酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

会津若松で七日町通りを散策し飯盛山で白虎隊の悲劇に思いを馳せる

 会津若松城編からの続きです。お城を後にするとちょうどお昼ごはんの時間帯だったので、食べるところを探しつつ市内を散歩することに。ネットで調べてみると会津若松市内にはレトロな建物が残る七日町通りというところに面白そうなお店が並んでいると言うことで、散歩がてら行ってみることにしました。

 そしてお昼ごはんを食べた後、会津若松城を見学していて俄然気になってきた飯盛山を訪ねてみることにします。飯盛山に何があるかと言えば、戊辰戦争最大の悲劇とも言える白虎隊二番隊が自刃した地です。

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 ということで、会津若松城→七日町→飯盛山というコースは、会津若松観光半日コースのモデルのようなベタなものですが、初めてであればやはりどうしても抑えておきたいところ。十分に楽しめます。と言うことでまずは七日町通りへ行ってみましょう。

七日町通り

 ここは古くから日光街道、越後街道、米沢街道が交差する交通の要衝として栄えてきた城下町です。時代が進むにつれて寂れていったそうですが、そのおかげで残った古い建物を利用して、レトロな町として観光客集めに力を入れてるそうです。

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 で、実際のところこんな風情のあるお店がたくさん並んでいます。上の写真の「満田屋」は看板にある通り炭焼き味噌田楽のお店。それだけでなく手絞りの植物油も売っています。身近なところではドレッシングとかごま油などもあるので、お土産にもぴったり。

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 そしてこちらは日本酒の会津中将の蔵本である鶴之絵酒造です。酒蔵のシンボルである杉玉がすぐ触れそうなところにぶら下がっていました。会津地方と言えば新潟と並んでお酒の名産地ですから、酒蔵や酒屋さんやは他にもたくさん並んでいました。試飲してみたいところですが車なので我慢我慢。

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 酒蔵と言えば、七日町からは少し離れていて、むしろ会津若松城に近いところに宮泉酒造の大きな醸造所兼即売所があります。ここは

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 この建物はかなり巨大なので、会津若松観光パンフレットのイメージ写真に使われていたりするのですが、上手く撮るのは難しい...。

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 他にもこんな蔵を改造したかのような永山陶器店とか、

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 大正から昭和初期ともなると、木造だけでなくコンクリート製の建物もあります。

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 このお店、今は「バンダイスポーツ」というスポーツ用品店ですが、ビルのアーチに書かれているローマ字は「TSUKAHARA GOFUKUTEN. LTD」です。つまり、その昔は呉服屋さんだったようですね。

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 街角には赤べこもいました。

 ということで、七日町は意外に散歩コースとして面白いところでした。街並みを楽しむだけでも良いですし、お土産を探してお店を見て回ったり、それから美味しそうな食べ物屋さんも並んでいるので、食べ歩きしていても飽きません。電車で来るなら酒蔵を巡って日本酒を試飲しまくり買いまくりしても良いかも。

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 そう言えばお腹が空いていたんだった、ということでお昼ごはんを食べるお店を探した結果、庶民的にラーメンを食べることにしました。入ったお店は「馬力本願」という名前のラーメン店。馬骨で取ったスープと馬肉チャーシューが売りの辛味噌ラーメンです。

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 一番人気という会津馬味噌馬力ラーメンです。見た目ほどコッテリはしていませんが、我慢できずに最後までスープを飲み干してしまう系です。超美味しかったです。他にも馬刺しや馬刺しユッケなど、魅力的なサイドメニューもあります。


白虎隊自刃の地をお参りする

 次に向かったのは飯盛山です。戊辰戦争と言えば会津若松城の籠城戦もそうですが、同時に白虎隊の悲劇も必ずセットで語られるわけで、その自刃の地を見てきました。

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 場所は会津若松市街の北東に位置する飯盛山の中腹です。折しも雨が強くなってきた中、長い階段を登ってきました。

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 山の上にはこうして白虎隊(正確にはその中の二番隊)の隊士たち19名のお墓があり、周囲にはいくつかの供養塔のようなものが建っています。

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 しかし自刃した現場はお墓のある場所ではなく、さらに少し山奥へ進んだところ。せっかくですから行ってみましょう。

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 ここがその現場のようです。ここから激しい砲火に晒される鶴ヶ城とその城下町の様子を見た、白虎隊二番隊の少年達20名は、絶望して自刃を決意し実行してしまいます。この少年像が眺めている先には鶴ヶ城があります。

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 iPhoneで撮ったこともあってこの写真を見てもどこにお城があるのか分かりづらいと思いますが、中央やや左寄りに緑豊かな城の敷地と、天守の姿が肉眼ではハッキリ見えました。

 ただ、この白虎隊については美談として語られることにはいろいろな意見があります。もちろん、戦争に少年を狩り出し重責を負わせた会津藩のやり方についてもそうですし、忠義の名の下に命を捨てるという考え方、あるいはそこには集団心理というか同調圧力もあったかも知れないと思うと、いろいろ複雑な気持ちになるのですが、それは150年後の現代的な考え方であるのもまた事実。

 実際にはその伝承については誤解されてることも多いようですが、いずれにしても戊辰戦争が生んだ悲劇であることには変わりありません。

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 なおこの飯盛山で自刃した隊士は総勢20名でしたが亡くなったのは19名。1名は瀕死の状態で発見され、その後一命を取り留めました。それが飯沼貞吉で、かれはその後昭和初期まで生き抜き寿命を全うしています。その飯沼の墓も飯盛山にありますが、亡くなった19名の隊士とは少し離れたところにひっそりとあります。

 生前に彼がほとんど白虎隊のことについては話さなかった、と言うのも白虎隊について伝説を生んでいる一因かと思いますが、それが良いことなのか悪いことなのかは別にして、彼のその気持ちについてあれこれ言うことは出来ません。

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 さて飯盛山には白虎隊のお墓だけでなく、それ以前からの古いお寺と神社があります。その中でも有名なのがこのさざえ堂。上りと下りが交差することなく二重らせんを描いたお堂で、その姿は独特です。1796年の建築物で重要文化財に指定されています。

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 このお堂のことは何かで見て知っていましたが、ここにあるとは思っていませんでした。思わず出会えて良かった! 中も拝観料を払うと見ることができるのですが、今回は時間がなかったのでパス。またいずれ訪れたいと思います。

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 そしてもう一つ重要なものがこの飯盛山にはありました。それがこの戸ノ口堰用水。猪苗代湖から会津盆地に水を引くために、長い年月を掛けて開削された用水の、会津盆地への出口部分に当たります。このトンネルは戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊二番隊が通り抜けて逃げてきたと言われています。そしてここから先ほどの飯盛山中腹まで上がって、城の様子を確認したことになります。

 ここには今でも大量の水が流れていましたが、現在でも用水として現役なのでしょうか?

 この頃には会津若松市内もかなり雨が強くなってきました。台風が今夜に可決通過すると言うことで荒れてきそうです。午後3時頃でしたが宿泊地に戻ることにします。往路とは違い石ヶ森山の峠を越えて国道294号線から白河方面へ。いわゆる白河街道と呼ばれていた道で、またもや高速道路は使いませんでした。でもほとんど信号のない田舎道ですし1時間半程度の気持ちよいドライブコースです。晴れていれば...。

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 予報通り台風は夜中の間に過ぎ去り、翌朝敬老の日はモワッとした夏の空気とともに台風一過の青空でした。と言っても最終日は東京に戻るだけでしたが、またお天気の良いときに訪れたいです。福島県内の百名城はあと一つ残っていますし(^^;

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