酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

雨に濡れた石垣が美しい甲府城への日帰り遠足

 東京近郊でもちらほら紅葉の見頃を迎えつつあるようで、まだまだ秋の観光シーズンは続いています。そんな中、城好きな友人達に誘われて「甲府城へ石垣を見に行く大人の日帰り遠足」に同行することになりました。何でも、石垣を見るなら全国の城跡の中でも甲府城は随一のスポットなのだとか。へぇ?、全然知らなかった! ということで興味がわいてきます。
 先週までは絵に描いたような青空が毎日広がっていて絶好の行楽日和だったはずなのに、甲府城へ向かう当日は朝から全国的に雨。早朝の中央道も霧だか雨だか分からないくらい白く霞んで富士山の姿も見ることはできません。

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 しかし、ここは「日頃の行いが悪すぎる...」とここは意気消沈するところではなく、「石垣を見るなら雨に濡れてる方が断然カッコイイ!」と前向きに考えるところだったりします。これはまったくの冗談というわけでもなく、半分くらい大まじめな話でして、実際に雨に濡れた甲府城の石垣の姿はとても格好良く美しく重厚で、その石積み一つ一つに積み重なった時の流れに思いを馳せるには、しっとりした秋の雨はうってつけの演出でした。

 ということで、以下主に石垣の写真が多めです(^^;

鍛冶曲輪

 甲府城はJR甲府駅の南側に隣接しています。と言うより、甲府城の城郭内に線路が通され駅が造られたという経緯があるそうです。
 中央道の甲府南ICを降りてからひたすら駅に向かって市街地へ分け入っていくと、甲府城に突き当たりました。すぐそばのコインパーキングに車を停めていよいよ甲府城へ。南側に唯一残る堀跡を渡って、まずは鍛冶曲輪へ入ります。

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 あいにくの雨模様ですが、石垣はしっとり濡れていて良い雰囲気です。桜の木がたくさんあって紅葉していました。甲府城は基本的にオリジナルの石垣が多く残っているそうですが、一部は公園として整備する際にかなり改造されたものと思われます。恐らく正面の階段などは元の石垣を壊してつけたものでしょう。

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 ちなみにこの鍛冶曲輪跡には明治初期に廃城された後に、葡萄酒醸造所が造られ、日本で初めて国産ワインを製造した場所だそうです。今では何も残っておらず、芝生の広場となっています。何百年も前からある城跡は、こうして幾つもの時代の遺構が折り重なっているものであり、必ずしもオリジナルが保たれていないことをいちいち嘆くべきではないのでしょう。

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 甲府城は天然の岩山の上に建てられたそうで、そこかしこにその地盤となる岩山が覗いています。そしてその一画からは、実際に石垣のための石を切り出した岩場跡が残っていました。

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 全国の城跡はたいていそうですが、甲府城内にもとにかく桜の木が沢山あります。ちょうど紅葉して散り始めているところでした。桜の葉は紅葉するとともに傷んでしまうので、アップで撮ると残念な感じですが、色合いは綺麗なんですよね。雨に濡れて赤みが増しているかのようです。

稲荷曲輪

 後付けされたスロープを上って奥へ入っていきます。稲荷門をくぐって稲荷曲輪へ入ります。

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 門の奥にはすぐ石垣。甲府城各所の門は再建されたものですが、当時の風情がよく出ていて比較的忠実に再現されています。

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 広場の隅っこの方に石垣。ここは二重の石垣になっていて、オリジナルの石垣を埋めて新たに補強した痕跡がありました。最初は土塀が立っていただけだけど、後に増強して櫓でも建ててあったのでしょうか。この周辺は紅葉と落ち葉の絨毯でしっとりしていて、なにやら良い雰囲気です。

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 濡れた石垣は美しいです。甲府城の石はすべて先ほどの石切場か、甲府周辺で切り出された安山岩が使われているそうです。石の目とか表面の模様とかじっくり見たのは初めてです。ちなみに、分かりづらいですがここがちょうど二重の石垣部分。奥が古い石垣で、手前が新しい石垣です。

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 稲荷曲輪の東側の石垣面が甲府城で最も高さのある石垣で、15m以上あるそうです。外はすぐに道路になっています。向かいの建物と比べても、相当高さがあることが分かります。

稲荷櫓

 甲府城はほぼすべての建物が明治の廃城令とともに取り壊されているのですが、いくつかの門と稲荷櫓が再建されています。

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 二層の小さな櫓ですが、古絵図や明治初期に取り壊される前の写真などを頼りに、2004年に忠実に再建された建物です。その際石垣も解体して積み直されたそうです。

 失われてしまったものは仕方ないので、こうして少しづつ復元していって欲しいですね。

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 稲荷櫓の中は資料館となっていました。見ての通り、コンクリートでそれっぽく体裁を整えたものではなく、ちゃんと木造で、当時の建築方法で再建されています。素晴らしい!

 中には敷地内から出土した瓦などが展示されています。天井からかかる家紋の旗は、甲府城歴代の城主たちのもの。左から築城した豊臣家、次が浅野長政、そして三つ葉葵はもちろん徳川家、写真に見切れていますが右端に柳沢吉保の花菱の家紋がかかっていました。柳沢は5代将軍綱吉の側用人として辣腕を振るった人。ちょうど忠臣蔵の時代です。

 これからも分かるように、甲府城は武田氏とは無関係で、武田氏が滅亡した後に造られたお城です。

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 お城はこうしたジオラマがあるとわかりやすくて説得力があります。これは多くの資料から再現された在りし日の甲府城(いつの時代かは失念)。見ての通り、立派な石垣があるわりに高い天守はなかった、とされていますが、発掘調査で出土した鯱瓦は、松本城のものと同じくらいのサイズがあるとか。となると、あれくらい立派な天守があったのではないか? という説もあるとか。面白い話ですねぇ。

 でも少なくとも柳沢吉保の時代であれば、政権の中央にいた人ですし、何らかの絵図が残っていないとおかしいような気もします。大きな天守があったのは、もっと昔、豊臣時代の話なのかも。秀吉の時代は大天守築城ブームでしたから。

天守台

 ではいよいよ天守台に登ってみましょう。甲府城の一番高いところです。そしてここからが石垣見物の本番です。

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 天守台の石垣はかなり高さがあり、美しい裾野をもっています。真っ黄色に紅葉した木との対比が美しいです。

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 石垣は角が気になりますね。石の形も不揃いでエッジも曖昧。これらは400年以上前の戦国時代に造られた野面積みという方法で積まれた石垣。野面積みでこれだけの規模の石垣があるのはかなり珍しいそうです。ちなみにこの写真ではわかりにくいですが、角の部分はしっかり算木積み(長い石と短い石を交互に積んでいる)されています。かなりいい加減な部分もありますけど。

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 角ではなくて面を見上げるのも良いです。迫力を感じます。やっぱり石は不揃いで凸凹です。

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 本丸広場まで登ってきました。この石垣は天守台の一部。稲荷曲輪側よりはかなり低いです。それにしても複雑なパズルのようで美しい石垣です。江戸時代も中期を過ぎると、石切の技術が進歩してきて、巨石を隙間なく積むことが出来るようになりますが、この隙間だらけで不揃いな石の組み合わせがかえって格好良いです(というのは石垣マニアな友人の受け売り)。

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 天守台の上から東の方向を見たところ。かなり見晴らしは良くて、晴れていれば富士山と甲府の町並みを一望できるそうです。残念ながらこの天気ですので、眺望はまったくありませんでした。

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 天守台横の本丸櫓から県庁方面を見たところ。実はここまでは写真にも写らないように配慮し、敢えて触れずに避けていたのですが、甲府城には天守曲輪になにやら目立つオベリスクが建っているのです。

 しかしお城のパフレットではこの塔について一切触れていません。これは「謝恩碑」と言うそうですが... 明治天皇から山梨県に対し御料地が下されたことに対し、県民の感謝を記念して建てられたものだそうです。明治時代の空気としてはこうだったのでしょうが、今から見ると何とも野暮なものを造ってしまったものだと思います。感謝の気持ちを表すのに、もっと別の方法はなかったのかと。

石垣のいろいろ

 さて、実は途中からボランティアのガイドさんにいろいろ話しを聞きながら、石垣の見所を案内してもらいました。

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 まずはここ。天守台の下の方、庄城稲荷跡付近にある石垣です。松の木の後の方で分かりにくく、特に看板も立っていません。 
 ちょうど真ん中あたり左上から右下へのラインを境に、石垣の組み方がガラッと変わっています。左はかなり初期、築城当時のものと思われる野面積みであるのに対し、右側はきちっと石が切り分けられた切り込み接ぎとなっていることが分かります。江戸時代もかなり進んだ後にこの部分が改築あるいは修理されたことを伺わせます。石垣の年輪のようですね。

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 それからここも継ぎ目。稲荷曲輪と数寄屋曲輪の境目です。 恐らく稲荷曲輪を造った後に、数寄屋曲輪が増築されたことを示しているそうです。これは両方とも野面積みでしょうか? 石の積み方は大きく変わっていないので、増築は築城からそう時間をおかずにされたようです。

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 これは天守曲輪の石垣をしたから見上げたところ。これも相当に高さがあります。お城の石垣といえば面と線で造られてるものですが、この凹み部分は微妙なRを描いて、曲面になっているのです。石切の技術も成熟していない時代に、野面積みでこの曲線を造り出すには、相当苦労したのではないかと思います。しかし目的は分かりません。甲府城内でもエッジが曲線を描いているのはここだけだそうですし、他のお城にも中々見られないそうです。

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 ちなみに野面済みの石垣ではこうしたギザギザの彫り跡がついた石を沢山見ることができます。今回初めて知ったのですが、これは石を割るために楔を打ち込んだ跡で、矢穴と呼ぶそうです。矢穴は時代によって大きさが異なってるので、それによりさらに細かく時代を推定することが出来るとか。400年前は約12cmですが、100年進んで約300年ほど前になると9cmと小さくなるそうです。この写真の石は9cmの300年前のものでしょうか。

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 ここなんか、矢穴を開けて割った石が、そのままペアで積まれています。同じ面に他にも3組あると言われたのですが、見つけられませんでした。

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 この石は大きすぎるので割ろうと矢穴を2個開けたのに、途中で思い直してそのまま積んでしまったようです。こうした割らずに矢穴だけ残っている石は他にも沢山ありました。

その他

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 石垣の上に巨木が生えています。石垣を積んだからにはその昔は建物が建っていたと思われますが、それが失われてこの木が生えたのはいつ頃からなのでしょうか。根っこが石垣を内側から壊してないのが不思議ですね。木が遠慮してるかのようです。
 ちなみにここは石垣の様子がこれまでとガラッと変わっています。野面積みではなく打ち込み接ぎでしょうか? 最初の築城からだいぶ後になって造られたか、作り直されたものと思われます。

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 いやいや、甲府城の石垣は見ていて本当に飽きません。ガイドさんの話しを聞きながら、ふと気がつけばあっという間に3時間近くが経過していました(^^; 石垣マニアってなんだよ!って思っていましたが、いつの間にかすっかり魅了されていました。

 今後、どこか別のお城に行ったときはもっと石垣に注目したいと思います。建物が残っていなくても、あるいは再建されたものであっても、石垣さえあれば城跡は十分に楽しめますね。

 あ、あと桜の紅葉も綺麗でしたが、やっぱり春の花が咲いた時期が一番綺麗に違いありません。


 さて、雨の甲府遠足はまだ続きがあります。それについてはまた次回...


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