最近の読書記録:髪結い伊三次と鼠と反知性主義

投稿者: | 2016年6月24日

 ここ3ヶ月ほどすっかり読書記録をつけるのをサボってしまいました。しかし読書をしていなかったわけではなく、それなりにいつものペースで読んでいました。このまま読書カテゴリーをフェードアウトさせるのも勿体無いので、約3か月分まとめてここで記録しておこうと思います。

 この間読んでいたのは宇江佐真理さんの「髪結い伊三次シリーズ」の続きと、赤川次郎さんの「鼠シリーズ」最新刊、そしてやや毛色が変わって森本あんり氏の「反知性主義」といったあたりです。

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 ちなみに最近はすべてKindle版を買ってPaperwhiteで読んでいます。とても便利でもはや紙の本には戻れない、と思う一方で、実感として紙の本を買っていたときより本を読むモチベーションが下がったな、と思います。感想文を書かなくなった理由もその辺にありそうです。何ででしょうね?

さらば深川 - 髪結い伊三次捕物余話 第三巻 / 宇江佐真理

髪結い伊三次捕物余話 さらば深川

髪結い伊三次捕物余話 さらば深川

「この先、何が起ころうと、それはわっちが決めたこと、後悔はしませんのさ」―誤解とすれ違いを乗り越えて、伊三次と縒りを戻した深川芸者のお文。後添えにとの申し出を袖にされた材木商・伊勢屋忠兵衛の男の嫉妬が事件を招き、お文の家は炎上した。めぐりくる季節のなか、急展開の人気シリーズ第三弾。

 宇江佐真理さんの訃報に接し読み始めることにしたシリーズもの。まずもってタイトルが良いですよね。さらば深川… と。辰巳芸者のお文は当然深川に住んでおり、伊三次は八丁堀と深川を行ったりきたりの生活。第二巻まで読んできた読者にはピンと来るタイトルです。いよいよなのか?と。

 その想像と期待は半分当たっていて、半分は思いもよらなかったことが起こります。やはりこのシリーズは、宇江佐さんが言ってたとおり、捕物はあくまでも「余話」であり、本題は伊三次とお文にまつわる男と女の話なのだと実感します。

 いずれにしろ、深川に暮らす者として伊三次たちが大川を越えて江戸へ行ってしまうのは残念です。

さんだらぼっち - 髪結い伊三次捕物余話 第四巻 / 宇江佐真理

髪結い伊三次捕物余話 さんだらぼっち

髪結い伊三次捕物余話 さんだらぼっち

芸者をやめたお文は、伊三次の長屋で念願の女房暮らしを始めるが、どこか気持ちが心許ない。そんな時、顔見知りの子供が犠牲になるむごい事件が起きて―。掏摸の直次郎は足を洗い、伊三次には弟子が出来る。そしてお文の中にも新しい命が。江戸の季節とともに人の生活も遷り変わる、人気捕物帖シリーズ第四弾。

 続いて第四巻。深川を出た二人はどうするのか? そして辰巳芸者を辞めてしまったお文の行方というか身の振り方が心配です。伊三次との夫婦生活はもちろん山あり谷あり。しょうがねぇ奴らだな、と生暖かい目で見守るしかありません。

 それにしても「さんだらぼっち」とは不思議な言葉です。どんな意味があるのか? それがどう伊三次とお文たちに関係するかは、読んでからのお楽しみです。いや楽しくはないかもしれません…。このシリーズは、江戸人情ものと言えるのに、うっかりしてると思いもしなかったバッドエンドにビックリして狼狽えてしまいます。

 なのに… というよりは、だからこそ、先が気になって仕方がありません。

黒く塗れ - 髪結い伊三次捕物余話 第五巻 / 宇江佐真理

髪結い伊三次捕物余話 黒く塗れ

髪結い伊三次捕物余話 黒く塗れ

お文は身重を隠し、年末年始はかきいれ刻とお座敷を続けていた。所帯を持って裏店から一軒家へ移った伊三次だが、懐に余裕のないせいか、ふと侘しさを感じ、回向院の富突きに賭けてみる。お文の子は逆子とわかり心配事が増えた。伊三次を巡るわけありの人々の幸せを願わずにいられない、人気シリーズ第五弾。

 さらに第五巻。伊三次とお文にとっては人生の大きな転機が訪れます。廻り髪結いと芸者のカップルに子供が生まれるなんて展開になるとは、当初は思っていませんでした。作者の宇江佐さんも思ってなかったのかも。

 現代風に言えば伊三次は不安定なフリーランス、お文は特殊技能職。共働きで子育てや家事との両立という問題は当時からあったわけで、古くて新しい問題でもあります。

 このシリーズは巻末に宇江佐さんによる解説がついています。それによると、宇江佐さんは敢えて伝統的な時代小説の様式に従わず、現代的な問題意識を時代小説という形で表現することに勤めているそうです。私からすれば、市井もの時代小説としてまったく違和感を感じたことはありませんが。

 さらにもうひとつ面白いことが後書きに書かれていました。、宇江佐さんはタイトルを決めてから本文を書き始めるそうです。第四巻「さんだらぼっち」もそうだし、第五巻「黒く塗れ」もそう。たしかに両方とも「何のことだ?」と興味を引く言葉ではあります。

 それらの種明かしは本文を読んでのお楽しみということで、ネタバレは控えておきます。

鼠、滝に打たれる / 赤川次郎

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鼠、滝に打たれる<「鼠」シリーズ> (角川文庫)

「縁談があったの」「お前に?」「違うわよ!千草さんによ」鼠小僧次郎吉の妹、小袖がもたらした報せは、微妙な関係にある女医・千草と、さる大名の子息との縁談で…。恋、謎、剣劇―胸躍る物語の千両箱が今開く!

 NHKでドラマ化もされているこのシリーズ、原作もまるでドラマの脚本のように、登場人物たちの台詞でほとんど物語が進んでいくという、独特の文体が特徴です。もともと映像化に向いている小説と言えます。

 鼠とはもちろんあの鼠小僧をモチーフにしているわけですが、そこは赤川次郎さんの手によって徹底的に再構成された、完全なるフィクションの世界。難しいことは考えずに、江戸の街を舞台にしたアンチヒーローの格好良さを楽しめます。

 とはいえ巻が進むごとに、本当の主役は鼠の妹、小袖ではないかと思えてきました。それも颯爽と小太刀を振り回す、強くてカッコいいヒロイン。そして本作で起こる事件のほとんどは女性が鍵となるものばかり。

 もちろん勧善懲悪の分かりやすい物語ですから、必ずスカッと爽快な落ちが待っています。なので安心して読み進められます。

反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体 / 森本あんり

反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―(新潮選書)

反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―(新潮選書)

アメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、アメリカで変質したキリスト教が生みだした「反知性主義」にあった。いま世界でもっとも危険なイデオロギーの意外な正体を、歴史的視点から鮮やかに描く。

 大分前のことですが、アメリカ大統領選挙に関する割と硬派な番組で、コメンテーターとして森本あんり氏が出演されてるのを見かけました。そのお話の内容がとても面白かったので読んでみる気になったものがこの本です。それ以前から、高校時代の同級生であるという小田嶋隆氏の著作に氏は登場したりするので、薄々と興味を持っていたところです。

 この本ではアメリカ建国の歴史から反知性主義とは何か?ということを紐解いています。その「アメリカ建国の歴史」とは「アメリカ的キリスト教の歴史」そのものであると。森本氏がキリスト教徒であるから書けた本なのかもしれません。

 日本語で「反知性主義」と言うと、やや政治的でネガティブな文脈で使われることが多いですが、実際は宗教的な価値観に根ざしていると理解すれば、日本では理解されにくい言葉であることも納得行く気がします。

 と言うよりも、私の大好きな時代小説(≠歴史小説)の世界観、空気を考えると、少なくとも中世以降の日本の歴史というか風土、文化、宗教観には「反知性主義」という考え方はそもそもないのではないかと思えてきました。

 「反知性主義」が本来の意味で(アメリカ的な)民主主義の基礎であり、真に自由で平等な社会の成熟度と健全性を示す基準であるとするならば、日本は今も昔も(特にここ3年くらいは)むしろとても「知性主義的」になってきたなと思います。

 それが良いことなのか悪いことなのかと言えば、平等で民主的な社会こそが理想と考えるなら、悪い方向に流れているのではないかと心配になります。だからといってトランプみたいなのが国のトップに出てきても困るわけですけど。