新選組 幕末の青嵐

投稿者: | 2011年7月29日

新選組 幕末の青嵐 (集英社文庫)

新選組 幕末の青嵐 (集英社文庫)

身分をのりこえたい、剣を極めたい、世間から認められたい―京都警護という名目のもとに結成された新選組だが、思いはそれぞれ異なっていた。土方歳三、近藤勇、沖田聡司、永倉新八、斎藤一…。ひとりひとりの人物にスポットをあてることによって、隊の全体像を鮮やかに描き出す。迷ったり、悩んだり、特別ではないふつうの若者たちがそこにいる。切なくもさわやかな新選組小説の最高傑作。

 結論から先に書くと、これは久しぶりの大ヒットでした。この一年くらいの間に読んだ本の中では間違いなく一押しです。ガツンとやらてしまいました。

 ある日本屋さんで、文庫コーナーの片隅に平積みしてあったこの本になぜか目がとまりました。木内昇(きうち のぼり)さんは知らない作家さんだし、表紙も地味。表題の「新選組」の文字かもしくは「幕末」に反応したのか自分でも良く分かりません。手に取ってみれば非常に分厚くて読みこなすのは時間がかかりそうです。裏表紙の紹介文を眺めても特にピンと来ません。面白くなかったらこれは苦痛だな… と思いつつ、しかしパラパラと中身をめくってみて、目次を見た瞬間にそのままレジへ直行してしまいました。

 その特徴的な目次に表れているとおり、この小説は全体で七つの章と四十以上にも及ぶ小さな節から構成されており、それぞれの節に各隊士達の名前がつけられています。まるでその部分を書いたのがその隊士達であるかのように。最初は土方歳三、そして沖田総司、斎藤一、山南敬助、永倉新八などなど。そしてもちろん近藤勇と、さらには芹沢鴨まで。

 この小説では、各隊士にまつわるエピソードをただ並べているのではなく、新選組が辿った足跡を時系列で追いながらも、一人称を多くの隊士達の視線に次々に移していくことで、今までにない臨場感と”立体感”を持った新選組の姿を描き上げています。

 なお、解説を読んで知ったのですが、この作者の木内昇さんというのは、昨年の直木賞を受賞した女性作家だそうです。しかもこれが彼女のデビュー作。書かれている内容や文体からはまさか女性作家の筆によるものだとは全く気づきませんでした。

 新選組と一口に言っても、それは多くの人間からなる組織であったわけで、隊士一人一人は異なる事情と背景と性格を持ち、そこにはやはり微妙な人間関係が存在していました。この小説では新選組に関わる出来事の表面をただなぞるのではなく、それぞれの隊士達の心の内面を紡ぎ出し、他の隊士達の人物評を交えながら、彼が何を考え何を目的にして行動していたのか? という点を中心に物語が進んでいきます。

 試衛館に集まる剣客達が浪士組として江戸から京都へ上るところから始まり、鳥羽伏見の戦いに負けて江戸へ戻ってくるまでを中心的に扱っています。その過程を多くの隊士達が代わる代わる語っているとはいえ、やはりこの小説の主人公は土方歳三であると言えそうです。多摩の薬売りだった土方は、なぜそこまでして新選組を引っ張ってきたのか? 彼を動かした動機は政治ではないし、欲でもないし、ましてや怨恨でもありません。この小説に描かれている土方の姿や言葉には、すっと腑に落ちる物があります。

 ただの人斬り集団、武士にあこがれただけの農民の寄せ集め、壮大なる時代錯誤、江戸幕府にとっての捨て駒… 色々な言われ方をする新選組が、幕末史に果たした役割を評価する術を私は持っていません。しかし農民の寄せ集めの人斬り集団がなぜそこまで人々の心に残るのか? 後の日本政府を牛耳った長州にとっての宿敵だったはずの彼らが、なぜ極悪集団としてのみ名を残すのではなく、維新とともに多くの物が失われていった悲哀と重ね合わせて語られるのか? その答えはおぼろげながら分かってきたような気がします。

 私はひねくれ者で、「江戸」から見た幕末論ばかり読んできたせいか、明治維新を「新しい日本の夜明け」として、手放しに評価することに違和感を感じています。この小説にそういう意図はなかったとしても、その思いはこの小説を読んでいて改めて強化されました。幕末に起きたことは、外圧によって起こされたクーデター(=権力争い)であり、結果的に日本史の中でもっとも「醜い内戦」を引き起こしたのだと思います。

 以前読んだ幕末小説にも出てきた言葉とほとんど同じ言葉がこの小説にも書かれていました。「”攘夷”とはいかなる国の言葉だったのか?」と。この言葉に明治維新の本質が含まれているのではないかと思います。

 【お気に入り度:★★★★★】