鼠、影を断つ

投稿者: | 2012年9月26日

鼠、影を断つ (角川文庫)

鼠、影を断つ (角川文庫)

  • 作者: 赤川次郎,宇野信哉
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/08/25
  • メディア: 文庫
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なじみの小料理屋で飲み、寝入ってしまった次郎吉。おかしな気配に気がついて目を覚ますと、隣家から火の手が上がっている!次郎吉の機転で延焼は防げたが、火元の家に住んでいた母と幼い娘が焼け出された。火事の原因は不明。さらに母子の周辺に見え隠れする怪しい人物たち。何かあると感じた矢先、今度は小料理屋が火事に―。人情篤い盗賊・鼠小僧こと次郎吉が悪と闘う痛快時代小説シリーズ。ますます絶好調の第3弾。

 第一作の「鼠、江戸を疾る」から第二作の「鼠、闇に跳ぶ」が文庫で発行されるまで、ずいぶん時間が空いたと思っていたら、3ヶ月しか経っていないところでいきなり第三作目が発行されました。帯によればこれから今年末までにさらに二作が発売されるそうです。佐伯作品を上回るハイペース。このシリーズは売れると分かって赤川次郎さんが本気を出したのでしょうか?いずれにしても嬉しい話です。

 さて、主人公は甘酒屋こと次郎吉、彼がいわゆる「鼠」なわけです。そしてもう一人準主人公たる立場にいるのが、次郎吉の妹の小袖。彼女には表のあだ名も裏のあだ名もありませんが、その強さと腕は「鼠」なみ。むしろ世間を知っているという点では上手かも知れません。
 この二人の主たる登場人物の魅力と掛け合いの面白さは本作品の大きなキーだと思います。それは(良い悪いではなく)佐伯作品には決して出てこない類の人物にして、アンチヒーローなのです。
 
 そして登場人物のキャラクター以上に特徴的なのはその文体。少ない言葉、多めの台詞で流れるように速いテンポで進んでいく物語は、読みやすい一方でストーリーを見失いやすく、意外にすべてを理解するのが難しいのです。今作で言えば、第三話の「鼠、面子をかける」は非常に難解でした。展開が早くて仕掛けが複雑なのに、あっさりした言葉少なな文章は変わらず。結果、仕掛けの裏が何だったのか訳が分からずきょとんとしてしまうのです。何度か行きつ戻りつ読み返しましたが、最後まですべてが分かった気がしません。
 そんな風に意外にハードボイルドな面があって、気楽な娯楽小説と思っていると面食らいます。そして、各話の落ちは必ずしもスッキリと万事解決のハッピーエンドとは限らなかったりして、思いがけず強い余韻を残したりします。

 でも、それはそれとして楽しめてしまうのが不思議です。それは先にも書いたとおり、人物設定が魅力的だからに他なりません。それに加えて描かれている江戸の空気がとても良い感じなのです。基本ミステリー仕立てのこの小説では、事件事故災害、貧困や怨恨や疫病などなど、あらゆる人々の不幸の種が鏤められています。しかしその闇と同じだけの光もあるこの世は、そんなに捨てたもんではないと思えてきます。

 そんな世の中を闇を屋根から屋根へと渡り歩き、強くて邪悪な社会の恥部にちくりと小さな針を刺す「鼠」の活躍を読んでいると、実に爽快な気分になります。まさしくこれぞ娯楽小説。出来すぎの完全無欠なヒーローではなく、実に人間らしい弱さを持ったアンチヒーロー。この小説の「鼠」は実に格好いいのです。

 さて、時代小説といえば、実際に記録として残っている事件や人物をベースにしているものもある一方で、この小説は正反対にほとんどが脚色済みのフィクションです。私は結構前者のタイプが好きなのですが、この小説は少しずつ実際に江戸に起きた大事件をモチーフにした物語が含まれているところがまた面白いのです。例えば第二作では多くの死者を出した永代橋崩落事故が扱われています。そして今作では幕府を揺るがした一大スキャンダル、絵島生島事件(を思わせるような事件)が起こります。

 事実としてはこの二つの出来事は100年近い時差があるわけですが、もちろんこの小説の世界観ではそんなことは関係ありません。そう、これで良いのです。「鼠」の活躍を楽しむのに江島生島事件を知っている必要はありません。でも知ってるとクスッとできるのです。

 今作は全部で六話が収められていましたが、第四話の「鼠、つきまとわれる」が一番気に入りました。老女の仇討ちというプロットが実に面白かったです。そして鼠の最後の台詞が効いています。

夜はいいな、余計なものが見えねえから。そう思わねえか?

 うん、でも現代の「江戸」の夜は明るくなりすぎました。

 【お気に入り度:★★★★☆】