世話焼き長屋:池波正太郎ほか

世話焼き長屋―人情時代小説傑作選 (新潮文庫)

世話焼き長屋―人情時代小説傑作選 (新潮文庫)

 

 昨年の夏に発行された人気作家による短編時代小説集「親不孝長屋」に続く長屋ものアンソロジー第二弾です。ちなみに前作も今作も選者は縄田一男さんという文芸評論家です。今回収録された五編の小説の作家は、池波正太郎さんが被っているだけで、他の四編は新登場です。といってもその顔ぶれは蒼々たるメンバー。特に宇江佐真理さんと北原亞以子さん(二人とも一発で変換できた!ATOK2008すげー!)の名前を見つけては買わずにはいられません。その他、乙川優三郎さんと村上元三さんの作品が収められています。この二人の作家の時代小説を読むのは初めてです。

 長屋シリーズということで基本的に江戸の市井ものばかり。もちろん町民ばかりではなく武家屋敷にも長屋はあったので武士も出てきます。そして前回の「親不孝」に続き今回は「世話焼き」がテーマ。親不孝が親子の物語であるとすれば、世話焼きとは他人同士の物語。単なる集合住宅というよりは、長屋そのものが共同生活を送る一つの大家族であった当時の生活様式からすれば、他人同士の世話焼きこそが長屋の長屋たる所以でもあるわけです。

 というわけで、以下に各五編をざっとかいつまんで紹介と感想などを・・・。

○お千代:池波正太郎

 猫のお千代と暮らす雇われ大工の松五郎。重い腰を上げてやっと女房をもらったものの、お千代への溺愛は変わりません。女房はもちろんお千代に嫉妬するわけですが、お千代も嫉妬では負けていません。猫と女房の陰湿な戦いは思いもかけぬ大事件へと発展します。女房とお千代だったらお千代を取ると宣言して憚らない松五郎化け猫に取り憑かれているのか? 人間対猫の戦いの結末は如何に? 大工の棟梁はじめ長屋の住人も巻き込んでのどろどろしてくる一方の物語が、一転すっきりと爽快な結末を迎えます。猫を題材にしてるということでユーモラスでもあり不気味でもあり。しかしなぜかじんわりと心暖まる読後感の一遍です。

○浮かれ節:宇江佐真理

 江戸時代末期に都々逸扇歌によって広まり江戸の町人に大人気を博した都々逸を題材に、江戸時代から日本に根付いた民間演芸の世界を描いた物語。端唄を趣味とする貧乏御家人を主人公とし、当時の江戸の演芸の粋な世界と、幕末を迎えようとする貧乏御家人の苦しい生活を実に見事に織り交ぜた一遍です。編者の解説にもありますが、この物語が讃えるのはプロである都々逸扇歌の謡ではなく、お寺の工事現場に流れるごく普通の大工や職人や御家人たちの謡です。演芸というのは常に庶民の生活を背景としてその上で初めて輝くものなのだということを、とても情感豊かでさわやかに表現されています。さすが、宇江佐節全開。

○小田原鰹:乙川優三郎

 この物語こそが「世話焼き長屋」のタイトルにもっともふさわしい一遍と言えそうです。怠け者で自分本位で我が儘し放題のある男。自らのぱっとしない境遇に、自分を省みることなく常に他人や世間にせいにして生きてきました。ある意味もっとも長屋の共同生活になじまない人間です。他人を憎み人との関わり合いを避けながら生きていくことのできない江戸の町の中で彼がたどる末路とは… しみじみとしてため息が出るような結末を迎えます。何というか、映画や小説のストーリーとしてはすごく定番のありふれた構成だとは思うのですが、それでも江戸の長屋の生活感を見事にあぶり出した物語には素直に感動できます。さて、タイトルの小田原鰹とは何なのか? 当時の風俗を知る上でのちょっとしたトリビア(死語?)も折り混ざっています。

○証:北原亞以子

 宇江佐真理さんとともに私がもっとも期待していたのがこの北原亞以子さんの一遍。タイトルからして非常に潔くて切れがあります。これだけで北原ファンとしてはゾクゾクわくわくしてきます(A^^; 江戸と深川/本所を隔てる大川(隅田川)の川開きの行事として行われた花火の夜に出会った男と女の物語です。これもまた悲劇的物語としてはありふれたプロットでありながら、文章から伝わってくるまるでその場にいるかのような空気感というか、人の心の揺れ動きの表現は見事しかいいようがありません。そして同じ長屋に住む近所の主婦の最後の言葉こそが「世話焼き長屋」そのものです。まるでこの短編集のために書かれた物語のようなきれいな落ちは、やはりハードボイルドな北原さんならでは。

○骨折り和助:村上元三

 最後が時代小説の巨匠の作品。でも私は村上元三の他の小説を読んだことがありません。編者の解説によると登場人物の一人が村上元三ファンならばピンと来る人物らしいのですが、当然私には分かりません。分からなくても物語を楽しむ上では問題ないようです。でもそういわれるとちょっと損した気分ですけど。全体としては人の善意と誠意に重きをおいた物語です。町人たちの長屋には欠かせないモノであり、そして必ず存在したものでもあります。ところで物語の背景に一つの謎の事件が流れていくのですが、その落ちが今ひとつ私には分かりませんでした。う~む。


 江戸時代の人々の暮らしぶりは現代の常識の尺度とは大きくかけ離れた部分が多くとても興味深いものです。徳川家を頂点とした封建制度の世の中には平等や人権といった考え方からすれば理不尽なこともいっぱいあったわけですが、それでも社会の底辺に位置する一般町人たちの暮らしが結構豊かで余裕があったことが感じられます。それは、武士社会が「家」を中心とした大家族的な全体主義であるのと同じように、江戸の町人たちの世界においても長屋を始め近隣町内が一つの大家族と言えるような共同生活のシステムが構築されていたことと無関係ではありません。貧乏人同士お互いに世話を焼きあうのはそうせざるを得ないからであり、いくらかの資産を持ったものは町内の顔役として他人の面倒をみのも社会をうまく回すためにそれが必要だったからです。そこには、一人一人が豊かで自由になって徹底した個人主義を突っ走る現代と比べると、実は遙かに強固で底の厚い世の中だったことが伺えます。

 江戸市井ものの時代小説を読み続けながら何となくそんなこと考えていたことですが、この本を読んで改めてそんなことを思い出してしまいました。

 aisbn:4101397252おすすめ度:★★★★☆

佐渡流人行:松本清張

佐渡流人行―傑作短編集〈4〉 (新潮文庫)

佐渡流人行―傑作短編集〈4〉 (新潮文庫)

 

 松本清張氏といえば未だにTVドラマがリバイバル制作されるほどの優れたサスペンスドラマを数多く生み出した作家として有名です。そんな氏が実は時代小説もいくつか書いていたことを知ったのは、有名作家による長屋をテーマにした時代小説ばかりを集めたオムニバス「親不孝長屋」を読んだときでした。この本の中に「左の腕」というタイトルの松本清張氏の作品が収められていたのです。

 その短編の印象が強く残っていたので本屋さんで松本清張氏の時代小説を探してみました。ずらっと並ぶたくさんの作品の中から探し出すのは大変です。が、時代小説ならタイトルでそれと分かるものがあるはず。期待通りにすぐに目にとまったのがこの本でした。松本清張氏の短編を集めたシリーズの第四巻として発行されたもので、ちなみに第三巻の「西郷札」も短編時代小説集です。

 さてこの本ですが、文庫版で約480ページほどの中に11編の短編小説が収められています。一つ一つの物語は意外に短いものばかり。電車の中で読み切るにはちょうどですが、さすが松本清張氏だけあって、物語はそんなに飲み込みやすい軽いものではありません。短いはずなのに一編読み終わると、かなり長い物語を読み切ったかのような錯覚に陥ります。

 ここに収録されている11編は大きく3つのグループというか分野に分けられます。まず1つめは「信長を取り巻く戦国武将もの」。出だしの「腹中の敵」は丹羽長秀、第三話の「戦国謀略」は毛利元就、第四話の「ひとりの武将」は佐々内蔵助、第六話の「陰謀将軍」は室町幕府最後の将軍、足利義昭の物語です。これらの武将たちは全員16世紀の戦国時代を生きた武士たちで、織田信長と少なからず関わりのあった人々ばかり。信長を取り巻く各武将たちの事情を通して、戦国時代をほとんど知らない私にも、その時代の複雑な政治体制と危うい勢力図がおぼろげに見えてきます。

 個人的には佐々内蔵助の物語が印象に残りました。彼は徳川家康に緊急の会見を求めるために、富山から三河へと冬の北アルプス越えを敢行しました。これは「さらさら越え」と呼ばれて記録に残っているそうですが、今の時代ならいざ知らず、16世紀には北アルプスを越えて北陸から信州あるいは東海地方へ抜ける街道など存在しません。しかも真冬となるとなおさらです。敵を欺くために時間制限のある中で来たアルプス越え(しかも往復!)に命をかけた彼の物語は非常に心に残りました。

 そしてこれらの戦国武将ものに付随して、第二話の「秀頼走路」と第八話の「甲府勤番」という物語も収録されています。秀頼は言わずとしれた豊臣秀頼のこと。戦国時代の終焉とともに歴史から去った人です。そして「甲府勤番」は物語自体は江戸時代を舞台にしていますが、そのテーマは戦国時代の武将のひとり、武田信玄に関わる物語です。そういう意味で、この二話も戦国時代物と言えると思います。

 短編とはいえ、これだけ多方面から戦国時代を眺めた小説を残しているからには、松本清張氏はこの時代のことがとても好きだったに違いありません。後年、かなり歳を取ってからも「信玄戦旗」という長編時代小説を書いているくらいですから。

 そして2つめは「流人もの」です。この短編集のタイトルにもなっている第七話の「佐渡流人行」をはじめとして、第五話の「いびき」、そして第九話の「流人騒ぎ」はいずれも江戸で犯罪を犯し、八丈島や三宅島、あるいは佐渡に流されていく罪人の物語です。島流しは江戸時代を舞台にした捕り物小説でよく出てくる刑罰ですが、実際に島に流されていった罪人と、その島での生活を中心にした小説は意外に多くありません。流刑のシステムと島での生活の詳細はなかなか興味深いものがあります。もちろん、小説的にはそんなディテールをベースに松本清張氏らしいサスペンスが展開されていきます。

 江戸時代の佐渡は伊豆諸島のような明確な流刑地とは異なります。江戸幕府の経済を支えた佐渡金山は当時の日本の鉱山開発技術の粋を尽くした最先端の金鉱山でした。坑道を掘り進めたり、金鉱石を採集するのは職人(技術者)の仕事でしたが、水くみや鉱石の運び出しなどの力仕事には罪人たちが奴隷のように使われていました。江戸時代中期にはすでに佐渡の金山は採掘量が激減してかなり無理な開発を行っていたようです。成長する経済に対して十分な貨幣を供給できなくなった江戸幕府の経済政策は次第に破綻を来していきます。それは多くの時代小説で触れられています。徳川家の反映も衰退も実は佐渡の金山にすべてのキーがあったのではないかと思えてきます。

 この「佐渡流人行」はそんな時代背景の中に映し出されたサスペンスドラマです。幕府の役人たちの権力争いと人間の欲の果てにあるものとは。佐渡の金山はそんな人間の欲のすべてを映し出す鏡のようです。美しい金を生み出す一方で、脱落した人々の絶望を無情にも飲み込んでいく闇の象徴でもあります。

 そして最後が「市井もの」。最初に紹介した「親不孝長屋」に収録されている「左の腕」はこの本にも第十話として収録されています。これは訳ありな老人が巻き起こすハードボイルド・サスペンス。そして最後に収録されているのが「恐妻の棺」。これは町人ものではなく旗本の家が舞台なのですが、コミカルな雰囲気も漂うその雰囲気はまさに市井ものと言えるでしょう。重い物語が続くこの短編集の中にあって、最後の最後にホッとできる貴重な一編です。

 aisbn:4101109052お勧め度:★★★★☆

誰か Somebody:宮部みゆき

誰か―Somebody (文春文庫)

誰か―Somebody (文春文庫)

 

 宮部みゆきさん作の現代物です。文庫本の最新刊として1月から本屋さんの目立つところに平積みされていました。これが時代物なら迷わず買うのですが、現代物と言うことでやや躊躇して、何度か買おうか買うまいか悩んだ末に結局買ってみることに。彼女の現代物は「模倣犯」以来。それ以前、時代小説にはまる前には「火車」とか「理由」とか「レベル7」とか新旧いろいろ読んだことがあります。この小説はやはり「模倣犯」のあとに執筆されたものだそうで、宮部みゆきさんが押しも押されぬ大人気作家になってから手がけたとのこと。さて、どんなものでしょうか?

 もちろんこの小説はミステリーものなので、あらすじや勝手な個人的解釈含め内容に触れるのはやめておきます。とりあえず文庫本の背表紙に書かれた範囲内で背景を紹介するとすれば… 主人公は杉村三郎。縁あって勤める会社のオーナーの個人運転手をしていた男の不振な事故死の調査をすることに。あとに残された二人の娘との関わり合いの中から、事故死した一見するとごく普通の平凡な人生を送ってきたかのような男の過去に隠された暗い闇を覗き込み、真相を探るためにどんどんと嵌り込んでいく… といった感じの物語です。

 読み始めてしばらくして感じたのは、文章がとても綺麗だと言うことです。いや、綺麗というのとは違うかもしれませんが、とにかく流れるような言葉のつながりはすらすらと読める上に、特に理解しようと努力することなくどんどん頭の中に入り込んでくる感じ。語り口は主人公である杉村三郎の視点にしっかりと固定され、最後まで全くぶれません。そして彼が見たもの、聞いたもの、感じたことが実に自然に表現されています。背景を説明されている意識はないまま、彼を取り巻く人間関係、とりわけ彼自身の置かれた微妙な立場、そして折り合いの付け方などがしっくりと頭の中に入り込んできます。そして彼の目線を通して、いったいどんなミステリーが展開していくのか…。久々に先が気になって気になって仕方がない小説でした。

 しかし、読み終わった結論から言うと、私としては正直なところ期待はずれ… でした。ミステリーとしての深さが足りないというか、明らかになった真相は「ふーん、そんなことだったのか」の域を出ないというか。そして、そのミステリー部分の紐のほどけ方もイマイチ。意外性をつくという点では確かに前半からは思いもよらない方向へ話が急展開するのですが、見事な文章で想像がふくらんでしまった私の頭の中からすると、ふたを開けてみればスケールはものすごく小さくて、深いと思っていた闇がものすごい浅瀬だったというがっかり感があります。とにかくスッキリしない読後感です。

 それからもう一つ、最後のクライマックスで主人公の杉村三郎が”品性のかけらもなく卑しい唾棄すべき人間”と評した人物の言葉に「一理ある」と感じてしまいました。杉村三郎のように相手を殴りたい衝動に駆られることもなく「う~ん、そういう考え方もあるか・・・」と図らずも悩んでしまった私の品性はどうなんだろう? ちなみにその言葉を(落ちが分からないように)意訳すると、

「騙されてることを知っていながら知らん顔するのは騙すこととどう違うのか?」

「私にはそういう根性とか戦略性というのはない。もっと生身の人間なんで目先の感情に振り回されてその場しのぎを繰り返すんです。」

 以上二言。ドッキリしました。しませんか? しませんよね。というか意味分からんですね(A^^;

 ということで、どうも最近現代物小説と相性が良くありません。最近ハードカバーで発行された宮部みゆきさんの最新刊「楽園」は「模倣犯」の直接的な流れを汲む作品らしく気になるのですが。でもやっぱり時代小説の新作が読みたいです。茂七親分の活躍する時代物の続編はもうでないのでしょうか。

 aisbn:4167549069お勧め度:★★★☆☆

虹の刺客:森村誠一

虹の刺客(下) 小説・伊達騒動 (講談社文庫)

虹の刺客(下) 小説・伊達騒動 (講談社文庫)

 

 江戸時代初頭に仙台藩62万石を巡って発生した伊達家中のお家騒動、いわゆる伊達騒動を題材として扱った時代小説です。伊達騒動とは藩主の仙台藩内部の権力利権争いに端を発すると同時に、時の徳川幕府内部の権力闘争をも巻き込んだ江戸時代の政治的大事件の一つです。この事件の背景と経緯、決着の付き方は非常にドラマチックなため、伊達騒動を題材にした歌舞伎や小説は非常にたくさんあるようです。その中でも一番有名なのは山本周五郎作の「樅ノ木は残った」でしょう。そのあまりの完成度に昭和30年代にこの小説が発表されて以降、伊達騒動を取り上げた作品は新たに書かれることはありませんでした。この森村誠一氏の「虹の刺客」が発表されるまでは。

 伊達騒動の公式な記録としては、時の幕府大老である酒井忠清の庇護を受けた一ノ関藩主伊達兵部が伊達宗家四代藩主亀千代が幼少であるところにつけ込んで伊達家の乗っ取りを謀り、それを阻止しようとした伊達安芸らと激しく対立した末、とうとう幕府老中による裁判により調停が行われることとなり、その裁判の場において激高乱心した伊達家老中原田甲斐が伊達安芸ら反兵部派の伊達家幹部に対し刃傷に及び、紛争当事者が亡くなったため裁判そのものが無効となり、伊達家のお家騒動は無かったこととして決着がついた、というものです。

 伊達兵部が伊達家を私物化し圧政を行って藩に害をなした人物であるのは動かしがたいとして、幕府裁定の現場にて兵部を告発した伊達安芸らを斬った原田甲斐が歴史上希有なまでの逆臣であるという、幕府と伊達家が下した結論には裏があると言われています。なぜならば、原田甲斐が刃傷に及び対立していた伊達家幹部らがことごとく命を落としたことによって、結果的に伊達家は幕府から何の処分も受けることなくそのまま生き残ることができたからです。結果的に原田甲斐は自らを含む伊達家幹部らの命を奪うことによって伊達家の存続を成し遂げたわけです。この騒動が小説になるに当たってのポイントは、果たして原田甲斐はそれを分かっていてやったのか?と言う点。

 山本周五郎の「樅ノ木は残った」はこの原田甲斐という人物を非常に思慮深くて忠義に篤く、常に伊達家の将来に渡る安泰を第一に考えていた忠臣として描かれていましたが、この「虹の刺客」では原田甲斐は心の中に獣を飼う非常に激しい気性の持ち主で、自分独自の野望を実現するため兵部派でも亀千代派でもない第三の勢力を狙い、その実現のためには手段を選ばない冷酷さと周到さを持った人物とされています。「樅ノ木は残った」でも原田甲斐は時折山に籠もって猟をし、その時間が一番充実しているという姿が表現されていました。これは原田甲斐の性格の一面を表したシーンだと思われます。

 原田甲斐には幼少の頃に猫を焼き殺したというエピソードがあり、原田家の先代は甲斐に原田家を継がせることを心配していたということからも、原田甲斐という人物像にはそういう気性の激しさがあったことは事実なのだと思います。

 しかしそんな性格とは裏腹に、家中においては昼行灯と呼ばれるほど静かで目立たない存在として振る舞い、兵部派と亀千代派が繰り広げる家中騒動から距離を置いていたその行動などからは、自分の野望を実現するためと言うよりも、状況を大局的に理解し伊達家存続の危機を誰よりも心配し、その具体的な脅威を誰よりも早くに察知して、伊達家の安泰を保つために行動していたという姿が浮かび上がってきます。自身の野望も伊達家あってのこと。当時の武家社会の中では”家”がなくなっては野望も権力も武士の矜持も何もあった者ではありません。その点、伊達家の存続自体を危機に追い込んだのは伊達兵部のみならず、正義を訴えていた藩主亀千代派の伊達安芸らも同罪の逆臣であると言えます。

 伊達騒動のクライマックスはもちろん幕府老中裁定の場における刃傷事件ですが、原田甲斐が犯人とされる公式記録に対しこの小説は別の説を取っています。この部分の基本的解釈は「樅ノ木は残った」と同じです。原田甲斐が伊達家を守ることを第一に考えていたとするなら、ここは本当に原田甲斐が自らの命を犠牲にして敢えて安芸らに対し刃傷に至ったとしても筋は通りそうな気がします。この期に及んで伊達家を救うにははそれしか手がなかったのだとすればなおさらです。

 が、この点は解釈が難しいところです。原田甲斐をそこまで追い詰めたのは単なる伊達家中のお家騒動だけではなく、もっと幕府の権力闘争というもっと大きな力がこの事件には働いていたためと見られています。だとすると、伊達家のお家騒動が老中によって裁定されてしまっては害が及ぶ可能性があったのは何も伊達家だけではなかったと。すなわち、伊達騒動とは伊達藩の一介の老中に過ぎない原田甲斐と幕府の最高権力者たる大老酒井忠清の対決であったと。これが単なる小説的演出なのか、一つの歴史解釈なのかは分かりません。しかし、小さな善が巨悪に立ち向かう物語は非常に感動的です。

 いずれにしても斬り立てられて命を落とす瞬間の原田甲斐が「これで伊達家は安泰…」と壮絶ながらも穏やかに死んでいく瞬間。この場面には赤穂浪士の物語のクライマックスと同じくらいのインパクトがあります。美しくも矛盾だらけの武士の忠義…。正義のためには伊達家をも犠牲にするという伊達安芸らの幕府への直訴は、藩があってこその武士社会の中にあって、正論でありながら矛盾を抱えていました。それと同じように、伊達家のためには自らの命を犠牲にすると言う武士の忠義もやはり大きな矛盾を抱えています。自らの命あって忠義なのですから。しかし、そんな大きな矛盾を抱えているからこそこういった武士の忠臣の物語は強く胸に響くものがあるのだとも言えます。忠臣蔵が語り継がれてきたのも同じ理由でしょう。

 「樅ノ木は残った」と違ってこの小説は原田甲斐の刃傷事件で終わりを迎えません。後半の1/4は伊達兵部のバックにいたと言われる時の大老酒井忠清のその後の物語が中心です。実はこの小説は酒井忠清こそが主人公だったのではないかと思わせるラストに向けて。

 酒井忠清は四代将軍家綱の寵愛を受けて徳川幕府の事実上の権力者となったものの、トップまで上り詰めた者の常として、権力に固執し転落をおそれて悪政に手を染めていきます。その一つの結果がこの伊達騒動だったと。宿敵原田甲斐亡き後の彼はどのような顛末をたどったのでしょうか?「虹の刺客」とはいったい何者で、誰が誰に向けて放った刺客なのか? ここはもちろん小説的脚色かと思いますが、非常にうまいストーリーだと思います。

 そしてこの小説のほとんど最後の方に「権力の輪廻」という章があります。その言葉の通り、権力とその腐敗はいつの時代も輪廻するものです。四代将軍家綱の時代には酒井忠清、五代綱吉の時代には柳沢吉保、その後は間部詮房田沼意次松平定信、水野忠成・・・と、最初は旧政権に対し改革者として登場し、旧政権を打ち倒しそして権力の座について保身を謀り、悪政腐敗へと流れ、次の世代の改革派に失脚させられる…。江戸時代は常にこの繰り返しでした。いや、今でもそうなのかもしれません。伊達騒動と原田甲斐を含むその犠牲者たちもこの権力の輪廻に巻き込まれ踏みつぶされていった人々に過ぎません。そしてそれ以前もその後も、同じような権力闘争による犠牲者は繰り返し繰り返し発生しているのです。これがこの小説の結論と言えるのでしょう。原田甲斐の英雄的側面を讃えると同時にその無力さ無意味さをも語っている何ともやるせない読後感を持ってしまう小説でした。

 なお、山本周五郎の「樅ノ木は残った」とこの森村誠一の「虹の刺客」を比べてみると、非常に美しい文章で物語として綺麗なのは「樅ノ木は残った」ですが、よりこの事件を深く掘り下げて大きな物語に仕立て上げられ、どことなくドキュメンタリー風で説得力を持つのは「虹の刺客」だと感じました。どちらか片方でも読んだことあるならば、もう片方も読んでみることをお勧めします(^^;

 aisbn:4062758962お勧め度:★★★★☆