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酔人日月抄

東京下町に暮らす写真とPENTAXとスキーと時代小説とお酒とプジョーを愛するある男の日常

参勤交代の行列は行軍なり:一路 / 浅田次郎

読書 浅田次郎

一路(上) (中公文庫)

一路(上) (中公文庫)

一路(下) (中公文庫)

一路(下) (中公文庫)

失火により父が不慮の死を遂げたため、江戸から西美濃・田名部郡に帰参した小野寺一路。齢十九にして初めて訪れた故郷では、小野寺家代々の御役目・参勤道中御供頭を仰せつかる。失火は大罪にして、家督相続は仮の沙汰。差配に不手際があれば、ただちに家名断絶と追い詰められる一路だったが、家伝の「行軍録」を唯一の頼りに、いざ江戸見参の道中へ! 雪の和田峠越え、御殿様の急な病、行列のなかで進む御家乗っ取りの企み。着到遅れの危機せまるなか、一行は江戸まで歩みきることができるのか。江戸までの中山道で繰り広げられる悲喜こもごも。

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 先日読んだ「赤猫異聞」に続き浅田次郎さんの時代物小説が文庫新刊として本屋さんに平積みされていました。そんなに新刊ペースが早い作家さんではないと思うのですが、文庫化が着実に進んでいるのはうれしい限りです。

 この本も参勤交代を題材にしているということで、昨年あたりに映画化された「超高速!参勤交代」と並んで置かれていました。しかも、これまで「一刀斎夢録」などの新撰組を題材にした作品群で見せてきたような、ひたすら読者の感動と涙を誘う浅田節というよりは、コメディ調も織り交ぜて書かれた軽妙な雰囲気の小説らしく、それはそれで新鮮で面白そう!ということで読んでみることにしました。

 舞台は現岐阜県中部あたりに領地を持つ交代寄合旗本、蒔坂家。時代は十四代将軍家茂の世で、安政の大獄も過ぎ去り、いよいよ幕末が押し迫る頃です。250年の太平の時代を経て徳川家を中心とする幕藩体制もすっかり緩みきり、腐りきり、外圧によって内政も混乱を極めている頃。そんな中でも大名の参勤交代は慣習として続けられていました。

 大名ではないながらも家格の高い旗本である蒔坂左京大夫も、領地を離れ中仙道を経て江戸へ向けて参勤交代の旅へと出発します。物語はその十日に及ぶ道中で起きる様々な出来事の顛末ドタバタ劇となっています。

 数十人から数百人の人間が集団で旅をする難しさについては、現代に生きる私たちでも考えてみれば容易に想像が付きます。今のように通信も交通も発達していない時代、宿泊先の手配と調整だけでも大変なことです。堅苦しい仕来りと厳しい身分制度にまみれた武家制度にあって、それを一手に監督していたのが道中御供頭と呼ばれる役職。参勤交代の旅を専門に担当する、幹事でありツアーコンダクターでした。

 主人公は蒔坂家の道中御供頭である小野寺一路。彼は父の急死に伴い道中御供頭として何の経験も知識もないまま、その役を引き継いでしまったところから物語は始まります。そんな彼が道中を上手くまとめられるのか?

 彼を取り巻く状況には実に様々な困難が立ちはだかり思惑と陰謀が渦巻いています。参勤道中の差配について何の知識も持たない彼が頼りにするのは、代々小野寺家に伝わる古文書だけ。そこには未だ戦国時代の世相を色濃く残し、参勤交代が開始されたばかりの時代における、真の道中心得が書き記されています。同じ参勤交代道中といえども250年の時間の隔たりは如何ともしがたく、幕末の世では考えられないような珍道中が始まります。

 江戸時代末期においては既に軍隊としての機能を失い、完全に官僚となり果てた武士の頭領であるお殿様については、以下のように位置づけられています。

早い話が、殿様は木偶に近いほど名君と呼ばれるのである。政に口を出すなどもってのほか、家来たちの批評はむろんのこと、正室側室の好みですら声にしてはならなかった。
そうした殿様の尊厳は、末期の姿に究極のかたちとなって現れる。苦痛すらも口にしてはならぬゆえ、名君の誉れ高い殿様ほど、ある日ばったり倒れて死ぬのである。

 当代の蒔坂左京大夫もその例に漏れません。何を言われても「大義じゃ」「執着じゃ」「よきに計らえ」以外のことしか口に出来ない生活を送ってきた殿様は、道中でどんな珍事が起こっても、その感情や希望を口にすることは出来ません。一家の頭領であり主でありながら、すべては家来衆の指示に従わねばならないのです。駕籠に揺られて気分が悪くなっても、頭をぶつけても、トイレに行きたくなっても何も言うことは出来ません。

 顔色一つ変えずに名君らしく木偶として田名部を江戸に向けて出発した左京大夫は、殿様が文字通りの武将であった時代のしきたりに則って参勤道中を進む間に、その本性を現していくことになります。そしてそれは家来たちにとっても同じこと。官僚組織として生きてきた家来衆は、いにしえの参勤交代行列を演じていくうちに武闘集団の末裔としてその血が騒ぎ始めるのです。

兵助はまぼろしを見た。おそらくは十数代前の祖が、関ヶ原の戦場に見た光景にちがいない。立ち騒ぐ森は夥しい敵の昇旗であり、吹雪はもうもうたる土煙であり、轟く風の音はわれらを追いつめた勝ち鬨の声であった。
しかしそれでも父祖は負けなかったのだと兵助は思った。その攻囲を破って生き抜いたからこそ、別格の旗本として二百幾十年の後に残ったのではないか。御家を滅ぼしてはならぬ。

 最初に書いたとおり基本的にはコメディ調でありながら、こうして要所要所に浅田節が混ぜられています。おもしろおかしい不条理ドラマというだけではなく、幕末という時代背景、徳川幕府の二百五十年の平和な世の中がもたらしたものと失ったもの、武士とは、領民とは、国を治めるとはどういうことか、といった時代小説らしい要素もふんだんに混ぜられており、思ったよりも読み応えのある小説でした。

 小野寺一路が率いる蒔坂左京大夫の参勤行列は、無事に江戸にたどり着くことが出来るのか? 一路は生まれながらにして決まっている自信の未来についてどう考えるのか? そして本来の武将としての本性に目覚めた左京大夫はどうなるのか?

 しかし、そこからさらに150年後の世に生きる私たちがよく知っているように、武士の時代はまもなく終わりを迎えます。この小説に登場した人々は、幕末を生き抜いたとすれば明治の世を、武士が絶滅した日本を見たことでしょう。物語はそこまで触れられていませんが、そこまで思いを巡らせながら迎えた結末は、なかなかしんみりするものです。

 ちなみに、田名部という地名、蒔坂左京大夫という旗本は実在せず、小野寺一路含めてすべては浅田次郎さんの創作です。ついでに言えば、彼らがこの小説の中で体現した古式の参勤交代の仕来りというのも、古文書に基づいてるわけでもなくフィクションのようです。そのあたりの「フィクション度」は「赤猫異聞」でも同じでした。それはこの小説を楽しむ上で重要なことではありません。歴史小説として楽しむものではなく、あくまでもこれは浅田節を楽しむ時代小説なのです。

 読み終わって知ったことですが、この作品はKindle版が出ています。というか浅田次郎作品はほぼKindle化されていることに気づきました。ただ、残念なことに本作については紙の文庫本が一番安く、Kindle版は高めの値付けがされています。

一路(上)

一路(上)

一路(下)

一路(下)

 いえ、この値付けは単行本に対するものなのかもしれません。そう考えると、浅田作品については文庫化を待たずにKindleで読むのが良いのかも?と思えてきました。