酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

400年以上前に廃城となった関東有数の山城の遺跡:太田金山城跡を散策する

 百名城スタンプを始めてから、自分の「城」の好みというものを強く意識するようになってきました。改めて意識していろいろな城跡を見て回るようになると、単に「百名城」と言っても、実に様々なタイプの城跡があるものだと実感します。

 そんなことを思うようになってから、関東近郊で最も気になり始めた城跡が群馬県は太田市にある金山城です。ここは関東地方では有数の規模を誇る山城跡で、鎌倉時代に新田義貞がその礎を築いたたと言われていますが、戦国時代の乱世で何度もの実戦を経て、最後は北条氏の滅亡とともに廃城となって以来、実に400年以上忘れ去られ放置されていた、まさに遺跡でもあります。本格的な発掘が始まったのは平成に入ってからなのです。

 それにしても山城ってなんか惹かれるものがありますよね。平地に大都市を形成する中心として、巨大な縄張りと大天守を持つ戦国末期の平城も良いですが、やはり純粋に戦のための機能を追求し、城が城であったことを直接感じられる古い時代の山城跡は、その遺構に閉じ込められた歴史とその廃墟感にロマンを感じてしまいます。

 そんな風に山城好きになったのは、過去行ったことのある山城がいずれも素晴らしかったから。小さな天守が現存する備中松山城(岡山県)しかり、断崖絶壁に積み上げられた石垣の遺構が美しい竹田城(兵庫県)しかり。

 群馬県太田市までは東京から距離にして約100km、車で約1時間半ほどなので、いつでも行けると思っていたのですが、事前情報によれば結構険しい山城とのことで、夏場に行くのは控えて涼しくなるのを待っていました。

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 と言うことで、11月の3連休になって天候も安定してきたので、もしかしたらそこそこ紅葉も綺麗かも?と期待して出かけてみました。

 大好きな山城に興奮して、かなりたくさん写真を撮り、史料を集めてきたので、いつもの百名城エントリーよりもちょっと長いです。

いざ金山へ

 金山城はその名の通り、群馬県太田市にある金山に築かれた山城です。この山は関東平野の端っこにぽつんと飛び出した、標高320mほどの小さな単独峰で、山頂から東西に横たわる尾根に沿って城郭の遺構が広がっています。

 北関東道の太田桐生ICからはほんの10分ほど。市街地を抜けて金山にさしかかると、ちょっとしたワインディングロードになっていました。小さな駐車場にはそこそこ車があるものの、辺りに人の気配はほとんどなくて全体にひっそりしています。これは大して見所のある城跡ではないのかも...?と、この不人気ぶりにやや心配になりますが、せっかく来たので行ってみましょう。

 本当は秋晴れを期待していて、実際に出発時の東京は良く晴れていたのですが、残念なことに金山城に着いてみたらどんよりとした曇り空。でも仕方ありません。

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 駐車場はすでに金山城の遺構の中にありました。駐車場から続く遊歩道は、ただの公園内のように見えるのですが、すでにここは西城や見附出丸と呼ばれる遺構の真っ只中にあるようです。それを示すこうした標識がそこら立っていました。

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 例えばこのくぼみ、なんか怪しいですよね。何も説明はなかったので、単に自然の地形かも知れませんし、人の手が入ってるとしてもいつの時代のものか分かりませんが、どうも土塁を築いた跡か何かのようにように見えてきます(多分私の思い過ごしだと思います)。

 相変わらず人がなくて寂しい上に、空が曇ってることに変わりはないのですが、この風景を見た瞬間に、天候の悪化にちょっと下がり気味だったテンションが、急激に回復し始めました。先を急ぎましょう!

二つの掘切から西矢倉台へ

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 西城から実城(本丸跡)方面へ向かって、少しずつ上っていきますが、事前に聞いていたほどの急な道ではありません。巨大な木に覆われており、とても気持ちの良い散歩道で、遊歩道はこうしてちゃんと整備管理されています。これなら真夏でもそんなに大変な思いをしなくて済むかもしれません。

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 少し進んでいくと、こんなものに行き当たります。この溝は遊歩道と直角に交わっていて、先ほどの曖昧な窪みとは違って、明確に意思を持って人の手により掘られているのは明らか。金山城には尾根を切断する形でこうした掘切が4本確認されているそうです。これはもちろん、尾根伝いに敵が侵入してくるのをとどめるためのものです。

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 数ある遺構の要所には説明板が立っています。一般的な観光地や遺構の説明看板は、簡潔すぎて要領を得ないものが多い中で、この金山城跡の説明書きは、かなり詳細でむしろ難解すぎるくらいでした。

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 何の説明もないけれども、歩いていると周囲にはこんな石積みが隠れていたりするのですが、これも金山城の石垣なのでしょうか?

 冒頭にも書いた通り、この金山城は鎌倉期の非常に古い時代の城で、豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏が滅んだとき、一緒に廃城とされてしまいました。その後江戸時代になり、徳川幕府の御用林として厳重に管理されることで、現代に至るまでの約400年にわたり、人の手が入ることなく、ただ風化して土と森に埋もれていくことで、逆に遺構がそのまま保存されていたとのこと。発掘再整備が始まったのは平成に入ってからでここ20年ほどのことだそうです。その作業は今でもまだ続けられています。

 ですから、その辺に何気なく落ちている石ころが、実は石垣の一部だった、ということはあり得るのではないかと思います。

防御の厳しい物見台下虎口を通り物見台へ登る

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 さらにその先を進んでみると、鬱蒼とした緑のトンネルの向こうに、何やら石垣が見えてきました!

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 ここが物見台下虎口です。細い通路を挟んで小さな対の石垣(基壇状石組み)がありますが、上には門が建ってのでしょうか? この辺りに来ると、幅の狭い通路は小さな枡形を幾重にも形成しており、突破は困難であることがわかります。規模は大きくありませんが、いやむしろ規模が大きくないからこそ、ここが本当に実戦のみを考えられて作られた本物の城であったことが分かります。

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 この物見台下虎口の前にはひときわ巨大な掘切が横たわっています。この通り、自然の岩を削り取って溝を掘り、防御のための壁としていたのでしょう。平地に高い石垣を築くのではなく、こうやって自然を利用して要害を作ることができる山城は、いろいろ理に適っています。

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 堀切と基壇状石組みを超えた先は、さらに難関が待ち受けています。崖沿いの細い通路は木橋が架けられ、いつでも落とせるようになっています。その下には竪堀があり土塁石垣で囲まれてるという状態。仮にここを突破しても、袋小路が待ち受けているという念の入れようです。恐ろしい恐ろしい...。

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 迷路を上手く抜けた先を上っていくと、突然視界が開けます。先ほど下から見た岩壁の掘切のほぼ真上にあるのが「物見台」です。その名の通り金山の周囲を遠くまで見通せる、監視のための施設。発掘された小さな石垣の上には4本の柱を立てた跡があるそうで、現在ある展望台はその柱の跡に合わせて建ててあるとか。ただし、実物はどんな高さ、構造の物見台だったかは不明で、決して当時のものを再現してあるわけではないとのことです。

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 物見台から北西方向を眺めてみました。赤城山や榛名山の方向だと思うのですが、雲が垂れ込めていてよく分かりません。しかしいつの間にか上空に晴れ間が広がってきました!

 この金山城を攻めたことがある武将の中には、上杉謙信がいます。彼は金山城の構造をかなり調べ、この物見台の死角になる位置をわざわざ選んで本陣を置いたという記録があるとか。そんな上杉謙信も結局この城を攻略することは出来ませんでした。上杉謙信に限らず、金山城はその生涯で落城したことはないそうです。

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 物見台から先ほど通ってきた、虎口を見下ろしたところ。その先は急な崖になっているし、そもそも敵の動きは丸見えで、これでは攻めようがないですね。

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 物見台の少し先には馬場曲輪があります。その名の通り、ここには馬がいたのでしょうか。この建物はかなり傷んでいるようですが、もちろん当時のものではありません。これに限らず、ここには多くの柱の跡があって、建物が建ち並んでいたようすが窺えます。

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 もう既に色んなものを見てきましたが、ここまではまだ金山城の入り口に過ぎません。実城と呼ばれる金山城の本体は、物見台のさらに東、馬場曲輪の先にあります。ここからが金山城見物の本番です。

大手虎口の美しい石垣

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 大手虎口のすぐ手前に丸い池があります。二重の石垣に囲まれた独特の姿をしたこの池は「月ノ池」と言います。現在の姿は復元されたものですが、発掘調査の結果、実際にこのように石組で囲われていた池だったことが分かっているそうです。籠城戦のための貯水池として作られた人工の池とのこと。山城で水の確保は最も重要なことだったと思います。

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 そしてここが金山城跡のハイライト、大手虎口の石垣です。現在の姿は発掘調査の結果復元されたものです。非常に複雑な姿をした石垣が幾重にも重なっています。両側は曲輪が並び、ここを通り抜けないと本丸へ近づくことは出来ません。これもまた防御が堅固すぎて、攻めるのはとても無理な感じがしますし、実際に敵兵は誰もここを通り抜けることは出来ませんでした。

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 この大手虎口周辺の石垣が複雑に折り重なった様子はとても美しいです。落ち葉が積もり一層風情がありました。

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 石垣を割って大きなケヤキが生えています。この巨木は、廃城後400年間この土に埋もれて眠ってる間に、石垣を破って生えてきたものなのでしょうか? 葉っぱはかなり散っていましたが紅葉してとても綺麗でした。うち捨てられた古城の石垣を破って育った巨木と言えば、何となくラピュタを思い出しますね。復元に当たってわざとこの木は残したそうです。

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 そして、いくつかの曲輪の先に先ほどの月ノ池よりもさらに巨大な「日ノ池」があります。これも石組みで囲われた人工の池のようですが、発掘調査の結果によると金山城築城よりも昔からあったと思われるそうで、籠城戦のための貯水という目的の他に、信仰の場でもあったのではないかとのこと。

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 月ノ池、日ノ池とは別に、ちゃんと井戸もあります。中を覗き込むと今でも水がありました。巨大な貯水池を作っても、溜める水がなければどうしようもありません。金山は水がそれなりに豊富に湧き出る山のようです。だからこそ城が築かれたのでしょう。

金山城の心臓部、本丸跡へ

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 さて、まだ道は先へ続いています。しかもまだ上っているようです。この奥が実城と呼ばれた本丸跡です。

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 本丸跡へと続く道の途中に、先ほど見た巨木よりもさらに巨大な木があります。樹齢はおよそ800年ということなので、1469年に新田氏が金山城を築いた時には既にここに立っていたのでしょう。外からは目立つ上に中からは視界の妨げになるので、現役時代の城郭は木を切り払うのが普通ですが、この木は既に当時から何かの風格を備えていて、切ってはいけないオーラが出ていたのかも。まさに金山城の歴史とともにあるケヤキです。

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 その先には、こんな階段があって新田神社のお社が建っています。この神社の境内が本丸跡なのです。ここは名前の通り、この金山城と縁の深い、南北朝時代の武将、新田義貞を祀った神社で、明治初期にこの地に創建されたものだそうです。ただ小さな祠はそのだいぶ前から既にあったそうです。

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 この本丸跡には新田神社の本殿以外に、いくつかのお社が建っていました。とてもひっそりしていて少し怖いくらいの雰囲気に包まれています。

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 さすがに神様が祀られているところですから、どんな本殿が建っていたのか?などの大規模な発掘調査は行われていないようで、この辺りにはこれまで見てきたような説明板などはほとんどありませんでした。ちなみにこの新田神社の境内が金山の最高地点で標高239mです。

御台所曲輪からの眺め

 さて、物見台からは西の方角がよく見えましたが、大ケヤキのあったすぐ近く、御台所曲輪からは南東の方角が良く見通せます。

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 折しも空が晴れてきて、うっすらと虹が架かっていました。空気が澄んでると東京スカイツリーも高層ビル群も、さらにはちょっと方向が違いますが、富士山も見えるらしいです。たしかにここから南の方、関東平野はほとんど真っ平らです。

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 来た道を戻っていくと、南曲輪辺りからは天子の梯子も見えました。晴れて天気が良いと、とにかく全方位の絶景が見られて、そういう面でも楽しめる城跡だと思います。今回は微妙な天候でちょっと残念でした。

百名城スタンプもゲット

 さて、とても良い城跡が見られて大満足なのですが、それだけでは目的の半分しか達成していません。ミッション・コンプリートのためには、百名城スタンプを押さなくてはなりません。

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 通常は案内所や料金所などにあって、言わないと出してもらえないことが多い百名城スタンプですが、ここ金山城では南曲輪に建っている休憩所の中に、こうして置いてありました。敷かれた紙は試し押しされまくってますね。ちなみに、百名城スタンプを始めて分かったのですが、試し押しは必須です。スタンプによってインクの出方が全然違うので、押す力加減をあらかじめ調整しなくてはなりませんから。最初の頃押したスタンプは、その辺がよく分かっていなくて、いくつか失敗してしまいました。

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 ということで、ほら、今回も綺麗に押せました。これで19個目。今のところ1年で10個ずつという、ほぼ予定通りのペースで進んでいます。

 ちなみにスタンプのデザインもひとつひとつ、その城の特徴を上手く表しています。金山城はやはり大手虎口の石垣と丸い池がポイントのようです。

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 ちなみに百名城であることを示す、こんな石碑もありました。これ、全ての百名城に配られているものなのでしょうか、こうやって堂々と碑として置かれているのは初めて見た気がします。

やっぱり山城が好き

 ということで、期待に違わぬ、いや期待以上の素晴らしい城跡でした。関東にもこんな立派な石垣の山城があったとは驚きです。そして何より、400年も前に既に廃城となり、長い間うち捨てられていたという、廃墟感が素晴らしいです。

 雨風で自然と土に還り、風化した以外に、人の手によって再開発されたり破壊されたりすることなく、ほとんどの縄張りがそのまま残っているなどというのは山城ならでは。城下町を形成した平城は、ほとんどの場合市役所や学校が建てられて破壊されてしまいましたから。

 そんなこの城の価値を保護すべく、非常に丁寧に発掘調査がされていることが覗え、要所要所の再現のレベルと加減も素晴らしいです。手抜きではなく、観光開発に傾注しすぎるわけでもなく、変に建物を建てようとせず、石垣や掘切などの基本的な部分の再生に注力しているところも素晴らしいです。

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 なお、発掘調査と復元作業はまだ現在も続けられていました。駐車場のある西城や見附出丸あたりも整備が進められている途中だそうです。

 この金山城はもっともっと有名になって、人気が出てもおかしくないと思います。少しでも城跡に興味があるなら、是非一度訪れてみて欲しいです。ここを見てどう感じるかによって、山城派かどうか判定できるのではないかと思います(^^;

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