居眠り紋蔵シリーズ」など、後に大人気となる”普通の”時代小説を書き始める数年前にこの本は書かれました。佐藤氏の時代小説は非常に考証が正確であることが特徴と言われています。「居眠り紋蔵シリーズ」においても、町方の役人達、岡引、下引たちがどのような経済的バックボーンをもって江戸の治安を守っていたか、その辺の世の中の仕組みが実に丁寧にしかしさりげなく書かれています。取り扱われる事件にも当時の庶民や商人達の経済事情が絡んだ事項が多く語られています。わずかな予算によって百万人の大都市の治安を守っていた当時の警察組織の仕組みは実に巧妙で見事なものでした。

 この本の主題は、そういう細かい江戸時代の社会経済の仕組みについてのマメ知識ではなく、徳川幕府が江戸時代260年の間に行った経済政策、とりわけ貨幣政策について詳しく見直し、まとめた内容となっています。家康から始まった江戸時代、鎖国をして外国との交易を絶った日本は、内需だけで独自の経済構造を作り上げそれなりに発展を遂げていきました。泰平の世が続くことで支配者たる武士は弱体化し、経済力をつけた商人達が隆盛していきます。これらの基本的な江戸時代の経済事情は多くの時代小説の背景として繰り返し語られていることです。貧乏な武士に対し裕福な町人達。時代小説お決まりのこの構造は江戸時代が進むにつれ顕著になってゆきます。

 それは武士の頂点に発つ徳川幕府の無策によるものなのか? 鎖国により世界の経済発展、技術の進歩から取り残され、ゆっくりと自滅の道を歩んでいった徳川幕府は無能・無策の政府だったのか?ともすると、幕府が発令した奇妙でいい加減で勝手な政策の数々に始まり、幕末に米国等と結んだ不平等条約締結に至るまで、徳川幕府は経済政策において無知・無能から生じた重大な失策を繰り返したと思われがちです。しかし、むしろ徳川幕府鎖国と封建制という特殊な社会構造の中で試行錯誤を重ね、世界中どこを探しても例を見ないユニークな経済政策を実施していたということが、この本の中で様々な資料をひも解きつつ明らかにされていきます。

 マルコポーロが日本のことを「黄金の国」とヨーロッパに紹介したのは13世紀のこと。それから400年経過し、徳川家康が天下を取った17世紀初頭、日本は世界最大量の金銀および銅を産出しゴールドラッシュに沸いていました。鎖国政策によってそれら大量の金銀銅を外国に流出させることなく国内だけで流通していた当時の日本は文字通り本当の「黄金の国」だったようです。この豊かな貴金属の保有高は江戸時代の経済の基礎となります。そして当時の日本が置かれたこれら特殊な事情がユニークな経済政策を生み出した背景となっていると思われます。

 幕府が打ち出した経済政策の中には明らかな愚作や、結果失敗してしまったことで評価されない失策も多数あるものの、いくつかは狙い通りに劇的な効果を上げたことで、かえって誰の意識にも残っていない優れた政策がある、とされています。

 その詳細な種明かしは是非本を読んでいただくとして、一点ポイントだけ挙げるとすれば、田沼意次の時代に発行された”南鐐二朱銀”と江戸後期に発行された”天保一分銀”の存在こそが、世界に類を見ないユニークで優れた政策の象徴であると、佐藤氏はこの本の中で説明しています。この一連の銀貨の発行と流通はあまりにも高度で巧妙に仕組まれたものであったため、開国にあたって諸外国との為替条約を決めるに当たって、その取り扱いが大変な問題となりました。この本の主題を大きくまとめるとするなら、これらのユニークな銀貨の発行に至った経緯、目的とその背景と、幕末期におけるこの銀貨を巡る諸外国との条約締結交渉の成り行きの二つが中心となっています。

 ちなみに、この本を読むための前提事項として理解しておくべきことが一点だけあると思います。それは南鐐二朱銀が発行される以前、日本国内に流通していた三種類の貨幣、すなわち金貨(=小判)、銀貨、銅貨(=銭)は、それぞれ独立の価値単位を持った別々の通貨であったということです。金銀銅貨それぞれの交換相場は時代によって変動しました。だからこそ両替商という商人が登場し繁栄したわけです。現代では世界中どこの国に行っても一国あたり一通貨が当たり前ですが、当時は三種類の異なる単位を持つ通貨を国内で使い分けていたのです。これは金銀銅を実際に貨幣に使用していた時代、日本だけではなく世界中どこでも同じだったと思われます。ここに、徳川幕府が事情が加わって独自のユニークな政策を思いつく土壌があったようです。

 そして、これらの主題とは別にこの本を読み終わって一つ感心したことがあります。それはいわゆる徳川家は意外にお金持ちであったことです。時代によって波はあるものの百万両単位の余剰資金を持っていることは珍しくありませんでした。それでも江戸中期から後期にかけては、国を運営していくための財政支出に汲々としながらも、諸国の大名家の多くが陥った破産状態とは違って、徳川幕府(=政府)は無借金運営を貫きました。その結果、幕府倒壊がするまでの260年間、徳川家の家臣たる旗本、御家人8万人に対する禄(=給料)の支払いに関し、お借り上げ(=減給)も遅配も欠配もしなかったと言うのはとても意外に思えました。

 もちろんそのツケを払わされたのは諸国大名家や商人達、ひいては農民達であったのかもしれません。政府の財政を守るために、それを支える土台であるべき諸国民を疲弊させていったという点で、やはり徳川幕府の経済政策は根本的に失敗だったと言えるのでしょう。しかし明暦の大火で焼け落ちた江戸城天守閣がその後二度と再建されなかったのは財政難のためと思っていましたが、実はやろうと思えば天守閣を再建する程度の費用は実は徳川家は持っていたようです。しかし遙か戦国時代が過ぎ去った平和な時代において城の天守閣などは無用の長物にすぎません。それより幕府は手元資金を江戸の都市整備や諸国の治水工事、農地開拓に費やし日本の生活向上、経済発展に目を向けそのための政策に追われていたのです。結局、いくらあっても足りないのが一国の財政事情であることは今も昔も変わらないようです。(なのできっと徳川埋蔵金などはないはずです^^;)

 

 おすすめ度:★★★★★(江戸時代もの小説が好きな方には是非お勧めです)

鎌倉河岸捕物控シリーズ:佐伯泰英

橘花の仇―鎌倉河岸捕物控〈1の巻〉 (ハルキ文庫 時代小説文庫)

橘花の仇―鎌倉河岸捕物控〈1の巻〉 (ハルキ文庫 時代小説文庫)

 

 居眠り磐音江戸双紙シリーズや密命シリーズ、あるいは吉原裏同心シリーズなど、文庫書き下ろしの時代小説シリーズで大人気の佐伯泰英さんによる、もう一つの隠れた人気小説がこの「鎌倉河岸捕物控」シリーズです。現時点で計12巻と読本が1冊発行されています。いや、読本が出ているくらいだから”隠れた”人気シリーズということではないかもしれません。今年の夏くらいに本屋さんで1巻と2巻が平積みされているのを発見し「佐伯さんの新シリーズだ!」と思わず買って読み始めたのですが、その2冊は発売されたばかりの”新装巻”であって実は既に旧装巻が12冊も出ていることは後で知りました(^^; もちろんその後こつこつ買い進めて全て読み切りました。

 ちなみに旧装巻で第1巻の「橘花の仇」が発行されたのは2001年のこと。密命シリーズよりは新しく、居眠り磐音シリーズよりは古いと言うことになります。しかし密命シリーズは既に19巻、居眠り磐根シリーズは実に27巻も出ている中にあって、この鎌倉河岸捕物控えシリーズは新作発行のペースがやや遅いほうかと思います。しかしながら他のシリーズものと比べて内容が細かくて凝っていて1巻当たりの文章量はかなり多いようです。

 鎌倉河岸とは江戸城外堀の北東岸、今で言う神田と日本橋と大手町の境目当たり(首都高都心環状線の神田橋JCT/IC付近)にあった古町(江戸開府時からある町)です。現在でも鎌倉橋という名前の交差点が外堀通りに残っています。その付近にあったのが当時幕府の発行する金貨の製造と流通管理を行っていたのが金座。ちなみに金座は明治維新で新政府に接収され、跡地には後に日本銀行本店が建てられました。また、金貨(=小判)以外の銀貨や銭などを製造管理していた場所を”銀座”と呼びます。はい、もちろん今では高級ブランド店が建ち並ぶ繁華街となっているあの銀座のことです。しかし金座が江戸のみにあったのに対し、銀座は江戸をはじめ大阪、京都、長崎など各地にありました。

 このシリーズは金座のあった鎌倉河岸をベースに、その金座と深い関わりを持った町方の御用聞き「金座裏」を中心に据えた捕り物小説です。その主な舞台と登場人物といえば、金座裏の親分である九代目宗五郎とその手下達、酒問屋豊島屋、船宿の綱定など鎌倉河岸の住人達、そして鎌倉河岸からは離れて日本橋の呉服屋松坂屋などの面々。金座裏はじめこれらの商家はみな幕府開闢以来お城のそばに住むために、江戸古町町人と言われ町人でありながら将軍御目見得格をもつ生粋の江戸っ子の血筋です。物語の時代設定はほぼ江戸後期と思われますが、この古町町人というキーワードはシリーズ通して繰り返し出てきます。ちなみに豊島屋と松坂屋は当時から(現在でも)実在する老舗ですが、御用聞きの金座裏というのは佐伯さんによる完全なるフィクションです。

 数多い登場人物の中ではやはり金座裏の親分九代目宗五郎が中心人物なのですが明確な主役というわけではありません。むしろ主役級と言えるのは、鎌倉河岸のむじな長屋で生まれ育った政次、亮吉、彦四郎の幼なじみ同士である三人の若者と言えると思います。中でも特に政次がシリーズ通しての主人公と言えるのでしょう。彼ら三人はいずれも金座裏と深い関わりを持っており、年齢的にはおよそ二十歳くらいの設定でまだまだ社会的には駆け出しの若者です。それに加え故あって両親を失い謎の出生を持ちやはり鎌倉河岸に暮らす、彼らと同年代の女性”しほ”がヒロインとして加わり、磐音シリーズばりの時代物青春ドラマの雰囲気がします。しかしその表に流れる捕物としての物語のストーリーは、時には幕府や武家の政治をも交えたドロドロとして重たい事件ばかり。その点、簡単で分かりやすい勧善懲悪なヒーローものと言うわけではなく、佐伯作品らしからぬ(?)骨太で複雑な構成となっています。

 佐伯さんの作品でちゃんと読んだことがあるのは居眠り磐音江戸双紙シリーズと吉原裏同心シリーズくらいなのですが、両方に共通するのは激動の人生を歩んできた重い過去を持ち、人格と人望と能力に優れた絶対的ヒーローが主人公であること。そしてその彼には完全無欠なヒロインが寄り添い、さらにその二人には権力と金力をもった社会的地位の高いバックが存在することです。そして悪を駆逐していく非常に分かりやすい痛快ストーリーが展開されます。磐音はそのうち将軍になるのではないかと思えるくらいの派手さを持っています。そしてもちろんこの鎌倉河岸シリーズでもやはりご多分に漏れず、誰からも尊敬され慕われるヒーロー&ヒロインが登場します。

 そのヒーロー役を担っているのは上にも書いたとおり、むじな長屋出身の三人組の一人である政次なのですが、私にはどうもその人物像がどうもしっくり来ませんでした。それは彼には坂崎磐音や神守幹二郎のような、ヒーローになり得る力を養うこととなった重い過去が無いからかと思います。生まれつきの才能でもって何事も如才なくこなし、非常に物静かで真面目で奥ゆかしい政次に対し「どうもいけ好かない奴だな…」という感情を抱いてしまうのは、私が捻くれているからなのでしょうか。そんな彼を手放しで褒めちぎる周囲の人々。どうも納得がいきません。

 しかし、物語が進むにつれて政次という人間にだんだんと厚みが出てきたようです。物語とともにキャラクターができあがっていくというのはなかなか面白いことです。もしかしたら佐伯さんも彼をどう位置づけるか書き始めた当初は定まっていなかったのかな?と、想像してしまいます。

 むしろ人間像として魅力があるのは、政次の幼なじみの亮吉の方です。独楽鼠との異名を持つほど身軽で、何事にも前向きでいつも陽気で、欲を隠すことなく正直で、それでいて心優しく繊細な面を持ち、人の上に立つような人望を持たず特別な才能もない凡人で、欠点も沢山ありながらそれを気にすることなく健気に生きていく亮吉。彼の方がよほど人間味を感じます。口の悪い周囲の人々が何かにつけて亮吉を貶しまくるシーンが繰り返し繰り返し出てくるのですが、それが物語の設定であり、あるいは描かれている江戸っ子達の愛情表現の裏返しと分かっていても、余りにしつこいので「そんなに亮吉のことを悪く言うなよ!」と本気で突っ込みを入れたくなるほどです。

 そんな亮吉ファンたちの声が届いたのか、11巻か12巻になってようやく登場人物達の中にも亮吉という存在の価値を認めるような空気が流れ始めました。がんばれ!亮吉!

 さて、政次や亮吉以外にも三人組のもう一人彦四郎などなど、佐伯さん流の魅力的な登場人物達に溢れています。誰もが多かれ少なかれ曰わくのある過去と心の傷を持ち、それらが上手く絡み合って見事な鎌倉河岸の社会を作り上げています。時代小説では考証も重要ですが誰も見たことのない時代なだけに、その背景の雰囲気作りというのは重要だなとあらためて感じました。磐音シリーズや裏同心シリーズはどちらかというと娯楽重視の痛快ヒーローものに徹している感があり、それはそれでリアリティなどは抜きにとても楽しめる小説なのですが、この鎌倉河岸シリーズはそれらとは少し違った雰囲気を持ち、非常に手が込んでいて良い意味のリアリティを感じるシリーズものとなっています。

 先日12巻を読み終えてすぐに本屋さんへ続きを買いに行ったのですが、どうしても13巻が見つかりません。あれ?困ったな… と一瞬うろたえたところで、12巻が最新刊であることにようやく気がつきました。シリーズ初期は半年に1巻ペースで発売されていたようですが、ここ最近は新作発売までに10ヶ月くらいのインターバルがかかっているようです。執筆中のシリーズものが増えてきたせいでしょうか。12巻「冬の蜉蝣」は今年の5月発行でしたので、次は来年の春くらいになりそうです。

 ちなみに佐伯さんの小説では、人気が出てきてシリーズがある程度進むと、登場人物や舞台となる場所を整理したり裏事情などが書かれた「読本」が発売されるのも特徴なのですが、この鎌倉河岸シリーズにも11巻が発行された後で読本が発売されました。それはまだ買っていません。いずれにしても新作発売が待ち遠しいシリーズものがまた一つ増えました。

 おすすめ度:★★★★☆

お腹召しませ:浅田次郎

お腹召しませ (中公文庫)

お腹召しませ (中公文庫)

 

 「五郎治殿御始末」に続く浅田次郎氏の幕末もの短編集を読みました。こちらの本は「五郎治殿御始末」に収められた物語とは少し違っていて、明治維新の大変革に翻弄されてしまった武士というよりは、変化していく世の中をもう少し遠くから眺めている感じがします。武士としての自分の社会的立場というよりは、もっとそれぞれの主人公達の私生活というか、心の内側の物語というか何というか。そのせいか、前作ほど”号泣度”は高くありません。浅田次郎作品として読むとその辺が少し物足りないかも知れません。

 ただ、この本に収められた物語の語り口で特徴的なのは、作者たる浅田次郎氏の言葉でそれぞれ前書き、後書きに相当する一節が付け加えられていることです。そこには各物語を書くきっかけとなったエピソードが語られています。前作のタイトルナンバー「五郎治殿御始末」もそうでしたが、これらの物語は浅田次郎氏の幼少期と祖父から伝え聞いた明治維新の頃の伝説がベースとなっているようです。そして時々思うのですが、時代小説と言ってもそう遠くない昔の人間の、しかも日本人の物語ですので、時代背景を変えれば現代物小説としても成り立つものが少なくありません。浅田氏はその逆の発想で、現代に起きている様々なちょっとした出来事(=ドラマ)を時代小説、とりわけ幕末に置き換えてみたりしています。

 第一話はいきなりタイトルナンバーとなる「お腹召しませ」です。タイトルがストレートに伝えてくるようにとある武士が切腹に追い込まれていく物語です。しかしそこには何故か「命を賭けた忠義」みたいな、ありがちな武士の美談のような悲壮感がありません。幕末という時代を迎え武士が形骸化しきった世の中で、それでも「お腹召しませ」と言われてしまう一家の主のドタバタ物語です。コメディ的でさえあります。前作の感想分で引用した文章のように現代人の考える「サムライ」像というのはかなりの部分誤解されていると言うのが浅野氏の持論です。この物語はある意味その誤解を解くべく彼の考える本物の武士像を表した物語です。

 第二話は「大手三之御門御与力様失踪事件之顛末」という長いタイトルの物語。状況説明はほとんどこのタイトルでされてしまっています。失踪事件であるからにはこれはミステリー小説でもあります。なので粗筋の説明は極力やめておきましょう。浅田氏による解説によると、これは携帯電話やメールに束縛された現代人の息苦しい生活からの脱出願望を書き表した物語だそうです。説明の中では「不在の自由」という言葉が使われています。ともすれば休日でも仕事のメールを読むことを当然とされてしまう社会…。確かに不健全です。が、実は携帯電話のない江戸末期でも武士達にとっては状況は同じでした。

 第三話の「安芸守様御難事」は、江戸時代の徳川幕府政権下において、前田(加賀)、島津(薩摩)、伊達(仙台)に続く大藩であった広島藩は浅野本家の十四代当主、浅野長勲の物語。時代はもちろんもうすぐ明治維新を迎えようという幕末。水野忠邦が幕府老中として政治の実権を握っていた時代です。本家主流の血縁を持たず大名家当主となるべき英才教育を受けてこなかった歳若い殿様の気苦労。自分の発する一言の過不足によって家来の命が左右されかねないことにいちいち気を遣い、主としての威厳を保つために一挙手一投足に神経をとがらす殿様。訳も分からぬまま「斜籠」という大名家秘密の儀式を行うこととなった浅野家の殿様の苦労を、現代の雇われサラリーマン社長の姿に重ねた物語です。

 第四話の「女敵討」は、これもタイトルが表すとおりの物語です。ぶっちゃけて言えばいわゆる不倫の話。こういう男女間の色恋沙汰は現代にも負けず劣らず大昔からあるわけで特別なことではありませんが、それが武家の中で起こると少しややこしい事情が生まれます。この物語は不義を働いた妻とその相手を成敗し武士としての面目を保つ… という単純なものではありません。妻の不倫を機に「なぜ?なぜ?」と思いを巡らす男とその妻と、その周辺を囲む人々の心の内の物語です。現代からは「貞」という文字の意味するところが失われてしまったのではないか?と考えた浅田氏の空想から生まれたものだそうです。

 第五話は「江戸残念考」は浅田氏お得意の”薩摩の芋侍”に占領された幕末の江戸に取り残された御家人達の物語です。明治維新に当たって彼らに残された道は、駿府へ落ちた徳川家について江戸を出て行くか、薩摩・長州の新政府に寝返るか、脱走し上野の山に籠城して命を落とすか、武士としての過去を捨てて町民として生きていくか、のどれかでした。いずれにしても彼らにとっては「残念」なことばかり。何をするにも「残念無念」しか口に出てこない彼らの陰鬱とした生活。なお、この物語の主人公の名は「浅田次郎左右衛門」です。浅田氏が自分の先祖を思って書いた物語だと言うことはこの主人公への命名からして明らかです。その思いは物語を締めくくる次の言葉に集約されているようです。

 

二百六十年もの甲羅を経て、今や恃む主とてなく、この身は既に武士か御家人かもわからぬが、少なくとも江戸っ子に違いはないと、次郎左右衛門は得心した。

 

 第六話の「御鷹狩」は読んでいてどんよりと心が重くなる苦しい物語でした。御鷹狩とはもちろん将軍家を始め諸大名の当主だけに許された狩りであり、軍事訓練の側面もありましたが、それよりはむしろスポーツというか遊び的な意味合いが大きかったようです。で、もちろん明治維新を経て御鷹狩りという風習は急激に衰退しました。しかし、この物語はそんな大名達の御鷹狩りそのものに関係した内容ではありません。この物語は御家人の家に生まれ、子供から大人へと成長しつつある思春期に明治維新という社会の大変革を迎えた少年達の物語です。当然そうなると思っていた自分たちの将来が突然崩れ去り、将来が見えない不安にさいなまれる少年達。ただでさえ難しい年頃の中で自分自身では処置しきれない難題を抱えてしまった苦悩は計り知れないものがあります。

 これら六編の物語の最後にこの本全体に対する作者による後書きとして「跋記」という短い文章が付け足されています。それによると時代小説というのは歴史と文章の両立が非常に難しいと書かれています。史実を忠実になぞると小説的なおもしろさが失われ、小説的な表現を優先すると時代考証に反すると。これは時代小説(あるいはドラマ、映画)にとっての永遠のジレンマだと思われます。そこをいかに上手くまとめるか。浅田氏自身、この短編集の中でいくつか小説的表現を優先して史実に反する部分があることを具体的な例を挙げて告白しています。

 読み手としては細かいことを知らずとも、そういうことは織り込んで時代小説を読まなくてはなりません。しかし、史実との整合性はともかく、そこに描かれている江戸時代あるいはそれ以前の時代の「空気感」というものにリアリティがなくてはならないと私は個人的に思います。もちろん、江戸時代というのは厳しい封建社会で、抑圧され飢えに苦しむ人々も多く、民主的でもなく平等もなく前近代的な世の中でした。でも一般に思われているほど、暗く抑圧された貧しい世界ではなかったと思います。むしろ江戸に限って言えば非常に自由で緩く華やかで豊かな町だったと思えてきます。

 浅田氏始め、私の好きな作家さんの書く時代小説は、全てそんなリアリティのある空気感を持っています。いかに細かいディテールで事実に反する演出が為されていようと、物語全体が伝える空気は恐らく本物だろうと思います。その雰囲気を感じることが私が時代小説を好きになった大きな理由の一つだと思っています。

 ところで、この本の解説は珍しいことに経済学者であり政治家でもあった竹中平蔵氏が書いています。が、あまり面白くありません(^^; この本に収められた物語やその背景についての解説ではなく、浅田次郎氏考に徹しているからかもしれません。それは本人が書く以上に面白みも説得力もあるわけがありません。

 おすすめ度:★★★★★