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酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

突然の訃報に接し途方に暮れる: 深尾くれない / 宇江佐真理

 私の大好きな作家さんの一人、宇江佐真理さんが先週の土曜日に亡くなられたそうです。まだ66歳という若さで、作家としては脂が乗り始めるところだったのに...。とても残念でなりません。

 2年半前には同様に大好きだった北原亞以子さんが亡くなって、自分でも意外なくらいにショックを受けたのですが、今回も同様に友人から突然知らされて、大きなショックを受けてしまいました。それは、作家さん本人はもちろんですが、彼ら彼女らが生み出した小説の中の世界が消え去り、登場人物が同様に死んでしまったような気がするからに違いありません。

 時代小説を書く女性作家は珍しくありませんが、中でも宇江佐真理さんは独特の柔らかな雰囲気を持ったストーリー、文章を書かれていました。いかにも女性的というか母親目線が強く感じられるものが多く、そしてどこか現代的にすら感じることがあります。それだけに取っつきやすく、読みやすく、理解しやすく、とても上質な娯楽時代小説を多く生み出されていました。

 未読作品がどのくらいあるのか、全貌がよく分かっていません。相当読んできたつもりでいながら、数えてみたら既読は30冊ほどしかありません。その中から、とても思い出深い一冊を選ぶとしたら... やっぱりこれしかないだろうと思います。9年以上前に初めて読んだ宇江佐真理さんの小説です。

深尾くれない (新潮文庫)

深尾くれない (新潮文庫)

 上に書いた特徴からは外れる異色の作品ではありますが、このインパクトは非常に強烈であり、この本が書かれた経緯も含めて「宇江佐真理」を代表する一冊だと思います。
 宇江佐真理さんへの追悼の気持ちを込めて、9年前に書いた感想文をそのまま再掲しておきます。


−−−(以下、2006年5月13日 記)
 なんといいますか、すごい小説です、これ...。すっかり打ちのめされてしまいました。

 ちなみに偶然ではありますが、この前に読んだ「揚羽の蝶」に続いてこの本も鳥取および岡山にゆかりのある池田家に関わりのある物語です。

 この「深尾くれない」は因幡鳥取藩に実在した剣豪、深尾角馬という人を題材にした小説です。深尾角馬は背が低く反骨精神にあふれた江戸時代初期の鳥取藩随一の剣豪で「雖井蛙流平法」という現在でも残る剣の流儀を確立した人です。また彼は牡丹作りの名人で、彼が自宅の庭で育てた見事な牡丹の花は「深尾紅」と呼ばれるほど評判の美しさだったそうです。

 この深尾角馬という人物については鳥取藩史などに記録が残っているようですが、当然歴史上の人物としてはほとんど無名であり、それほど資料が多いわけではないとのこと。それでもこの本の作者である宇江佐真理さんは、その少ない資料に残された深尾角馬という人物の生涯にとてもドラマチックなものを感じ、書きたいけど書けない、という葛藤の10年を経て、格別の思いを込めてこの小説を執筆されたそうです。

 情報の少ない史実を基に宇江佐真理さんの解釈と想像で肉付けをされた深尾角馬という人の生き様は、この小説の中で見事なほどまでにくっきりと浮かび上がっています。

 剣豪を扱った小説といってもただただ頼もしく勇ましく格好いい主人公が描かれているわけではありません。むしろこの小説の中で剣を振るう角馬の姿は汚くて格好悪くさえあります。一方で、雖井蛙流平法の目録内容が引用されその意味の解釈がされているなど、剣豪としての角馬の功績は剣を振るう姿以外のところでしっかりと表現されています。そしてタイトルに表されるように、角馬が愛した牡丹の花を象徴的に使い、二人の女性との関わりをストーリーの筋にする当たりは、さすが女性作家にしか描けない角馬の姿ではないかと思います。

 角馬の後添いの妻「かの」の視線から語られる前半においては、背が低いというコンプレックスを克服するために剣の道に打ち込み、厳格で真面目な生活を守りきるあまりに、不器用で融通が利かず、小説の中のかのと共に読者をも絶えずイライラとさせられます。

 しかしそんな前半部は、角馬の一人娘「ふき」の目線で語られる後半部の前置きでしかありません。真の武士としての心意気を見せて己の道を貫き通しつつ、角馬にとって剣の道と妻と娘と、そして深尾紅の複雑な関係に決着をつけるクライマックスでは、いつの間にか角馬という人物にすっかりと魅了されてしまい涙なしには読めません。

 喜多村八兵衛の語を聞きながら「さてもさても・・・」とため息をつきつつ大蔵殿が流す涙は、読者自身(=私)の姿に他なりません。

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