酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

もう一つの被爆の記憶:夢の島公園の第五福竜丸展示館を見に行く

 お盆休み中の東京地方は、台風が過ぎ去ったあともスカッと晴れ渡ることはなく、グズグズと曇り空が続いたと思ったらゲリラ豪雨に見舞われたりして、どうも真夏の青空を見ることができません。何も予定を入れずにいた夏休みで、ずっとテレビにかじりつき、引きこもっていたのですが、つかの間の晴れ間を見つけてポケモンでも探しに行くかと、散歩に出かけました。

 行き先は東京湾岸地域ではかなり歴史のある夢の島公園へ。子供のころによく遊びに来た馴染みのある公園なのですが、訪れたのは多分20年ぶりくらいではないかと思います。

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 この写真は夢の島公園内にあるコロシアムというすり鉢状の広場。ここでよく走り回った記憶があります。懐かしくて来てみたのですが、当時は周囲に木がこんなに生えておらず、海風が吹き抜ける文字通りの広場だったと思います。

 さて、さわやかな写真からはじめましたが、タイトルにある通り今回のエントリーは重い話です。

 久々に夢の島公園に来たのはこの「第五福竜丸展示館」に来てみたかったから。「第五福竜丸」というのは1954年にアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験の現場に居合わせて、被爆者を出したマグロ漁船です。その船体や様々な資料が展示されています。東京都が運営しており入場は無料です。

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 小学生の頃、夢の島公園へ来るたびに必ず寄っていた記憶があります。それは被爆船であるという事実についてよく理解していたわけではなく、古い船が飾ってあるというだけの理由だったように思います。

 しかし大人になってから、この展示館は一度しっかりと見に来ないといけない、と思っていました。

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 外観はこんな感じ。茶色い外装は夢の島に建つ他の建物と統一されています。記憶の中にある風景と寸分たりとも変わってないように思います。

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 いきなり大漁旗のお出迎え。レプリカでしょうか? この舟はもともと和歌山の造船所で鰹漁船として建造され、その後マグロ漁船に改造され「第五福竜丸」となり焼津を母港としていました。清水港の櫻田造船とはマグロ漁船への改造を行った造船所だそうです。

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 中はそれほど広くありません。三角形のタープ状の建物にきっちりと船体が収まっています。こうして見ると大きな舟に見えます。総トン数は141トン、全長28.6m、幅5.9m、高さ15m、深さ3mという大きさだそうです。

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 この展示館についての説明書き。そして千羽鶴の山です。日本において大量の放射線を浴びて死者が出た事件と言えば、1945年の広島、長崎への原爆投下に次いで、この第五福竜丸の被爆が3件目となってしまいました。戦後10年も経っていない1954年のことです。

 しかし、残念ながらそれが最後というわけではなく、1999年には東海村の核燃料加工施設のバケツウラン臨界事故は記憶に新しいところです。

 ちなみに最近最新作が公開されて人気の「ゴジラ」は、この第五福竜丸の被爆事件に着想を得て制作されたのが最初と言われています。

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 ところでこの第五福竜丸がなぜ夢の島にあるかと言えば、その由来がこのパネルで説明されていました。被爆したといえどもこの船は壊れたわけではないので、その後除染され、改造されて東京水産大学の練習船として再利用されたそうですが、1967年に老朽化により廃船となり、当時はまだ埋め立て途中で荒涼たるゴミの大地だった夢の島沿岸に、後に沈める予定で放置されていました。

 時代は進み、この船が水爆実験で被爆した「第五福竜丸」であることも忘れ去られていたところで、再発見され保存運動が活発化したそうです。その甲斐あって、数奇な運命を辿ったこの船が最後にたどり着いた夢の島にそのまま陸揚げされ、保存されている、ということだそうです。

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 水爆実験の近海に居合わせた第五福竜丸は所謂「死の灰」を浴びています。水爆で吹き飛ばされた珊瑚のかけらだそうですが、当然のように高濃度の放射性物質を含んでいました。これが船に、乗組員に降り注いだそうです。

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 被爆したのは3月1日。その後第五福竜丸は真っ直ぐ焼津を目指し、戻ってきたのが3月14日。カレンダーはそこで止まっています。

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 これが第五福竜丸が被爆時に辿った航路。こんな小さな船でこんなに遠くまで漁に出ていたんですね。

 第五福竜丸は米国が設定していた危険水域には入っていませんでした。そしてこの海域には他にもたくさんの漁船が出ていたようですが、死の灰を浴びたのは第五福竜丸だけだそうです。

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 その他、航海日誌、漁労日誌、被爆時に船員達が使っていた小物など、第五福竜丸がマグロ漁船として現役だった時代の様々な記録が展示されています。

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 そして生々しいので引きの写真だけにしておきますが、被爆した船員さん達のその後についてもパネルや当時の新聞などがありました。乗員23名のうち無線長の久保山氏がもっとも重篤で約半年後に肝機能障害で亡くなったほか、他の乗組員も多くが肝機能障害から肝臓ガンを発症し亡くなったそうです。ですがすぐになくなった方ばかりでなく、それなりの存命期間があった方も多いようです。

 さらに、当然ながら第五福竜丸が捕ってきたマグロは大量の放射性物質で汚染されており、全て廃棄されたそうですが、その後しばらくはマグロを初めとした海産物がまったく売れなくなったのは言うまでもありません。安全優先の当然の対応である一方、所謂風評被害もたくさんあったことでしょう。この辺りの人々の反応は今も昔も変わりません。

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 これが当時の船舶用無線機。モールス信号を送受信するものだそうです。

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 2階に上がれば甲板を眺めることも出来ます。しかしこの船は後に大学の練習船に改造されているので、被爆した当時のマグロ漁船そのままではありません。

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 外装を見ても分かる通り、戦後間もなくに建造されたこの船は木造です。その基本骨格の様子が模型で展示されていました。

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 そして腐って穴が開いた外板の隙間から、その構造物らしきものが見えています。

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 外板は相当傷んでいます。保存のための処置は施されているのでしょうが、わざと汚いままにしてあるのでしょう。もちろんこれは、廃船後に夢の島に捨てられていたときの状態であって、被爆した当時のものではありません。

 私が小学生の頃に見たときからこのボロボロ具合は変わっていないように思います。陸揚げされて、メンテナンスされて、保存状態は悪くないのだろうと思われます。

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 展示館の外には、第五福竜丸が搭載していたエンジンが展示されています。これは私が子供の頃にはなかったもの。というのも、このエンジンは廃船後に別の船に乗せ替えられたものの、その船は三重県沖で沈没してしまったそうです。1996年になって引き上げられ、ここに置かれるになったとのこと。約30年間海底にあったために、ボロボロになっています。

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 ということで、大分遅くなってしまいましたが大人になってからちゃんと第五福竜丸のことを復習できて良かったです。

 もちろんこの展示館は反核兵器を訴えるためにあるわけですが、冒頭にも書いた通り東京都が運営管理しているものであり、良い意味で変な政治色が付いません。いや、歴史をたぐれば当時の東京都知事が革新勢力だったことが、この展示館の建設に影響を与えているのかもしれません。ただ、その後40年近くにわたって変わらず運営され続けているのも事実です。

 いずれにしろ淡々と事実が並べられた展示内容には、むしろ激しい言葉で語られる反核のプロパガンダよりも、よほど説得力があります。日本人は3度までも核兵器により被爆したのだと。

 米ソが核兵器開発に心血を注いでいた戦後間もなくから、その後に訪れた冷戦時代と比べると、現代の戦争や核兵器を巡る世界情勢はかなり変化してきました。日本も東京も様変わりする中で、ひっそりと運営され続けているこの展示館がいつまでも存続するように願っています。