読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

宇江佐真理さんの代表作「髪結い伊三次捕物余話」シリーズを読み始める

読書 宇江佐真理

幻の声―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

幻の声―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

紫紺のつばめ―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

紫紺のつばめ―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

髪結いを本業とする傍ら、北町奉行の定廻り同心・不破友之進のお手先をつとめる伊三次。芸者のお文に心を残しながら、銭にならない岡っ引き仕事で今日も江戸の町を東奔西走する。呉服屋の一人娘を誘拐した下手人として名乗り出た元芸者の駒吉は、どうやら男の罪を被っているらしく……(表題作より)。伊三次とお文のしっとりとした交情、法では裁けぬ浮世のしがらみ。人情味溢れる五編を収録。選考委員満場一致でオール讀物新人賞を受賞した渾身のデビュー作!

Amazon.co.jp: 髪結い伊三次捕物余話 幻の声 電子書籍: 宇江佐 真理: Kindleストア

 宇江佐真理さんのもっとも人気がある代表作を今頃になって読み始めました。それが「髪結い伊三次捕物余話」シリーズです。第一巻の表題作になっている「幻の声」がオール讀物新人賞受賞を受賞したのは1995年のこと。その後直木賞にもノミネートされましたが、受賞には至りませんでした。

 このシリーズはその後18年かけて現在は第15巻までが発売されています。宇江佐真理さんはすでに亡くなってしまいましたが、未発表の遺稿があるのかどうかはよく分かりません。もしかしたらもう一巻くらい出るのかもしれません。

 実は、数年前に第一巻だけ借りて読みかけたことがあるのですが、もろもろの事情で読破することが出来ずに返してしまったという経緯があります。その中途半端に読みかけたという記憶が、かえってこの作品から遠ざかってしまった理由になっていました。というのも、物語の内容に関しての印象がほとんど無くて、それはつまりあまり面白くなかったと感じたのだと、勝手に思い込んでいたのです。

 しかし昨年秋に宇江佐真理さんの訃報を聞き、未読の宇江佐作品を読まなくてはと思ったときに、この一番の代表作を避けて通ることは出来ないわけで、ようやく重い腰を上げてKindle版を買い集め、まずは第一巻「幻の声」と第二巻「紫紺のつばめ」を読んでみることにしました。仮にあまり面白くなくても最後まで読み切るつもりでいたのですが...

 読み始めてすぐに、勝手な思い込みの印象は180度ひっくり返りました。描かれている世界があまりにも粋で、あまりにもストーリーが面白く、すぐにぐいぐいと物語の中へと引き込まれていきました。いったい前回はどこを読んでいたのか?と自分のことでありながら不思議に思います。こんな面白い本を放っておいたなんて!

 雑誌発表されるシリーズものだったために、各巻とも短編集形式を取っていますが、ひとつひとつの短編が、どれも映画が一本出来るのではないかと思うほどの、重厚な大河ドラマになってると感じます。特に第一巻「幻の声」に収められた「赤い闇」と「備後表」には強い印象を受けました。そこには後年の宇江佐作品にあるような、女性作家らしい優しさはあまり感じられず、むしろ正反対に力強さというか、キレの鋭さ、男性的な視点を感じます。それは考えてみれば、私的に宇江佐作品の最高傑作と思っている「深尾くれない」に近いものだと気がつきました。これが宇江佐作品初期の作風なんだろうな... といまさら気づかされます。

 江戸の街を舞台にした捕り物というのは、時代小説シリーズものではある意味よくあるプロットと言えます。主人公が廻り髪結いという職業だということくらいが珍しい部分です。この物語中に広がる江戸の風景には、今まで他で読んだことがないような独特な空気感を持っています。ミステリーとしての事件展開そのものは脇役であり、それよりも伊三次たちが関わる事件を通して、江戸の人々の暮らしと風情を描きだす道具として使われているようです。

 主人公の伊三次、その恋人の文吉、定廻り同心の不破をはじめ、登場する人物たちはそれぞれに腹の奥底に何かを抱えていて、当たり前の欲をむき出しにし、日々の生活から受ける鬱屈がそこかしこに漏れ出しています。つまりヒーローはどこにもおらず、誰からも慕われる完全無欠な善人はまったく出てきません。そんな彼らが織りなすドラマは、ちょっとした言葉の掛け合いからしてとても緊張感に溢れているのです。

 その一方で、ドロドロした重苦しくて鬱陶しい物語かというとそんなことはなく、見たことのない江戸時代の庶民の暮らし、今とはまったく異なる生活、風俗、時間の流れ方、社会の成り立ちへのノスタルジーを掻き立てられます。それは私にとって、時代小説を読むことの一番好きな部分でもあります。

そうだ、小染という妓は確かにいた。あれほど男にだらしない女もいなかった。深川芸者の名折れだとわっちは内心思っていたものさ。もっとも出生が江戸の日本橋なら仕方のない話だ。

 こういった何気ない一文に込められたちょっとした裏の意味が伝わるでしょうか? これは深川芸者である文吉の台詞ですが、彼女は「深川は江戸とは違う街だ」と言っているのです。深川で生まれ育った人々は、お城と日本橋、浅草がある「江戸」を余所の土地として見ているのです。

 主人公の伊三次は永代橋を渡り、深川と八丁堀や日本橋近辺を行ったり来たりします。深川には独特の文化があって大川西岸に広がる「江戸」のそれとは違います。物語中にの深川にはその様子が見事に再現され、現在の深川には目に見えるものはほとんど残っていないにも関わらず、とても身近に感じられるのです。

 ということで、思いがけず残り13巻を読むのがとても楽しみになってきました。しばらく時間つぶしに困ることはなさそうです。さて、伊三次と文吉の二人の恋の行く末はどうなるのか?宇江佐さんは亡くなるまでにどこまで書いていたのかわかりませんが、恐らく結末はなくて尻切れトンボに終わっていることでしょう。

 うん、でもそれで良いのです。きっと。北原北原亞以子さんの「慶次郎縁側日記」と同様に、永遠に完結しないということは、したがって永遠に読み終わらないシリーズ物として楽しめることでもあるのですから。