時代小説の原点に返る:<完本> 初ものがたり/宮部みゆき

投稿者: | 2013年8月21日

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<完本>初ものがたり (PHP文芸文庫)

新作3篇をひっさげて、茂七親分が帰ってきた! 茂七とは、手下の糸吉、権三とともに江戸の下町で起こる難事件に立ち向かう岡っ引き。謎の稲荷寿司屋、超能力をもつ拝み屋の少年など、気になる登場人物も目白押し。鰹、白魚、柿、菜の花など、季節を彩る「初もの」を巧みに織り込んだ物語は、ときに妖しく、哀しく、優しく艶やかに人々の心に忍び寄る。ミヤベ・ワールド全開の人情捕物ばなし。

 宮部みゆきさんの時代小説、特に短編集は私にとって時代小説へのめり込むきっかけとなった原点とも言える本です。一番最初に手に取ったのは「本所深川ふしぎ草紙」ような気もしますが、もしかしたら「幻色江戸ごよみ」だったかあるいは「初ものがたり」だったかもしれません(まだブログを書いてない時代のことです…)。いずれにしてもはじめて真面目に読む時代小説の世界の美しさ、面白さにすっかり虜になり、このあたりの宮部みゆきもの時代小説は、買いあさって一気に読んだことをよく覚えています。

 そんな懐かしい一冊が出版社を変えて再版され、本屋さんで平積みになっていました。宮部みゆきさんの新作か!という勢いで。そのタイトルには<完本>の文字が付け加えられています。なんと、これまで新潮社から発売されていた「初ものがたり」に新作三編を付け足して新たに発行された、これぞ本物完結編の「初ものがたり」である、というではないですか。もう懐かしいやら嬉しいやら。「なにこれずるい!」と思いつつも喜び勇んでレジに向かいました。

 宮部みゆきさんの時代小説の中には「はつ」と言う名の女性が主人公として活躍する一連のシリーズものがあります。記憶がごっちゃになってこの「初ものがたり」は、その「はつ」が活躍するお話かと思っていましたが、そうではありませんでした。これは言うなれば正統派の捕物帖です。主人公は本所は回向院の裏に住まい、深川一帯を縄張りに収める茂七親分です。そうそう、茂七親分っていたよなぁ、といちいち懐かしい人に再会するかのような気持ちで読み返しました。そして、やはりこの小説は私にとって、時代小説の原点であることを再確認しました。

 さて、茂七親分の縄張りである深川は、宮部みゆきさんの出身地でもあります。江戸を舞台にした時代小説は、大川(隅田川)の西岸、つまりお城側に舞台の中心を据えたしたものが多く、深川をよく描くのは、宮部みゆきさんと山本一力さんくらいではないかという気がしています(いえ、実際にはたくさんの例外があると思いますが)。江戸という都市の中心地はお城の周辺だったのだから当然です。むしろ「深川」は「江戸」とは違う都市だったという説もあるくらい。しかしこの「初ものがたり」では、宮部作品らしく、すべての出来事は川のこっち側、深川で起こるのです。

・・・回向院の茂七は下っ引きの糸吉を連れて、大川端にさしかかったところだった。御用の向きで八丁堀の旦那のところを訪ね、深川へ帰る途中だったのである。永代橋の上でふたりは立ち止まり、申し合わせたように橋の欄干に肘を乗せて、川面をすかし、佃島のほうをながめた。こおったように凪いだ川の上に、数え切れないほどの雪片が舞い落ちては消えていく。

 茂七親分は滅多に大川の向こうへ渡ることはありません。せいぜい八丁堀まで。その後に出てくるたくさんの地名、川の名前、お寺や神社、そして風物や風俗は意外なくらいに今の時代の深川にも残っています。永代橋を渡り深川へ戻ってくる親分、何を思って橋の上から雪の大川の風景を眺めたでしょうか? 何となくその空気まで感じられるようです。現在の永代橋から眺める佃島の景色はすっかり変わってしまいました。でも、そこにある空気、深川という土地の風情は意外に変わっていません。深川に住むものは、永代橋を渡るとはじめて「帰ってきた」と感じるものです。

深川は埋め立てで作られた新開地である。大川に近いほどよく開け、町も混み合い、八幡様の門前町はにぎわいお茶屋や遊郭は人を集める・・・<中略>・・・通称十万坪、六万坪と呼ばれるあたりは、一面に田圃が広がり、ところどころに地主の屋敷や大大名の広大な下屋敷が点在する場所だ。あまりにも広く、空は高く、掘り割りは青く、江戸の洒落のめした匂いに代わり、稲の青臭さと肥やしの臭いが風に乗って運ばれてくる。

 宮部みゆきさんはさらりと自らの縁の地をこう表現しています。こんなへんぴな土地を物語の舞台に選び、わざわざその情景描写をしたのは思い入れがあってのことではないかと、その十万坪をよく知っている人間にとってはにんまりしてしまいます。しかもここに出てくる地主の「角田」ってもしかして… などなど、思い当たること、思い過ごしてしまうことがいちいちあるのです。これ以外にも多くの深川の地の情景描写が織り交ぜられており、それを読んでいるだけでも楽しい気分になれます。

 もちろん、茂七親分をはじめ登場する人物像もいちいち魅力的で、捕り物としてストーリー展開も非常に面白く、切れがあります。本当の極悪人は出てこず、そういう意味ではやはり女性が書く物語だな、という気もします。何となくそこに描かれている人間ドラマは、北原亞以子さんの「慶次郎縁側日記」に通じるところがあるような気もしてくるほど。もちろん、文体は全く違うののに、同じような優しさを感じてしまいます。

 しかし、茂七親分は多くの謎を残したままこの「初ものがたり」は尻切れトンボに終わっています。一つ一つの短編の物語は捕物帖として綺麗に完結しつつも、いかにもシリーズものとして展開するかのごとく、その背景にはいくつかの横串のストーリーがあります。その中でも最大の謎は富岡橋のそばに店を出す稲荷寿司屋台の親父の正体。<完本>と言うからには、それらの謎は、新しく付け加えられた三編によって全てが明らかになるのか!?と思っていたら、そうではありませんでした。それについては、巻末に「完本のためのあとがき」として、宮部みゆきさんによる短いメッセージが付け加えられています。

稲荷寿司屋の親父の正体も明かさないまま、著者の勝手な都合で途絶したきりのこの捕物帖シリーズですが、今後は他のシリーズと合わせて、多くの人物をにぎやかに往来させながら、ゆっくりと語り広げていきたいと思っております。

 なんと!これからも茂七親分のシリーズが続いていくのか!とすれば、こんなに良いニュースはありません。ここで終わってしまうのでなく、どんどん稲荷寿司屋の親父の謎は引っ張って、たくさんの茂七親分の活躍の物語を読ませて欲しいと思います。

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