酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

北原節が冴える深川澪通り木戸番小屋シリーズに再会する

新地橋 深川澪通り木戸番小屋 (講談社文庫)

新地橋 深川澪通り木戸番小屋 (講談社文庫)

江戸・深川澪通りの木戸番小屋に住まう夫婦、笑兵衛とお捨。そこには、人々の悲しみ、愁いを癒してくれる灯がある。訪れる人の心の奥を、そっと照らしてくれる。労り、助け合う市井の人情。人の世の機微を穿った逸品揃い。思わず挫けそうな、いつの間にか冷めかけた心を優しく温めてくれる珠玉の時代小説集。

深川澪通り燈ともし頃 (講談社文庫)

深川澪通り燈ともし頃 (講談社文庫)

江戸で五指に入る狂歌師となった政吉は、野心のあまり落ちこぼれて行くが、唯一救いの燈がともっていて…。幼い頃親を失ったお若は、腕のよい仕立屋になれたが、一人の心細さがつのる時は、まっすぐに深川澪通りに向って…。辛い者、淋しい者に、無条件に手をさしのべる木戸番夫婦を描く、傑作時代長編。

 北原亞以子さんが亡くなったと聞いた後、しばらくの間は北原作品ばかりを読みあさったことがありました。あまり大量に作品を残していない作家さんのようでいて、実際は探せば探すほど多くの作品が出てきます。未読作がまだたくさんあるのは承知していましたが、ある時点で一定の区切りを付け、それ以降北原作品を読むのを止めていました。

 もはや新刊が出ることはないわけで、慌てて全部を追いかけるよりも、長い時間をかけて少しづつ読んでいけば良いと思い直したからです。

 約二年が経ち、先日Kindle版の時代小説を何となく検索していると、北原亞以子さんの作品が結構たくさんKindle化されているのを発見。その中に完読したと思い込んでいた深川澪通り木戸番小屋シリーズに未読作があるのに気付きました。そうか、まだこんなにたくさんあったのか驚くと同時に、久しぶりに「北原亞以子」の名前を見て、その上品で切れのある文章を読んでみたくなりました。

 良い悪いではなく、最近読んでいた浅田次郎作品とは、その文章から紡ぎ出される雰囲気が対極にあるのです。北原さんの小説は、とても少ない言葉で表現され、大事件の大立ち回りでさえも淡々と展開し、そして時に物語は完全な答えと結末を提示しないままぷっつりと終わりを迎えたりもします。

 今回読んでみた二巻も含め、このシリーズは各巻の前後関係も実はよくわかりません。どれが古くてどれが新しいのか? しかしそれはどうでも良いことだったりします。お捨と笑兵衛の夫婦の暮らしには、新しい出来事も古い出来事の順番もないし、登場人物の移り変わりもありません。なので、どういう順番で読んでもちゃんと楽しめてしまうのです。なので、今回の二冊もどっちが古いのか気にせず、適当に読んでみました。

 「新地橋」は従来同様の短編集形式ですが、「燈ともし頃」は一冊で完結する長編となっていました。シリーズもので構成が違うのは珍しいことです。だからといって「燈ともし頃」のほうが大作であるということもなく、描かれる深川の町の雰囲気は全くと言って良いほど同じです。いずれも複数の物語が表と裏、縦と横に交差するような複雑な構造はなく、実に単純な構成なのです。しかし、そこに描かれるドラマは非常に深いものがあります。

 ちなみに、私にとってこのシリーズの一番好きな部分と言えば、文章の導入や合間に挟まれる、深川の街の情景描写です。

 たとえば「新地橋」の第六話「十八年」には、次のような一文が何気なく差し挟まれています。

隅田川をはさんで日本橋側の人達は、深川の佐賀町あたりへくると潮のにおいがすると言う。が、深川もはずれに近い中島町からきた者には、潮のにおいが薄くなって、風に味がなくなったような気がする。

 あるいは「燈ともし頃」の第二話「たそがれ」には次のような一節もあります。

 平野町から油堀を渡って、黒江町を通り、黒江川にかかる坂田橋を渡る。夕闇がひときわ濃い寺院の前を走り、息をはずませて北川町の路地を抜け、中島町へ出た。大島川と一つになって隅田川へ流れ込む、仙台堀からわかれて流れてくる川の音が大きくなった。

 こういった情景描写につられて、Kindleの画面をのぞき込みながらも、潮のにおいを感じ、寺院の暗闇を感じ、川の音を感じるのは、私がこの小説の舞台となっている深川に暮らしているからでしょう。

 フィクションとはいえ、地元に根付く人々の暮らしの歴史をこの小説からは感じます。あまりに善人過ぎるお捨てと笑兵衛は、スーパーマンでも完全無欠な人格者でもありません。特殊な能力を持っていて人々の悩みを解決するために奔走するわけでもなく、ただ中島町の木戸番小屋で暮らしているだけ。なぜか自然と人の輪ができる場所というのはあるもので、彼らはそんな夫婦なのです。

 そんな何でも無い夫婦が、しかも中年の二人が、なぜシリーズもの小説の主人公になり得るのか? 考えてみたら不思議な小説です。これぞ北原節の真骨頂ではないかと思います。

 まだまだ未読作はあるようなので、またいつか気が向いたときに北原作品を読んでみたいと思います。