誰も教えてくれなかった815事件:日本のいちばん長い日/半藤一利

投稿者: | 2015年11月22日

日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日

日本のいちばん長い日(決定版) 運命の八月十五日

近代日本の“運命の一日”を描いた不朽の名作。太平洋戦争を終結させるべく、天皇の「聖断」に従い和平への努力を続ける首相鈴木貫太郎をはじめとする人々と、徹底抗戦を主張して蹶起せんとした青年将校たち──。玉音放送を敢行しようとする政府関係者に対して、陸軍の一部軍人は近衛連隊を率いて皇居に乱入した。そのあまりにも対照的な動きこそ、この一日の長さを象徴するものであった。玉音放送が流れた昭和二十年八月十五日正午に至る一昼夜に繰り広げられた二十四幕の人間ドラマ

 この夏に、太平洋戦争のことをもっと知っておこうと思い立って読んだ「昭和史」とともに買っておいた本です。実はだいぶ前に読み終わっていたのですが、なかなか感想をまとめることが出来ずにいました。「昭和史」が戦争を始めるに至った経緯について書かれているとすれば、この本は戦争をどうやって終わらせたのかが書かれいてる本です。構成や視点はだいぶ違っているのですが、同作者の筆によることもあって、この二冊を通して本当の意味の「昭和史」が完結するのだと思います。

 本エントリーの表題はちょっと煽り気味で、実のところ本意ではないのですが、恥ずかしながら私自身は、太平洋戦争の終結において軍人によるクーデター未遂事件があったなんて、40年以上生きてきて初めて知りました。226事件がその後の太平洋戦争へと繋がる陸軍暴走の始まりであったとするならば、815事件はその崩壊を象徴する事件と言えるのかもしれません。

 この本をベースにした映画はちょうどこの夏に公開されていましたし、それ以前にもテレビドラマ化などもされていたと思います。本書の初版は45年前に書かれたものであり、内容は目新しくもなく、当たり前の歴史的事実なのだろうと思います。

 しかし、私自身はなぜかポツダム宣言、広島と長崎への原爆投下、ソ連の参戦などの断片的な出来事は何となく知っていても、どのような過程を経て、どのような意思決定でもって終戦(=ポツダム宣言受託)が決定され、実行されたのかは知らなかったし、考えたこともありませんでした。

 この本は上記の紹介文にもあるとおり、ポツダム宣言の受託に当たって日本政府の中枢部で起きていたことをまとめたドキュメンタリーです。戦争は泥沼に陥れば陥るほど、終わらせることが非常に難しく、ポツダム宣言の受託とそれを内外に発表する玉音放送は、政府内部と軍内部の激しい駆け引きによる綱渡りで、半ば奇跡的に実現したものだったことが語られています。

 プロローグでは8月14日を迎えるまでの状況がおさらいされていますが、その後の本編では、8月14日正午から8月15日正午に至るまでの24時間を24章に分けて、その間に政府中枢と陸軍、そして宮城内で何が起きていたのか、丹念に解き明かしています。クライマックスはまるで何年か前に人気になったアメリカのドラマ「24」のように(って見てませんけど)、分刻みで進むハラハラドキドキのサスペンスドラマのようです。

 この本の中で、徹底抗戦を訴え皇居を占拠しようとした畑中少佐の言葉を聞いていると、それが「馬鹿げている」と感じると同時に、逆に当時の空気を想像してみると「一理あるのではないか」と、矛盾した感想を持ってしまいます。

 自国の存立を脅かす存在としていっさいの妥協を拒んだ末に戦争をした敵国に対し無条件降伏する、という状況を想像したとき、その屈辱と絶望はいかばかりだったでしょうか? プライドの塊である軍人はもちろん、大本営発表の偽りの戦況を聞かされ、勇ましい煽り文句を掲げる新聞を喜んで読んでいた多くの一般国民達にとって、簡単に受け入れられることなのかどうか? もし当時にSNSがあったとしたら、そこにはどんな言葉が垂れ流されていただろうか?と考えると、畑中少佐が本当に例外的な狂信者であったかどうかは大いに疑わしいと思います。

 しかし、私たちが既に知っているように、日本はポツダム宣言を受託し、終戦後に国が分断したり内戦が起こることもなく、国を再生させることができました。

そこに思い至り、終戦に当たって昭和天皇自らの声で終戦勅書を読み上げる「玉音放送」という手法をとったことの大きな意味を今更ながら考えさせられます。それは単なる儀式であったと言うよりは、そうすることが戦争を確実に終わらせ、日本を戦後へスムーズに導くために、絶対に不可欠なことだったのだろうと思います。

 本書の冒頭にはこう書かれています。

 今日の日本および日本人にとって、いちばん大切なものは、”平衡感覚”によって復元力を身につけることではないかと思う。内外情勢の変化によって、右に左に、大きくゆれるということは、やむをえない。ただ、適当な時期に平衡をとり戻すことができるか、できないかによって、民族の、あるいは個人の運命がきまるのではあるまいか。

 これは大宅壮一さんによって書かれた序文の一節ですが、最近のものではなく今から45年前、本書の初版発行当時に書かれた文章です。ここに書かれている通り、その後の45年間も日本と日本人は揺れてきましたし、今現在も大きく揺れている最中だと思います。これまで戦後70年間守ってきたように、適当な時期に平衡を取り戻すことが出来るでしょうか?